ハンガーサルベーション
ある日の夜、2階のベッドでいつものようにエロ動画を見ながらちんちんをいじっていると、ふと妙な音が聞こえた気がした。
目を閉じ、神経を耳に集中させる。
屋根に打ちつけられる雨の音、1階から聞こえてくる母さんのドラマの声、そして⋯⋯
『うぅ⋯⋯ぐぅ⋯⋯』
微かだが、男のうめき声のようなものが聞こえる。
それはまるで生気が感じられず、人の抜け殻から発せられているような不気味な声だった。
「せっかく人が気持ちよくなろうとしてんのに⋯⋯」
明日も学校だってのに、これじゃ寝られない。どうしたものか⋯⋯
『うぐぅ⋯⋯』
うめき声は続いている。上から聞こえているようだった。
しかしここは2階建てだ。もし上から人間の声がするとなると、こんな雨の中、屋根の上に誰かがいるということになる。そんなことは有り得ないだろう。
ふと画面を見ると、どエロいアングルでどエロい行為が行われていたので、不意に果ててしまった。
最後の力を振り絞り、ティッシュを4枚取ってちんちんに被せた。そこで俺の意識は途切れた。
朝起きると、股間に乗せたティッシュがパリパリになっていた。
ティッシュを丸めてゴミ箱に放り込み、部屋を出てシャワーを浴びようと思ったその時だった。
『うぅ⋯⋯ぐぅ⋯⋯』
またうめき声が聞こえたのだ。
『ぐぅ⋯⋯ぬぅ⋯⋯』
屋根に何かがいるのだろうか。
もしかしたら、幽霊なのではないか。
自分の部屋で怪奇現象が起こるのは気分の良いものではないので、俺はパンツとズボンを履いてベランダに出た。
屋根を見てみると、知らないおじさんが小さな声を出しながら体をくねくねさせていた。
「きっしょ!」
つい叫んでしまった。
すると、それを聞いたおじさんがこちらを向いて言った。
「しまった、見つかった!」
見つかった?
見つかったってなんだ? 隠れてたつもりなのか? いやどう見ても丸出しじゃん? ていうかコイツなに?
「なんだお前!」
俺が訊ねると、おじさんは涙を流しながら語り始めた。
どうやらコイツは屋根を伝ってこの家に空き巣に入ろうとしていたらしく、その途中でヘマをして屋根に引っかかっていたのだが、バレるわけにはいかないということで住んでいる俺たちに気づかれないように声を殺して必死で体をくねらせて抜け出そうとしていたのだそうだ。
「屋根に引っかかるってなんだよ」
「知らねぇよ! こっちが聞きてぇよ! お前ん家の屋根どうなってんだよマジでぇ!」
なんで空き巣に家の文句言われなきゃならないんだ? じいちゃんが建ててくれたこの家の文句を。
それにしても、空き巣かぁ。警察呼ぶか。でも何も盗られてないし、家にも入られてないな。警察ちゃんと動いてくれるかな。
「なぁ、助けてくれねぇか?」
空き巣が小声で言った。というか最初からずっと小声だった。
「なんでそんな声ちっちゃいの」
「もう5日飲まず食わずなんだ。体力の限界なんだ」
「貧乏なの?」
「いや、5日前から引っかかってるんだ」
「そんな前からいたのかよ」
「だから助けてくれよ。助けてくれれば警察でもなんでも行くからさぁ」
空き巣が泣き始めた。なんだお前、空き巣の分際でなに泣いてんだよ。
「とりあえず持ってるもん全部出せ」
危険があるかもしれないからな。そもそも弱ってるってのも嘘かもしれないし。
「分かった⋯⋯」
空き巣はそう言うとポケットから小さなナイフを取り出して、屋根を伝わせて俺に渡した。
それからスタンガン、ロープ、睡眠薬、ハイチュウも出てきた。
「強盗じゃねーか! あとおっさんがハイチュウ食ってんじゃねぇよ!」
「何言ってんの君? じゃあ何歳までOKで何歳からダメなの? 10秒以内に答えて? はい10、9、8、7⋯⋯」
なんだコイツ。
「3⋯⋯2⋯⋯1⋯⋯はいアウト〜! お帰りくださ〜い」
「はい」
あんなのに構ってらんないよな。あいつの言う通り家の中に戻ろう。あんなやつは野垂れ死ねばいいんだ。
「待ってよ!」
「なんだよ」
「助けてよ!」
なんなんだコイツ! ムカつくな!
