『黒木渚論・・・その歌詞と方法論』
『黒木渚論・・・その歌詞と方法論』
㈠
今年で10周年を迎える、黒木渚※だが、ベストアルバムに入っている歌詞を読んで、やはり秀逸だな、と思うのである。何と言うか、無駄が無いのに、隙も無いというか、やはり完成度が非常に高い、と言えば、最適だと考えている。
㈡
勿論、歌詞には、音楽が付いていて、曲として存在しているのだから、歌詞だけを見ても、意味はあるまい。歌詞の価値というものは、音楽の演奏、音律、そして声によって、多方向に様々に、意味を含蓄して、成立するのである。
㈢
既出論、『黒木渚論・・・10周年の間の歌詞の変遷』、でも歌詞を取り上げたが、黒木渚の曲は、音の押し引きによって、形成されている様に思う。例えば、「ダ・カーポ」の、
ここに出口はない
(「ダ・カーポ」黒木渚)
とあるように、その音の押し引きに入り込んだなら、聴き手も、出口はなくなるだろう。これは、一種の黒木渚の方法論ではないだろうか。6/15に、単行本、文庫本の発売、7月にライブ、と、目まぐるしく、黒木渚は動いている。是非、アルバムと書籍を手に取って、ライブに臨んで貰いたい。
※黒木渚という本名で活動されているので、黒木渚と表記していますが、決して渚さんを呼び捨てにしている訳ではないことを、ご了承願います。