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剣道部の空気を肌で感じた。木の床に響く竹刀の音。鋭い掛け声。そして——大将、伊達久遠。
九条と佐藤に勧められて、渋々部活見学に来たものの、俺は特に興味はなかった。ただ、九条と佐藤がしきりに「運動神経がいいんだから、一度試してみろよ」と言ってくるので、なんとなく竹刀を握ってみた。
「じゃあ、適当に誰かとやってみるか?」
伊達が提案する。剣道部の一人が前に出る。彼は確かに経験者だった。が、しかし——赤瀬は、まるで無意識のうちに、そのすべてを封じ込めていた。
「ちょっ……待て、赤瀬、お前……」
九条が思わず息をのむ。佐藤も、目を丸くして赤瀬の動きを見つめていた。
そして、赤瀬がたった数分で対戦相手を完全に制し、一本を決めた時——体育館は静寂に包まれた。
「おいおい……何者だ、こいつ?」
誰かが呟いた。
伊達の目が鋭くなる。
「なるほどな……聞いてはいたが、思った以上だ。」
赤瀬は目を上げる。伊達久遠——剣道部の絶対的王者が、自分に向かって歩いてきていた。
「なら……俺と手合わせしてみるか?」
一瞬、体育館の空気が変わる。部員たちが息をのみ、視線が一点に集中する。
「やろう。」
体育館の空気が緊張に包まれる。
竹刀を握る赤瀬の構えは、一見普通に見えた。しかし、伊達久遠はその違和感をすぐに察する。
「……この構え、どこかで見たことがある。」
開始の合図とともに、赤瀬が動く——そして、その瞬間、伊達の目が驚愕に見開かれる。
まるで、剣道界で最強と謳われる人物の動きを完全に再現しているかのようだった。
「なっ……!」
伊達はすぐさま防御の構えを取る。しかし——遅い。
赤瀬の動きは完全に予測済みであるかのように流麗で、迷いが一切なかった。
伊達が仕掛ける。しかし、赤瀬はすべてを見切る。竹刀の受け方、反撃の速度、間合いの詰め方——それはまるで、剣道の頂点に立つ者そのものだった。
「こいつ……本当に素人なのか?」
体育館の部員たちが息を呑む。
次の瞬間、赤瀬が一歩踏み込む。
「面!」
乾いた音が響き渡る。伊達の竹刀が微かに揺れ、勝負は決した。
伊達は静かに息を整え、赤瀬を見つめる。
「……まいった。」
竹刀を下ろし、少し笑みを浮かべる。
「お前の動き……どこで覚えた?」
赤瀬は肩をすくめる。
「なんとなく、こうした方が強いんじゃないかって思っただけだ。」
伊達は驚きを隠せず、少し考え込む。そして静かに口を開く。
「赤瀬、お前……剣道部に入れ。活躍できるぞ。」
体育館の空気がざわめく。
「気が向いたらそうさせてもらう。」
体育館の空気がざわめく中、九条は目を見開いたまま赤瀬を見つめていた。
「……お前、本当に初めてだよな?」
佐藤は興奮気味に肩を掴む。
「やばいって!なんでそんなに強いんだよ!?こんなの、剣道部のエース級の実力だろ!」
赤瀬は竹刀を軽く回しながら、肩をすくめる。
「さあな。ただ、こう動けば勝てると思っただけだ。」
九条は何かを考えるように腕を組み、体育館の床を見つめる。
「なあ……このまま剣道部に入ったら、お前、全国行けるんじゃないか?」
佐藤はすぐさま反応する。
「いや、全国どころか、うちの学校の誇りになるぞ!“謎の天才剣士”ってことで!」
九条は赤瀬の腕を軽く小突く。
「お前、まじで考えてみろよ。これほどの実力があるなら、やらないのはもったいない。」
翌日。赤瀬の剣道部見学での衝撃的な勝利は、一瞬で学校中に広まった。
「おい聞いたか?昨日、剣道部の王者がやられたらしいぞ!」
