第九十五話 黒に染まる心
カレンとケンタが殺害された、その日の夜。
ソウマは自室のベッドで魘されていた。意識は戻らないままだったが、顔中に汗をかき、胸を掻き毟っていた。
クロキは少し離れた所で椅子に腰掛け、その様子を見守っていた。
(ずっとあの調子だ……。しかし、これはまだ打てない……。注射の数は限られている。)
クロキは手に持っている注射器を見つめた。
そうしている間もソウマは意識の無い中で苦しみ続け、ハアハアと息を荒げていた。
ソウマの頭の中には、これまで自分が目の当たりにしてきた出来事が、まるで悪夢のように映像となって現れていた。
セントクレア魔法学校で悪魔に殺されたミカ、クースケ、シンゴ。
ファナド基地で殺されたシドウ、アリサ、カンナの墓標。
目の前で天使アリスに殺されたルシフェル。
『セントクレアは始まりに過ぎません。バロア国民を救うため、我々バロア国政府はこれから先もベリミットの各地を襲撃し、人間達を狩猟し続ける事になります。』
ガリアドネの声が頭に響く。
『生きるため、当然の事をしただけだ。弁明など必要ない。』
グリムロの声が頭に響く。
血溜まりの中で倒れるカレンとケンタが頭に浮かぶ。
逃げ去っていく二体の悪魔が頭に浮かぶ。
そして――。
「うああああああ!」
ソウマ絶叫しながら飛び起きた。ハアハアと荒い息を吐き、見開いたその目は瞳孔が開き切り、ソウマが正気を失っている事を物語っていた。
「ソウマ君? 大丈夫かい?」
クロキはすぐに駆け寄り、ソウマに声を掛けた。
しかしソウマは返事をしない。ただクロキを睨みつけ、「どけ。」とだけ言ってベッドから起き上がった。ヨロヨロと立ち上がり、何かに取り憑かれたかのようにフラフラと歩き出す。
クロキはソウマの肩を掴み、ソウマを呼び止めた。
「待つんだ、ソウマ君。ベッドに戻るんだ。」
クロキはいつもより少し強い口調でソウマに命じた。
「離せ。」
ソウマはクロキのほうを振り向き、命令口調でクロキに言った。その顔は依然として虚ろな表情だったが、目からは血が溢れ始めていた。
クロキはそんなソウマを真っ直ぐ見つめたままで、肩を離そうとしない。
ソウマはクロキを睨んでいたが、イラついたように一度こめかみをピクリと動かすと、クロキの手を払って再び出口に向かって歩き出した。
(もう限界か……。)
クロキは注射器を構え、ソウマに打とうと近付いた。
その時――。
ドクンッ。
クロキの呪いの傷が、一度だけ大きく跳ねた。
その瞬間クロキの傷に激痛が走り、クロキは床に蹲った。思わず注射器を手から離してしまい、注射器は床に当たって砕け散った。中に入っていた水色の液体、悪魔化治療薬が床に広がる。
「があ……ぐっ……うぅ……!」
クロキは呻き声を上げるばかりで、痛みでその場から動けない。
(こんな時に……!)
クロキは心の中で悪態をついたが、最早どうにもならない。
ソウマはクロキを置いて出口まで歩き、扉を開けて部屋を出ていった。
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夜の暗闇に包まれた、拠点の廊下。
その廊下を、ソウマはヒタヒタと歩いていた。背中は曲がり、足元は覚束ず、歩みを進める度に体が左右に揺れる。その姿はさながら亡霊のようだった。
顔からは完全に生気が失われ、悪魔化以前の面影は何処にもない。目は虚ろで、口からは涎を垂らし、頬はげっそりとこけている。目から溢れる血の涙は顎の辺りまで垂れ、雫となって床に落ちていった。
(憎い……。)
ソウマの心の中には、激しい憎悪の奔流が渦巻き始めていた。
(悪魔が憎い……。)
その奔流は言葉となってソウマの頭の中に響いた。
(天使が憎い……。)
やがてソウマの体に、徐々に次の変化が訪れ始めた。歯は獣のように鋭くなり、犬歯が牙のように発達していく。さらに爪が鋭くなっていき、猛獣のような獰猛さを持ち始める。
(殺す……。)
爪と歯の変化の次は、今度は背中から翼が生え始めた。ドラゴンのそれのような黒い膜状の翼が、右翼側だけ生える。
翼が生える時に痛みが走ったのか、ソウマは苦痛で顔を歪ませた。
(殺したい……。)
それでもソウマは憎悪を続ける。
(悪魔を殺したい……。)
右翼に続いて左翼も背中から生えてくる。
翼が生えた時に体のバランスを崩し、ソウマはよろめいた。ゆっくりと態勢を元に戻すが、首だけは傾けたままの状態で、ソウマは再び歩き出した。
(天使を殺したい……。)
翼の次は、角が頭から出現した。黒い巻き角が二本、額の上辺りから生えてくる。
(全てを滅ぼしたい……。)
ソウマは廊下を歩き終え、階段の前まで来た。
(力が欲しい……どうすれば手に入る……?)
ヨロヨロと階段を下りていく。
(力が……欲しい……力が……欲しい……。)
階段を下りながら、ソウマは同じ言葉を繰り返した。
「ぐ……! うぅ……!」
ソウマの尾てい骨辺りから鱗状の尻尾が生え、ソウマは思わず呻き声を上げた。
(欲しい……欲しい……!)
ソウマは心の中で求め続けた。
(全てを……全てを滅ぼす力が!)
ソウマはカッと目を見開いた。
そのソウマの目の前には、悪魔王の宝玉が、静かに佇んでいた。