8撃目 願い事は何ですか?
「そこで停車して」
しばらく走ったあと、イレアナが言った。
もう集落を肉眼で確認することはできない。
でも、派手な煙がディスプレイに映っているので、ヘリ部隊が攻撃しているのは分かった。
コトハが速度を落とし、グラディウスを停車させる。
「さぁ、説明してもらいましょうか?」
イレアナの表情は固く、コトハを睨んでいるようだった。
「彼女はコトハ」と僕が言った。
「名前なんか聞いてないけど?」
イレアナは酷く冷たい声で言った。
「じゃあ私の何が知りたいの? 誕生日? プレゼントはクマのヌイグルミでいいわよ」
「コトハ、クマ好きなのか?」
「嫌いな人はいないでしょ?」
いや、いるだろ。
そう思ったが、僕は肩を竦めただけで何も言わなかった。
「ねぇふざけてるの?」
「ふざけてないわよ、アナちゃん」
「今度アナちゃんって呼んだら、砲弾ぶちこむから」
「そう? 試してみましょう。アナちゃん」
「このっ!」
イレアナが叫び、戦車砲が唸った。
しかし弾丸は僕のグラディウスには当たらず、地面に当たって爆煙を巻き上げた。
「あら? どうしてわざわざロック外して撃ったの? ねぇどうして?」
コトハがバカにしたように煽った。
「うるさい……」
「撃てないわよね。だってアナちゃん、ロゼのこと好きでしょ?」
「うるさいって言ってんのよ! あたしが誰をどう想っていても、あんたには関係ない!」
「否定はしないのね」
コトハが肩を竦めた。
しかし、イレアナが僕を好き?
信じられないな。
僕は女の子に好かれるタイプじゃない。
まぁ、女の子だけじゃなく、人間全般にあまり好かれないけれど。
「ねぇロゼ。お願いだから説明して。あたしが納得できる説明。もし今度はぐらかしたら、隊長に報告するから」
「まだしてなかったんだ。優しいね」
「どういたしまして。早く説明して」
「今日の戦闘で、僕が戦列を抜けたろ?」
「ええ。自分勝手にね」
「で、逃げた敵クレーストを追って、撃破。そのクレーストのパイロットがコトハ」
「そう。でも、あたしが聞きたいのは、そういうことじゃない。どうして敵のパイロットがロゼのグラディウスに乗ってて、操縦までしているのか、ってこと」
「僕にもよく分からない」
「ふざけないで!」
別にふざけちゃいない。
本当に分からないのだ。
ただ1つ、分かっているのは、
「コトハと戦車の話がしたかったから、だから隊長に報告せずに自分の戦車に乗せたままにしてた」
「戦車の話?」とイレアナが首を傾げた。
「そう。コトハも僕と同じくらい、戦車が好きだから」
「違うわ。私の方が好きよ」
妙なところでコトハが対抗してきた。
でも僕はスルーした。
当然のように、イレアナもスルー。
「それ信じてもいい。ロゼが戦車マニアなのはみんなが知ってるから。でも、操縦までさせたのはどうして?」
「話の流れで」
「どういう流れ?」
「操縦させてくれるなら、逃げないって私が言ったのよ。ロゼは私を逃がしたくないみたいだから」
クスッとコトハが笑った。
発言は事実なので、僕は否定も肯定もしなかった。
「ロゼはそこまで飢えてるの?」
「飢えてる?」
「戦車の話ができる相手に。敵兵に操縦させてでも、繋ぎ止めておきたいぐらい、戦車の話に飢えてる? って聞いたの」
「そうだろうね。だって、僕の小隊の連中はイレアナも含めて、戦車に興味がない」
「ロゼ、あんた、いつか身を滅ぼすよ?」
「どういう意味?」
「戦車が好きすぎて、戦闘が好きすぎて、いつかそのせいで身を滅ぼす。って言ってんの」
「構わないさ」
戦車の中で死ぬなら本望だ。
戦車は僕にとって、愛すべき棺なのだから。
「戦車に乗れなくなっても?」
「それは困る」
「あたしが報告したら、ロゼは間違いなく厳罰を受ける。もう戦車には乗れなくなるね」
「報告する?」
「もし、その子を」
「コトハを?」