「さっきあんな態度取っといて助けてもらえると思ってんのかよ」
「⋯⋯そんなに助けたくないなら助けなくてもいいけど、君は人を見殺しにすることになるんだよ。その十字架を一生背負って生きる覚悟はあるかい?」
確かに気分は悪いな、助けるか⋯⋯
だけど助けたあとボコボコにしてやろ。そうしないと気が済まないわ。
俺は助けると決めて部屋の中に戻った。
「ちょっと待ってよ! おーい! おい待てーっ! クソガキがぁーーっ! 嘘つきぃーーっ! 死ねーーーーーー!」
うるさいやつだ。ちょっとくらい待てないのか。
俺は1階から台になりそうなものを持ってきて、物干し竿を手にベランダに出た。
「戻って来てくれると信じてたよ! ありがとう!」
調子のいいやつだ。
「とりあえずこれでつついてみるよ」
引っかかってるっていうんならつつけば落ちるだろ。
「痛っ、痛い痛いっ!」
「男だろ、我慢しろよな」
「痛っ! 痛ーーーーーっ!」
「うるせぇな! 自分で引っかかったんだろうが!」
「お前ん家の屋根が悪いんだろうが!」
「また言った!」
俺は棒で思い切りつついた。というか突いた。
「へぐぅっ!」
空き巣もとい強盗は歯を食いしばり、涙を溜め始めた。
「苦しめ悪人め」
「ぐぅ⋯⋯おケツが⋯⋯おケツがぁ⋯⋯」
えっ。
物干し竿の先を見てみると、黄土色のネチャネチャした粘土のようなものが大量についていた。
「奥まで挿し込んだわけじゃないのにどうして!?」
「言ったじゃん⋯⋯5日ここにいるんだって言ったじゃん⋯⋯!」
そうか、あのズボンの中はうんちでモコモコなのか。それをつついたんだから物干し竿について当然か⋯⋯
にしてもネチャネチャしすぎだぞこれは。良い焼き芋みたいな粘度だ。匂いも心做しか甘い気がする。
「なんだお前、この便は!」
「糖尿なんだ」
なんで俺屋根に引っかかってる空き巣とこんな会話してんだろ。あ、強盗だった。
それにしてもなんで取れないんだ? どんな引っかかり方してんだ?
「痛っ! 痛っ! 臭っ! 臭っ!」
どれだけつついても落ちてこない。
仕方ない、父さんを呼ぶか。母さんはパートに出かけてていないけど、父さんは遅番だから昼まではいるんだ。
俺は部屋の中に戻った。
「おいおいどこ行くんだよちょっと待ってよ! おーい! おい待てーっ! クソガキがぁーーっ! 嘘つきぃーーっ! 死ねーーーーーー!」
あいつ自分の立場分かってんのかな。
離れの部屋でパソコンをやっていた父さんに事情を説明すると、ギャポギャポと爆笑したあと「任せろ」と言って立ち上がってくれた。
物置からマジックハンドを取り出して、2人で2階へ向かう。隣の家の柿とみかんを盗む用に買ったものだ。
空き巣のケツを掴んで引っ張る父さん。
「痛たたたたたなにこのマジックハンド強っ!」
「なんだこりゃ、全然動かん」
「でしょ。5日もこのままらしいから、もしかしたら癒着してるかもしんないよね」
「5日も⋯⋯! おいお前しっこしてないだろうな!」
「昨日の雨で流れたよ。止んでからは出してない。だって何も飲んでないんだもん」
「うーむ⋯⋯」
父さんがあの手この手で空き巣のケツを引っ張っている。
「あんまり無理にやらないで! おケツが取れちゃう!」
泣いている。
なんか不憫になってきた。
「取れないな⋯⋯」
「どうする? 父さん」
「俺も怖くて屋根になんか登れないからなぁ。仕方ない、お義父さんを呼ぶか」
そうだ! この家を建ててくれたじいちゃんなら1発だ!
父さんが電話をしたあと、程なくしてじいちゃんが軽トラに乗って現れた。
「ご無沙汰してます。どうぞ上がってください」
「ヒロシくんがぼくを呼ぶなんて珍しいじゃないか。よほど緊急なんだね」
階段を登りながら話す父さんとじいちゃん。
「そうなんです。とりあえずここのベランダに出てもらって⋯⋯」
「なんかイカ臭っ」
グサッ。
俺の部屋イカ臭いの?
俺はもう鼻が慣れちゃってるから気づかないだけで、この部屋ってそんなにイカ臭いのか。父さんも気づいてるのかな⋯⋯
「ん? なんだあれ」
「空き巣らしいんですが、なんか引っかかっちゃったみたいで」
「引っかかった?」
「屋根に」
「屋根に引っかかることなんてあるのか?」
「ぶぁっくしょい!」
「ああーうちの瓦に唾と鼻水が!」
父さんが空き巣を睨んで叫んだ。
「昨日は大雨だったからな」
冷静なじいちゃん。
「大丈夫かなあの人」
「祐介は心配するな、おじいちゃんが必ず助けてくれるさ」
俺祐介っていうのか。初めて知った。
「そんな無責任な⋯⋯なんでぼくが空き巣なんか」
そうは言いながらもじいちゃんは屋根に登って見に行ってくれた。
空き巣に老人を近づけるなんて本来あってはならないことだが、あいつはもう居直り強盗になる気力も残っていないはずなので、おそらく大丈夫だ。ていうかめっちゃ泣いてるから見てられないんだよ。だからじいちゃん、どうかその人を助けてあげて!
「あー、無理だなこりゃ」
じいちゃんが呟いた。
「屋根壊さないと取れないわ」
「じゃあいいです」
「あいよ」
父さんはじいちゃんに作ってもらった家を誰よりも大事にしていたので、空き巣ごときのために傷をつけるなんて有り得ないとのことだった。
よく考えたらそうなので、俺も賛同した。
他言しなければ空き巣が勝手に屋根に引っかかったというだけで、我々3人が何を言われる心配もない。3人の男の秘密が出来たのだ。
それから何日かうめき声は続いていたが、やがてそれも聞こえなくなった。
忘れた頃に、屋根から黒っぽいネバネバした液体が垂れてきた。とんでもなく臭かった。
屋根を見ると、カラスが大量に集っていた。
ハイチュウってけっこう美味いんだね。久しぶりに食べて感動したよ。