第九十四話 伝え聞く惨劇
ソウマは呆然自失の状態だった。その様子は、ルシフェルの死を目の当たりにした時と、まるっきり同じだった。目は大きく見開かれ、口は半開きの状態。動悸は激しくなり、呼吸はドンドン乱れていく。
そんなソウマの目の前には、悪夢のような光景が広がっていた。
カレンとケンタの、無残に食い荒らされた遺体。血で真っ赤に染まる床。飛び去っていく二体の悪魔の影。
「ぐぅ……うぅ……!」
ソウマは嗚咽を漏らしながら、両目から血の涙を流し始めた。怒りを噛み締めるように歯を食いしばり、ギリギリという歯軋りが鳴る。その歯は獣のように鋭くなり、同時に目つきも鋭くなっていった。
「ソウマ君! 待て! 落ち着いて……ゆっくり深呼吸をするんだ!」
クロキはソウマの両肩を掴み、必死に呼び掛けた。
しかしその呼び掛けも虚しく、ソウマの様子はドンドンおかしくなっていった。
「ぐぅ……がぁ……!」
ソウマは頭を抱えて苦しみだし、その場で頭を揺すって暴れ出した。
ソウマの手の爪は、獣のそれと同じように形状が鋭く獰猛になり、口からはブクブクと泡を吐き出した。
クロキは暴れるソウマを抱き締め、呼び掛けを続けた。
「ソウマ君! 駄目だ! 悪魔に心を明け渡してはいけない! 戻って来るんだ!」
クロキの呼び掛けは、ソウマには全く届かない。
ソウマはクロキの腕の中で暴れ続け、クロキを振り解こうと藻掻いた。鋭くなった爪でクロキのワイシャツを引っ掻き、クロキの首に噛み付く。
クロキの体は傷付き、僅かに血が滲んだ。それでもクロキは必死にソウマを取り押さえ、ソウマを離すまいと腕に力を込めた。
その時、暴れるソウマの腕が不意にクロキの腹にぶつかった。
「がはっ!」
ドクンという鼓動と共に、クロキの呪いの傷に激痛が走り、クロキは口から血を吐いた。思わずソウマから両手を離したクロキは、腹を抱えて蹲り、歯を食いしばって痛みに耐えた。
拘束が解かれたソウマは、獣のように唸りながら辺りをキョロキョロと覗った。
「ぐっ……! ソウマ……君……!」
クロキは蹲った状態でソウマを見上げながら、必死に声を絞り出した。
その時、廊下の向こうから大声が響いた。
「ソウマくぅぅぅん!」
声の主はマディだった。マディは廊下の奥に立っていたが、ソウマが血の涙を流している事に気付いてハッとした。すぐに白衣の中から注射器を取り出し、ソウマに向かって走り出す。
(マディさん……! こっちに来てはいけない……!)
