「思い出をくださいませ」と言われて口づけてしまった。
ふと気づくとエリカの指先が私の体の何処かに触れている。
気がつくたびに心臓が高鳴る。
今も挨拶をして少し授業で解らなかったところを教えて欲しいと尋ねると「どれかしら?」と言って私のノートを覗き込みながらノートを押さえる私の手に触れた。
不自然にならないように手を引くとエリカはクスリと笑った。
「エリカ、嬢・・・」
エリカはにこやかな笑顔を浮かべて授業の内容を教師より詳しく教えてくれた。
その次に触れられたのは婚約者のシルビアと一緒にランチに行こうと思って席を立った時だった。
「オーバル様・・・」
私の名を呼んで引き止めるように私の前腕に手を添えた。
「な、何かな?」
「婚約者の方と昼食をご一緒されるのですか?」
「そうだ、よ」
エリカの表情は後ろ髪を引かれるような表情をして、私の腕から手を離さなかった。
「たまにはわたくしと一緒に昼食をとってくださいませんか?」
「すまない。婚約者と一緒に昼食をとると約束しているんだ」
「そうですか・・・」
何かを諦めた者がする表情を浮かべて私の腕から手を離した。
この時、何故か手を引くことができなかった。
手を引くべきだったのに、エリカが触れてくることに愉悦を感じてしまっていた。
教室から出ようとしたらシルビアが私とエリカを見ていた。
それからもエリカは何かと私に触れた。
ダンスの授業では私をパートナーに選び、教科書を忘れたと言っては私との距離を詰めてきた。
少し馴れてしまってエリカに触れられることに鈍感になってしまっていたかもしれない。
触れられると悪い気も、いや嬉しかった。
友人たちにエリカとの距離の近さを指摘されたが、私から近寄っているわけではないと言い訳をした。
エリカは多分私のことが好きなんだと思った。
結婚前のちょっとした思い出になると、私からもエリカとの距離を詰めてしまった。
卒業間近の最後の授業が終わった日、エリカに教室に引き止められた。
教室から一人減り二人減り、私とエリカだけが教室に残った。
「オーバル様・・・」
「何かな?」
「お話しできるのもこれが最後かもしれません」
「そう、だね」
エリカが私に触れるのも今日が最後なのだろうかと少し寂しく思ってしまう。
エリカは私との距離を一歩、また一歩と詰めてきて私の胸にエリカの手の平をあててきた。
「エリカ嬢・・・」
「今日を最後にしますから思い出をくださいませ」
「思い出?」
エリカの額が私の胸にあたる。
小首をかしげるように私を見上げエリカは目を瞑った。
私は引き寄せられるようにエリカの後頭部を掴んで上向かせてエリカの唇に唇を落とした。
唇を離すとエリカの手の平が私の後頭部に回されて引き寄せられ再び唇が合わされる。
唇が触れるだけのものではなくなり、舌を絡めあった。
意識せずにエリカの胸に私の手が触れる。
エリカは嫌がることなく私の手を受け入れてくれた。
どれくらい口づけを堪能したのか、自然と唇が離れた。
エリカも私も荒い息をしていて私は自分のしたことを後悔した。
「エリカ嬢、すま・・・」
「謝らないでくださいませ。思い出をありがとうございました。シルビア様とお幸せに・・・」
「それは無理じゃないかしら?」
第三者の声が直ぐ側から聞こえて私は飛び上がって、声の方に振り返った。
「シルビア・・・」
「エリカ様、良かったですわね」
「えっ?」
「わたくしとオーバル様の婚約は破棄されることになりますから、これからも思い出をお二人で作られるといいと思いますよ」
「シルビア!!」
シルビアは私に背を向けて歩き出す。
慌てて追いかけようとしたらエリカに腕を掴まれ引き止められる。
「オーバル様・・・」
「ごめん。シルビアを追いかけなくては!!」
エリカの手を振り払いシルビアを追いかける。
ほんの一瞬エリカに引き止められただけなのにシルビアの姿が見当たらない。
私は馬車寄せへと急ぐ。
シルビアが馬車に乗り込み、馬車は私を待つことなく動き出してしまった。
急いで馬車に乗ろうとしたけれど荷物を教室においてきたままなのを思い出して、一旦教室へ戻るしかなかった。
教室に戻るとエリカの姿も荷物ももうなくて、私の荷物だけがぽつんとからの教室に残っていた。
その後シルビアを追いかけシルビアの屋敷へと向かった。
屋敷に上げてもらうことも叶わず、体よく執事に追い返されてしまった。
その翌日、婚約破棄の書状が届いた。
到底受け入れられない申し出にシルビアと会おうとしたけれど、卒業式の会場まで顔を合わせることができなかった。
卒業式が始まる前に話をしたかったけれど話しかける隙を見つけられなくて、卒業式後にやっとシルビアと話ができる状況になった。
「シルビアごめん!!あれはその場の雰囲気に呑まれただけなんだ!!エリカのことが好きとかそういうことじゃないんだ!!」
「わたくしにもエリカ様にも失礼な発言だわ」
「ご、ごめん。でも私はシルビアが好きなんだ」
「もうその言葉は信じられないわ」
「本当なんだ。信じてくれ」
「婚約破棄の書類にサインしてください」
それから何度も何度もシルビアに謝罪したけれど、シルビアが許してくれることはなく、父に「いい加減諦めて婚約破棄の書類にサインしろ」と言われてしまった。
父にシルビアのために婚約破棄ではなく婚約解消で話をまとめてきて欲しいと頼んだ。
父が婚約解消の書類を取り寄せてくれて、破棄と解消の両方にサインして父に渡した。
私の不貞が原因の婚約解消になり、父は領地の一年間の税収とほぼ同額を支払った。
それからたった一月後にシルビアはエリカの兄と結婚した。