淡い思いは直ぐに打ち消されてしまう
今日は私コーウエン子爵家の娘マニカルニッカと、バルリトカーノ伯爵家の嫡男ガルヴィアイス様との婚約の初顔合わせだった。
私達は互いに十歳。婚約というものがどういうものか私には良く解っていなかった。
二人で遊んでおいでと両親に部屋から追い出され、私の部屋へガルヴィアイス様を案内することになった。
私はガルヴィアイス様に「婚約とは何でしょう?」と尋ねるとガルヴィアイス様も首を傾げていて、私の側付きの使用人が「将来結婚するお約束の相手ですよ」と教えてくれた。
「将来結婚するのですか?私とガルヴィアイス様が?」
「結婚とは何なのだ?」
今度はガルヴィアイス様の側付きの使用人が「ご両親のように仲良く一緒に暮らして、子供を産むことですね」と教えてくれる。
「両親のように・・・?」
「はい。ですが今はまだそんな先のことは考えなくてもいいので、お二人が仲良くすることが一番大事です」
「そういうものなのですか?」
私は自分の側付きに視線を向けて尋ねると「その通りでございます」と頷いてくれた。
私とガルヴィアイス様は「仲良くなろうね」と約束した。
それから五年の月日が流れ、私達は学園へ通うことになった。
私の領地から学園に通うことは物理的に無理があったので、バルリトカーノ伯爵家のタウンハウスの一室を借りて、一緒に学園へと通うことになった。
いまではもう婚約者の意味は解っているけれど、私とガルヴィの仲はすこぶる良いけれど恋愛には程遠い関係だった。
周りはなんとか私達を男女の愛情を持つようにと悪戦苦闘していたけれど、私達はそう言われても互いを異性として意識できなかった。
私は異性として一学年上のポールマック様が好きだったし、ガルヴィは私と同じクラスのメビレストーレ様が好きだった。
ガルヴィはポールマック様と同じサロンで仲が良く、いろいろな話を私に聞かせてくれて、私はメビレストーレ様と仲良くなり、メビレストーレ様の話をガルヴィに話していた。
ガルヴィは日に日にメビレストーレ様に熱を上げ、二年生になった時、告白すると決意した。
「さすがに私という婚約者がいて告白するのはまずくない?」
「だがなにか行動を起こさないとこのままではないか!」
「まぁ、そうよねぇ・・・」
ガルヴィは翌日、有言実行で昼休みにメビレストーレ様を呼び出して告白してしまった。
驚いたことに私からガルヴィの話を聞いていて、メビレストーレ様もガルヴィの事を憎からず思っていたと伝えられ、二人は秘密裏に付き合うことになってしまった。
二人の側で私一人がポツンとおじゃま虫で居ることに居た堪れなくなり、私は二人から距離を取るようになった。
ガルヴィとメビレストーレ様に私が蔑ろに扱われていると学園で噂されるようにまでなってしまっていた。
コソコソとした噂で一人の私は学園での居心地が悪くなったけれど、ときおり声を掛けてくれるポールマック様の優しさに私はほんの少し癒やされていた。
そんな時、ポールマック様が婚約者と婚約破棄したと噂が流れた。
ポールマック様は少しやつれたように見え、私は心配でならなかった。
この時の噂を私はちゃんと耳に入れておくべきだった。
そんな時、ガルヴィのご両親から「ガルヴィが私と婚約解消したいと言っている」と聞かされた。
私は逡巡したけれど「解消してもいいと私も思っています」と答えた。
私達の両親が話し合って、ガルヴィから少しのお金を貰って、卒業までバルリトカーノ伯爵家のタウンハウスに滞在する許可はもらえた。
けれどさすがにそれは私の立場的に不味いだろうという話になり、私の入寮の費用をバルリトカーノ伯爵家が負担してくれることになった。
瞬く間に私とガルヴィの婚約破棄の噂が出回って、私は瑕疵のある女として見られるようになった。
ガルヴィとメビレストーレ様はその噂を拒否して回ってくれたけれど、婚約解消された女というのは私達が思っていた以上に大きな問題だった。
ガルヴィとメビレストーレ様が私を守ってくれていたけれど、学園に行くのが億劫になり、私は寮の部屋に閉じこもるようになった。
そんな時にポールマック様から手紙が届いた。
とても私を心配している。噂に負けないで欲しい。授業に出ておいでと美しい文字で書かれていた。
私はその手紙を鞄の中に入れて、翌日から授業に出ることに決めた。
ポールマック様にお礼の手紙を書いて、明日から通うと認めて使者の方に返事を渡した。