「しかも相手は部活未経験者……え、赤瀬!?嘘だろ?」
「マジで?あの伊達久遠が負けたって?」
「え、じゃあもう赤瀬が剣道部のトップになるんじゃね?」
教室のどこに行っても囁かれる赤瀬の名前。昼休みになると、知らない生徒にまで声をかけられた。
「剣道の天才ってマジ?」
「なんかコツとかある?」
「今度試合してくれよ!」
赤瀬は溜息をつきながら、九条と佐藤に目を向ける。
「……面倒なことになったな。」
佐藤は満面の笑みで親指を立てる。
「最高じゃん!」
九条はニヤリと笑いながら肩を叩く。
「お前、剣道部に入らない選択肢あるのか?」
剣道部での圧倒的な実力が話題になった翌週、赤瀬は他の部活動の見学をすることになった。
「まあ、一応、いくつか見てみるか。」
そう言いながら、体育館の端を歩く赤瀬の背後で、九条と佐藤はワクワクしていた。
「サッカーとか行くんだろ?もしかして、また天才的なプレーを見せるんじゃ……?」
赤瀬は肩をすくめる。
「さあな。別に深く考えてるわけじゃない。ただ動けばいいんだろ。」
訪れたのはサッカー部。練習試合が行われており、赤瀬はチームに混ざることになった。
「まあ、適当にやってみるか。」
しかし——その適当さが異次元だった。
赤瀬の動きは異常なほど研ぎ澄まされ、まるで相手の思考を読んでいるかのようにパスを受ける。ドリブルも鋭く、守備を完璧にかわす。
そして、ゴール前——
「なっ……!?今のどうやって抜いた!?」
「くそ、こっちの動きを全部読んでるのか!?」
シュートの瞬間、赤瀬の蹴りは迷いなくゴールへ突き刺さった。
「……ふぅ。」
静まり返るグラウンド。
「赤瀬、お前……サッカー部入れ。」
キャプテンが息を整えながら言う。
「いや、俺はまだ決めてない。」
赤瀬の部活巡りは、瞬く間に学校中に広まった。
「聞いたか?赤瀬、どの部活でも異常に強いらしいぞ!」
「かなりスポーツできるって……何なんだ?」
「人間じゃないのか?才能の塊すぎる……!」
昼休みになると、赤瀬の周りには興味津々の生徒たちが集まっていた。
「結局どの部活に入るんだ?」
「まさか、どれも入らないってことはないよな?」
赤瀬は窓の外を眺めながら、考えた。
「俺はなぜ身体が勝手に動く…」
体育祭。
——開会式
晴れ渡る空の下、体育祭が始まる。グラウンドには生徒たちの熱気が満ち、各クラスが色分けされたハチマキを締めて気合いを入れていた。
「赤瀬、お前どれに出るんだ?」
九条が興味津々に尋ねる。
「バスケ、リレー、フットサルだ。」
赤瀬は肩をすくめる。
佐藤が笑う。
「もう結果が見えてる気がするな……お前ならどの競技でもトップ取るだろ。」
しかし——この体育祭は、彼の名前をさらに広めるものとなる。
「3on3のバスケ競技、スタート!」
体育館のコートに立つ赤瀬。赤瀬の動きは別次元だった。
「まずはパス回し——」
そう思った瞬間、赤瀬はボールを受け取り、一瞬でドリブルへと移る。
まるで重力を感じさせないようなステップで、ディフェンスを次々と抜いていく。
「なっ……!?」
「動きが速すぎる!」
そして、彼は迷いなくゴール下へ向かう。
「シュート——!」
赤瀬の手から放たれたボールは、完璧な軌道でリングへ吸い込まれた。
ブザーが鳴る。彼のチームが圧倒的勝利。
対戦相手は呆然と立ち尽くす。
「……バスケ部のエースより上なんじゃないか?」
体育館にいた生徒たちはざわめく。
体育祭のクラス対抗リレー。各クラスが選抜メンバーを揃え、最後の競技として全員が集中する。
赤瀬は、アンカーだった。
