9撃目 生まれて初めて恋をした
僕とコトハはグラディウスを降りて外に出た。
周囲はもう薄暗く、もうすぐ夜の闇が世界を包む。
「ねぇ想像してみて」
コトハが言った。
コトハの視線の先には、イレアナのラーミナⅡがあった。
イレアナは頭がパンクしそうだから、少し休みたいと言って、僕は了承した。
「想像って?」
僕はグラディウスにもたれて言った。
「ねぇロゼ」
コトハが僕の顔を覗き込んだ。
コトハは僕の正面に立っている。
「ん?」
「もしアナちゃんを殺していたとしたら、今どんな気分?」
「分からないけど、操縦席に座っていたのは君だよ」
「そう、そうね。実際に戦車砲をぶっ放すのは私だわ。でも、殺したのはロゼの意思でもあるはずよ」
確かにその通りだ、と僕は思った。
でも肩を竦めただけで、何も言わなかった。
「それでどんな気分?」
コトハがしつこいので、僕はイレアナを殺した未来を丁寧に想像した。
きっとコトハは何の躊躇もなくイレアナを撃てる。
僕はたぶん「さよならイレアナ」と呟くだろう。
ああ、でも、それだけだった。
同時に、コトハを失わなくて良かったという深い安堵がある。
だから僕はそのことを、そのままコトハに伝えた。
コトハ黙っていた。
感想はないみたい。
「なぜ、そんなことが知りたかったの?」と僕。
「別に。ただ知りたいと思ったの。意味なんてないわ。まぁ、この世界で起こる多くのことに意味なんてないけれど」
「少し違う」
「何が違うの?」とコトハが首を傾げた。
「多くのことじゃない。全てのことだ。全てのことに意味なんかない。だから、僕は何も思わない。戦友が死んでも、ただ戦友が死んだだけ。意味なんてない」
「そうね。意味を与えるのはいつだって人間の観念に過ぎないもの」
「それ誰の言葉? 昔の偉い人?」
僕が質問すると、コトハは少し笑った。
「ラッセル・ガイル」
その名に、僕は酷く驚いた。
「会ったことが?」
「ええ。ラクーク軍は傭兵団『雪月花』に戦闘指導を受けたことがあるのだけど、教官として彼が来ていたわ」
「人類最凶の傭兵、正気の外側で笑う悪魔、魔導の極み、兵士の中の兵士、雪月花の2代目代団長にして現団長?」
「そうよ。ラクークなんて小国の指導に、彼がわざわざ来たの。その時に、亡命の話もしたわ。『いつでも歓迎する。でも自力でうちの領土に辿り着け』って言われたのよ」
「へぇ。その話だけど……」
「嘘じゃないわ」
「そうは言ってない。僕も一緒に亡命できるかな?」
僕はいつの間にか、コトハのことを好きになっていた。
離れたくないと切望するほどに。
だって、僕がコトハに対して抱いている焦がれは、戦車に対して感じている焦がれと同じだから。
たぶん、これが初めての恋。
戦車以外の存在に対して、僕は初めて恋をした。
それが良いことかどうかは、さっぱり分からないけれど。
◇
「そうか」
それがモニカの言葉だった。
僕とイレアナが通信で現状を報告した時の返事。
「詳しいことは、戻って報告しろ」
モニカは気怠そうに言った。
そこに感情は含まれていない。
でも、それは仕方ないことだ。
モニカは元々、やる気のない小隊長なのだから。
「「了解」」
僕とイレアナは通信チャンネルを閉じて、それぞれの戦車を野営地の方向に向け、アクセルを踏んだ。
「戻るまで操縦させてくれるのかと思ったわ」
コトハが溜息混じりに言った。
「また次の偵察で、と言いたいところだけど、次があるかな?」
「襲撃されちゃったものね」
そう。
今夜はもう伝統偵察はないかも。
最悪、しばらくない可能性も。
「でもそうなると、コトハのトイレをどうするか考えないとな」
「ロゼが飲めばいいじゃない」
「喜んで」
僕は肩を竦めた。
もちろん本気じゃない。
過去に飲んだこともないし、これからも飲まないだろう。
僕にそういう趣味はない。
「気持ち悪い」とコトハ。
「冗談だけどね」
「私も冗談」
コトハがクスクスと楽しそうに笑った。