翌朝、ポールマック様が寮の前に立っていた。
「ポールマック様!!」
「一人で行くのは勇気がいるかと思って・・・」
ポールマック様の優しさに私は胸打たれた。
「あ、ありがとうございます・・・」
「婚約解消は解消より、その後の方が辛いよね」
「はい。こんな風に外に出るのが怖くなるとは思いませんでした」
「男の私でも辛かったんだから、女性のマルカルニッカ嬢なら一層辛いと思うよ。でも負けないようにしよう。お昼は教室まで迎えに行くよ。一緒に食べよう」
「・・・いえ、教室まで来ていただくのは・・・渡り廊下まで行きます」
ポールマック様は「じゃぁ、一緒に昼食を食べようね」と優しい笑顔で笑ってくれた。
教室に入るとメビレストーレ様が私の側に駆け寄ってきてくれて、凄く喜んでくれた。
隣の教室に行き、ガルヴィを呼びに行く。
ガルヴィも喜んでくれて、友達っていいなと思った。
けれど私の噂が消えているわけではなく、耳を塞ぎたい衝動と戦っていると、私の噂よりガルヴィとメビレストーレ様の方が悪し様に言われていることに気がついた。
私だけが悪く言われていると思っていたけれど、それよりも大きな声でガルヴィ達の方が悪く言われていた。
その中でポールマック様や元婚約者の方の話も色々と噂されていた。
無責任な噂をしないで欲しいと相手に伝えてみたけれど、噂は小さくならなかった。
ポールマック様やガルヴィ達に守られて一ヶ月が経つ頃、父から手紙が来た。
私を心配する内容で、最後に婚約の申し込みがあったので一度会うだけ会ってみなさい。断ってもかまわないから。と会う場所、日付、時間が書かれていた。
私は指定された日に指定された場所へと向かった。
そこにはポールマック様がいて、私を見つけると私の下に来て私に手を差し出した。
「エスコートをさせてもらってもいいかな?」
私は手を差し出して、考えてみたら父以外にエスコートされるのは初めてだと思い至って少し胸が弾んだ。
ガルヴィとはそんな関係にはなれなかったし、婚約者が居る私にエスコートをしようとする相手は当然いなかった。
頬が熱くなるのを止められなかった。
「どうしてポールマック様がここに?」
「マルカルニッカ嬢に婚約の打診をしたのは私なんだ」
信じられない気持ちで話を聞く。
「ごめんね。愛しているという感情はないけれど同病相憐れむ的な感情からの婚約打診ではあるんだ」
「そ、そうですか・・・」
かなりがっかりした。私はポールマック様が大好きだったから。
「今までの間に好意を抱けなかったのなら、この先もそんな感情は抱けないのではないですか?」
「それは、解らないとしか言えない。でも私とマルカルニッカ嬢が婚約するのはいい話だと思うんだ」
「ですが私はもう二度と婚約解消をしたくありません」
「それは私もだよ。婚約は絶対解消しない。必ず結婚すると約束するよ。少しずつ愛を育てていくのはどうだろうか?」
「愛が育ってからでは駄目なのですか?」
「私は後三ヶ月で卒業してしまうんだ。マルカルニッカ嬢と愛を育てている時間はないと思ったんだ。卒業してしまうと今のように会えないしね」
「・・・・・・」
「今のままの状態で、私が卒業する時に婚約するかどうかの返事をくれると言うのはどうだろうか?」
「それなら・・・」
色んな感情がない混ぜになって、そう答えるので精一杯だった。
それからはポールマック様は私を婚約者のように扱い、私にお姫様気分を味わわせてくれたけど、この行為に愛はない、勘違いをしてはいけないと自分に言い聞かせた。
そんな風に考えているからか、大好きだったポールマック様が少し色褪せたように思った。
卒業式が近づいてきて私はポールマック様に尋ねた。
「私に後輩以上の感情はいだけましたか?」
「マルカルニッカ嬢のことを好きだと思うよ」
「愛ではないのですね?」
「・・・解らない。というのが正直な気持ちだ。だけど二人でゆっくり愛を育てるのは駄目だろうか?」
「解りません・・・」
私にもポールマック様にも新たな婚約の申込みはなかったらしい。
父からは私はもうポールマック様と婚約すると思われていたし、両親同士の話し合いは恙無く終わっていると聞かされた。
父は私が侯爵家へと嫁ぐことを殊の外喜んだ。
ポールマック様の家はビュスタート家と言って代々王家に仕える宰相や重鎮が多い家系で、伯爵家の我が家にとっては何を犠牲にしても縁続きになりたい家柄だった。