「ここで殺すなら、全部なかったことにしてあげる」
「女の嫉妬って怖いわね」とコトハが両手を広げた。
「嫉妬じゃない。その子が消えない限り、バレるリスクはずっと残る。あたしが報告しなくてもね。でもその子が消えるなら、全部をなかったことにできる」
「なかったことに、するだけなら、何も殺さなくても……」
僕は別に、殺し合いが好きなわけじゃない。
特に、生身での殺し合いは嫌いだ。
僕が好きなのは戦車と戦闘。
戦闘での死は相手であれ自分であれ、仕方ないことだ。
でも、今ここでコトハを殺すのは間違ってる。
「じゃあ、ここで降ろして」
イレアナは酷く暗い目で言った。
僕は寒気がした。
「でも……」
「ねぇロゼ、あたし以外の誰かに見つかったら、辛い目に遭うのはロゼだけじゃない。もしパウルにバレたら?」
コトハは確実に輪姦される。
分かっている。
このままコトハを隠し続けるのは難しい。
僕がコトハを降ろせば、全てをなかったことにできる。
それにみんなハッピーだ。
僕は戦車に乗り続け、イレアナも面倒な報告をしなくて済む上、僕への貸しが増える。
コトハだって傭兵団『雪月花』に向かえる。
ああ、でも、でも!
僕はコトハを失いたくないっ!
と、コトハが僕の腕を引っ張って、僕が少し体勢を崩す。
そして。
コトハが僕に耳打ちをした。
「コソコソしないで」イレアナが言った。「あたしにも聞こえるように話して。次はないから」
「悪かったわね」コトハが言う。「降りてもいい、って言っただけよ」
コトハが真顔で、
ほんの少しも表情を変えず、
ほんの少しも口調を乱さず、
真っ直ぐイレアナを見て嘘を吐いた。
「そう。じゃあ、良かったねロゼ。早く終わりにして帰りましょ」
イレアナはずっと暗い目をしている。
心が壊れた人みたいで、怖かった。
「嫌だ」
「は? 何、言ってんの!?」
イレアナが酷く怒って言った。
「失えない。僕はコトハと楽しく戦車の話をした。もう無理だ。失いたくない」
たとえ君を殺しても、という言葉は飲み込んだ。
僕は酷く残酷な人間だと思う。
仲間を、同僚を、同期を、殺してもいいと思ってしまった。
「本気で言ってるの? どう考えたって破滅しかないじゃない!?」
「破滅したっていい! 頼むから見逃してよイレアナ! また1つ、貸しでいいから!」
「それって返してくれるの?」
「もちろん。何でもいい。イレアナの願いを2つ、叶える。だから譲歩してくれ。僕は戦車に乗っていたい。刑務所なんてゴメンだ。でも、コトハも失えない。頼むよイレアナ」
しばしの沈黙。
コトハは少しだけ、不安そうな表情を浮かべた。
イレアナは真剣に、僕の申し出を吟味している。
僕はただ待った。
「分かった……」イレアナは決断した。「分かったわよもう……」
僕はホッと息を吐いた。
「そんなに安堵しないでよ」イレアナが言う。「あたしのこと、殺そうと思ったでしょ?」
僕は素直に頷いた。
コトハが僕に囁いた内容は、悪魔の囁きだった。
『私を失いたくないなら、彼女を殺すのも選択肢だわ』
その言葉は衝撃だった。
だって、コトハは僕と残ってもいいと、そう思っているって意味だから。
「最低。本当、最低」イレアナは泣きそうな声と表情で言う。「そんなに、その子を監禁していたいわけ?」
「そうだね」
願えるなら永遠に。
コトハと戦車の話をして。
順番に戦車を操縦して。
敵は誰でもいいから楽しく戦って。
そして楽しく死にたい。
「本当に破滅しかないわよ?」イレアナが力なく言う。「永遠には隠せないもの……」
あるいは、と僕は思う。
僕がニア共和国を抜ければいい。
そしてコトハと一緒に雪月花に行く。
あそこなら、イカレた戦闘マニアばっかりで、きっと気が合う。
「それより君は願い事を考えておいて」僕は冗談っぽく言った。「2つだよ。戦車から降りろとか、そういうのは無理だけど、他はなるべく叶えるから」