クロキは心の中で警告を発するが、痛みで声が出ない。
「今助けるよぉぉぉ!」
マディはソウマに駆け寄った。
しかし、ソウマは血走った目でマディを睨むと、右腕を乱暴に振るってマディを突き飛ばした。
「ぐえ!」
マディは廊下の床に投げ出された。
マディに追撃を与えようと、ソウマはゆっくりとマディに歩み寄った。
その直後、マディのフードの中に入っていたタマが飛び出してきた。全身の毛を逆立ててソウマを威嚇。臨戦態勢に入る。
「ソウマくぅぅぅん……! 諦めないぞぉぉぉ!」
マディはすぐに起き上がり、注射器を構えた。態勢を整え、再びソウマの元へ行こうとする。
しかしマディが行くよりも先に、タマがソウマ目掛けて突っ込んでいた。タマは大きくジャンプしてソウマの顔面にへばり付き、「フニャー!」と叫びながらソウマの顔を引っ搔いた。
「!?」
ソウマは突然の事に面食らい、床に倒れた。タマを振り払おうと藻掻き、マディから注意が逸れる。
その隙を突き、マディはソウマの上半身に飛び込んだ。マウントのポジションを取り、ソウマのお腹目掛けて注射器を突き立てる。
注射器はソウマのシャツを貫通して腹に刺さり、薬を注入していった。
ドクンッ。
ソウマの心臓が一度だけ大きく鼓動し、次の瞬間には、ソウマの意識は薄れていった。そのままゆっくりと瞼を閉じ、ソウマの意識は深い闇の中へと落ちていった。
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クロキは眠りに落ちたソウマを抱えて、ソウマの自室まで運び込んだ。ソウマをベッドに寝かせ、クロキは後ろを付いて来るマディのほうを振り返った。
「一先ず落ち着きましたね。」
「うん、そのようだねぇぇぇ。」
マディはクロキ越しにソウマの顔を覗き込み、クロキに同意した。
「先程は助かりました。マディさんの助けが無かったら、今頃どうなっていたか……。」
「礼には及ばないよぉぉぉ。あの場で僕に出来る事をやっただけさぁぁぁ。こちらこそ、ソウマ君を止めてくれてありがとうねぇぇぇ。」
マディはお辞儀した。
「いえ……私一人では、ソウマ君を抑え続ける事は出来なかったと思います。私もソウマ君も、マディさんの薬に助けられました。」
クロキに褒められ、マディは「えへへ……。」と頭を掻きながら照れた。
が、すぐに表情を引き締め、マディは話を戻した。
「それにしても、大丈夫そうだと思った矢先に悪魔化が再発するとはぁぁぁ。まだまだ油断出来ないねぇぇぇ。」
マディはしみじみとしながら言った。
「そうですね。まだ予断を許さない状態です。念のため今夜は一晩、私が付きっ切りでソウマ君の様子を見ようと思います。……いた!」
クロキは首に手を当てながら話をしていたが、ソウマに付けられた傷にうっかり触れて声を上げた。
マディはそれに気付き、白衣から再生薬の小瓶を取り出した。
「僕も協力するよぉぉぉ。交代でソウマ君を見守ろぉぉぉ。それと、傷口にはこれを使ってくれぇぇぇ。」
「再生薬ですね。ありがとうございます。マディさんの発明は本当に素晴らしいですね。」
クロキは礼を言いながら再生薬を受け取った。
マディはまた「うふふ……。」と照れた。
「さてと……それじゃあ僕は失礼するよぉぉぉ。カレン君やケンタ君にも声を掛けて、ソウマ君の看病を手伝ってもらわないとねぇぇぇ。」
マディの言葉に、クロキは思わずハッとした。少し躊躇ったが、意を決したようにマディの背中に声を掛けた。
「マディさん! 申し訳ないのですが……実は……」
「んんんん?」
振り返ったマディの顔を見て、クロキはまた話すのを躊躇った。しかしなんとか意思を固め、再び口を開く。
「カレンさんとケンタ君は……つい先程……悪魔達に……」
クロキは自分の見た惨劇を、切々と語っていった。
クロキの語る当時の状況。その内容のあまりの苛烈さにマディは衝撃を受け、途中から何も耳に入らなくなった。唯々呆然とするしかなく、大きく見開いた目でクロキを見続ける。マディにとって今のクロキは、ただ口をパクパクと動かしているだけの存在となっていた。最早なんの声も、音も聞こえない。
そんな状態のマディを他所に、クロキは語り続けた。そしてカレンとケンタが殺された場所を話すとき、クロキはその現場の方向を指さした。
マディはすぐにその方向を振り返った。クロキの指さした壁の向こうを見透かすように。
次の瞬間には、マディは駆け出していた。その動きからは、クロキの言った事など信じない、この目で確かめるまでは決して信じないという、マディの悲痛な思いが伝わってくるようだった。
部屋を飛び出していくマディを、クロキは暗い顔で見送るしかなかった。