「位置について——よーい、スタート!」
最初は他のクラスがリードしていた。
しかし、バトンが赤瀬の手に渡った瞬間——空気が変わる。
異次元の加速——
「速っ……!?」
「え、ちょっと待て、追いついてきてる!」
まるで風のように駆け抜け、赤瀬は数秒で先頭を捉えた。
そして最後の直線——
ゴールへ向かい、完全逆転優勝へ導いた。
「赤瀬、お前人間か!?」
「こいつにバトン渡せば勝てるじゃん!」
クラスメイトたちは歓喜し、赤瀬の名前はさらに広がっていく。
「フットサルの試合、始め!」
体育祭の目玉競技の一つ、フットサル。体育館の中で行われ、各チームがスピーディーな展開を見せる。
しかし——赤瀬は別格だった。
相手の動きを完全に読んで、パスを瞬時に判断。攻めるべきタイミングを見極め、まるで司令塔のようにゲームを操る。
「パス!」
彼のパスが通り、チームメイトがシュートを決める。
「……こいつ、どのスポーツでも異常に上手いな。」
そして最後のプレー。
赤瀬はドリブルで敵をかわし、迷いなくシュートを放つ——
完璧なゴール。
会場は歓声に包まれる。
「赤瀬雷翔、化け物すぎる……!」
「もう、こいつ一人で体育祭の主役じゃね?」
体育祭は、赤瀬の伝説をさらに刻んだ日となる。
彼の名前は学校全体に広まり、誰もがその圧倒的な才能を認めることになる。
そして、その後——
「お前、スポーツ推薦とか考えたことある?」
「いや……俺は別に、ただ動いてるだけだ。」
赤瀬は少し空を見上げながら、静かに答える。
この体育祭の圧倒的な活躍は、彼の名をさらに深く刻むものとなった——。」
体育祭が終わり、グラウンドには夕焼けが広がっていた。
熱気に包まれた競技が終わり、疲れ切った生徒たちが歓談しながら帰路につく。
「いや、お前ほんとに何でもできるな……何者だよほんとに!」
佐藤が肩を叩きながら笑う。
「正直、ここまでとは思ってなかったぞ。」
九条も苦笑しながら頷く。
「まあ、もう噂は確定だな。赤瀬、お前はこの学校の“伝説”だよ。」
赤瀬は水を飲みながら、遠くの校舎を見上げる。
「そんな大げさなもんじゃないだろ。」
帰宅後、夜の静寂が家の中に広がる。
食事を終えた赤瀬雷翔は、ダイニングの椅子に腰を下ろしていた。
窓の外には街灯の明かりがぼんやりと光る。
「……雷翔。」
山田和夫がテーブルの向かいに座り、コーヒーを手にゆったりと息を吐く。
「どうだ、学校は楽しいか?」
赤瀬は少し考え、曖昧な声で答える。
「……悪くはない。」
山田は微笑み、新聞をめくる。
「体育祭の話、聞いたぞ。お前の活躍がすごかったらしいな。」
赤瀬は水を飲みながら、軽く肩をすくめる。
「噂になってるのは知ってる。」
山田はふっと笑いながら、カップを置いた。
「嬉しくないのか?」
赤瀬はしばらく黙る。
そして、窓の外をぼんやりと見つめながら言った。
「……どう反応すればいいのか分からない。」
山田は眉をひそめ、ゆっくりと赤瀬を見つめる。
「記憶がなくても、こうやって生活はできてる。でも、それが“自分”なのか分からない、そんな感じか?」
赤瀬は目を伏せ、ゆっくりと息を吐いた。
「……そうかもしれない。」
山田はカップを手に取り、静かに言った。
「焦る必要はない。お前がどう感じるか、何を選ぶか、それを自分のペースで決めていけばいい。」
赤瀬はぼんやりとその言葉を聞いていた。
「……俺は、俺なのか?」
山田は少し考え込み、そして柔らかく答えた。
「今こうして話している赤瀬雷翔が、お前だ。」
その言葉に、赤瀬はゆっくりと目を上げた。