僕とコトハは悪意のない冗談を言い合える仲に昇格した、ということだ。
◇
僕とコトハは野営地に戻って、グラディウスをオフラインにした。
すぐ隣でイレアナもラーミナⅡをオフラインに。
僕はコトハに「大人しくしているように」と言って外に出た。
モニカに報告しなくてはいけない。
世界はすっかり暗闇に覆われていた。
しかし、野営地はたくさんの明かりがそこら中でキラキラしていた。
まるで暗闇を恐れるかのように。
あるいは、みんな暗闇が怖いのかもしれない。
僕とイレアナはモニカを探して歩き回った。
言葉は交わさなかったし、目も合わさなかった。
僕たちは最初にモニカのラーミナⅡに向かった。
でも誰も乗っていなかった。
仕方ないので、その辺の兵士にモニカを知らないかと聞いて回った。
5人が知らないと応え、6人目でやっと「あっちのテントにいた」という情報を得た。
あっちのテント――小隊長たちが集まって酒盛りをしていた。
テントの中心には大きな机があって、その上には地図が広げられていた。地図の上にはコマがいくつも置かれていて、戦況の分析をしていたのだと分かる。
途中までは、という注釈が必要だけどね。
「モニカ隊長」
僕は苦笑いしながらモニカに声をかけた。
「おお、これはこれは、戦車エースで問題児のロゼ君じゃないか!」
モニカが大げさに両手を広げた。
右手にはビールの缶を持っていた。
他の小隊長たちが僕を見てニヤニヤと笑っている。
何が面白いんだ?
「偵察中に襲撃された件の報告に……」と僕。
「あー、携行式の対戦車ミサイルで撃たれたって?」
モニカはどうでも良さそうに言って、ビールを呷った。
「はい」
「生きてて良かったな」
「ええ、はい」とイレアナ。
敵はたぶん生きてないけどね。
コトハとイレアナがアホみたいに砲弾を撃ち込んだ上、ヘリ部隊もガンガン攻撃してたっぽいから。
きっと原型すら残ってない。
彼らは、肉体的には完全に塵と化した。
そして僕の心にも残っちゃいない。
まぁ、探せばこの世界のどこかには彼らの痕跡があるのだろう。
探す気はないけれど。
「あー、えぇっと、詳しい戦闘の内容を覚えているか?」
「もちろん」と僕。
「んー、あー、だろうな。明日の朝でいいから、テキトーに報告書を出せ」
モニカは本当に、心の底からどうでも良さそうだった。
他の小隊長たちも、テキトーな報告書については何も言わなかった。
きっと、どいつもこいつもいい加減なのだ。
兵役があるから仕方なく兵士やってるだけの、やる気の欠片もない連中なのだから。
僕は小さく肩を竦め、踵を返す。
もう用はない。
「おい待てロゼ。イレアナも。みんなに紹介してやる。こい」
モニカに呼び止められたので、僕は仕方なくモニカの隣に並んだ。
僕がモニカの左手側、イレアナがモニカの右手側だ。
モニカはまず、イレアナを自分の方に引き寄せた。
「イレアナ・シモン。新入りで成績は並。少々真面目すぎて、たまにうざいこともある。だが命令違反はしない」
モニカがイレアナを解放する。
そして今度は僕の肩に腕を回し、モニカは僕を自分の方に引き寄せた。
酒臭い。結構飲んでるなこれ。
「こいつはロゼ・ライン。我が113小隊が誇る、戦車エースだ」モニカが言う。「わたしの言うことを1つも聞かないクソヤローだが、戦果を挙げてくれるから追い出してない」
「あと顔がいいからよねモニモニ」
女の小隊長が笑顔で言った。
その笑顔は赤く染まっていて、酔っていることがすぐに分かった。
それから、伝統偵察を代わってくれた小隊長だというのも声で理解。
「ガキじゃねーかよぉ」
別の小隊長がバカにした風に言った。
「モニモニはぁ、若い男の子が好きなのぉ、変態だからぁ」
「誰が変態かっ!」
言いながら、モニカが新しいビールの缶に手を伸ばした。
僕がその手を見ていると、
「お前も飲めよ、戦車エース」
小隊長の一人が、僕にビールの缶を投げてきた。