互いの両親とポールマック様、私の六人で会うことになり、私以外は皆嬉しそうな笑顔で婚姻届けに署名していた。
私がサインすれば婚約は纏まる。
私は指先が震えるのを感じたけれど、五人の視線の強さに負けてサインしてしまった。
婚姻は早い方がいいとポールマック様から言われて、私の卒業の半年後に結婚することに決まった。
学園の授業を受けながら結婚の準備をしていると瞬く間に私の学園生活の終わりがやって来た。
ガルヴィとメビレストーレ様は一年間ほど婚約期間を楽しんで結婚すると話して聞かせてくれた。
二人を羨ましく思いながら私達は学園を卒業した。
ポールマック様と久しぶりに会って、結婚の準備が着々と進んでいく。
「本当に私と結婚していいのですか?」
「もちろんだよ」
ポールマック様のその笑顔に少し安心して、後顧の憂いを振り払いながら、私とポールマック様は結婚した。
結婚式で疲れた体で夫婦の寝室でポールマック様が来るのを待つ。
それほど待つこと無く現れたポールマック様は私の下に来て私に口づけ、私をベッドの上に寝かせた。
初めてのことに翻弄されたけれど、やはり好きな人に抱かれるのは嫌ではなく、嬉しかった。
これできっと幸せになれるとその時、思った。
事が済んだ後、ポールマック様は私に「ガウンを着て待っていてくれ」と言って部屋を出ていった。
戻ってきた時は一人の女性を伴ってきた。
「マルカルニッカ、紹介しておくよ。私が今、愛しているベイリだ」
「えっ?」
「すまない。マルカルニッカとはいい関係でいたいと思っている。けれど愛を見つけたんだ。君とは婚約解消しないと約束したから結婚した。ベイリは平民だし子供が生まれたとしても認知しないという約束も出来ている。この家の後継ぎはマルカルニッカが産む子供と決まっている、ベイリと上手く付き合って欲しいと思っている」
私の思い描いていた幸せはガラガラと崩れていった。
ポールマックは私が妊娠するまでは私の下に毎晩通った。
私の心は少しずつ壊れていく。
妊娠が解った途端、夜を夫婦の寝室で過ごすことはなくなった。
ポールマックが夜どこで何をしているのか私は知らない。
想像はつくけれど。
私は女の子を産んだ。
半年ほどするとポールマックは私を夫婦の寝室へ誘うようになり、私の心は壊れたまま、二人目を妊娠するまでポールマックは私の下に通った。
そんな時、ベイリと別れたとポールマックに聞かされた。
新しい愛を見つけたのだと。
今度の相手は男爵家の娘でアンナビルカ様というまだ学園も卒業していない子供だった。
「貴族の娘に手を出してどう責任を取るつもりなのですか?」
「侯爵家の我が家に逆らうことは出来ないだろう」
「貴族の方を愛されるのなら、私は離婚しても宜しいですよ」
私はポールマックから自由になりたかった。
「それは出来ないよ。我が家の跡取りはマルカルニッカが産む子供と決まっているからね」
「・・・そうですか」
私は二人目の子を妊娠して、ポールマックは本当にまだ子供のアンナビルカ様に手を出した。
男爵が我が家に乗り込んできたが、ポールマックは簡単にあしらい、アンナビルカ様と戯れていた。
アンナビルカ様はしょっちゅう私の前に現れて、私に離婚するように勧めてきた。
「私も離婚したいのですが、旦那様が許してくださいません。私に離婚を進めるのではなく、旦那様に申し出てください」
その事を使用人からポールマックに報告がされたのか、ポールマックがアンナビルカ様に興味を失うのは早かった。
アンナビルカ様が侯爵家に立ち入りが禁止され、ポールマックに二度と会いたくないと言われて、アンナビルカ様は自傷行為をポールマックの前で行い、ポールマックはそれに知らん顔をした。
本邸にまでアンナビルカ様の悲鳴が聞こえてきた気がして、私は耳をふさいだ。
暫くポールマックの愛する人は現れず、嫌々ながらも私が相手をするしかなかった。
三人目が生まれて四人目が生まれた時、ポールマックが私に「愛しているよ」と言った。
私は「馬鹿じゃないの?」と答えた。
私は離婚を申し立てた。
ポールマックは絶対に離婚しないと言って五年が経った。
毎日ポールマックに「愛している」と言われるが、心に響いたことはない。
離婚することも出来ずに私はこの家で燻っていくのだと絶望を感じながら今日も日が暮れた。