第九十三話 心苦しさ
カレンを殺害したのは、羊のような顔を持つ、虚ろな目をした悪魔だった。
その羊型悪魔は肘から先が黒い鱗上の皮膚に覆われ、鋭い爪を持ち、その見た目は凶悪そのもの。その凶悪な右手で、カレンを背後から一突きしていた。
右手はカレンの背中を貫通し、左胸の辺りを突き破っていた。突き破った手の平には、カレンの心臓が握られている。
羊型悪魔は右手をズボッと引き抜いた。
カレンの遺体は支えを失い、糸の切れた操り人形のように椅子から崩れ落ちた。そのまま床に転がり、左胸に開いた風穴から夥しい量の血が流れ出した。
あっという間に床に血溜まりができる。
羊型悪魔はカレンの事など一切気に留めないまま、右手に掴んでいる心臓を繁々と眺めていた。臭いを嗅ぎ、そして口に放り込む。悪魔は顎を動かして心臓を噛み砕き、バリバリ、ムシャムシャという咀嚼音が部屋に響いた。
羊型悪魔が心臓を食べていたその時、開け放たれた部屋の出口のほうから、野太い声がした。
「おい、マモア。どうだ? 収穫はあったか?」
マモアと呼ばれた羊型悪魔は、声のするほうを振り返った。
マモアが振り返った先には、ドラゴンのような顔をした、プロレスラーのような体系の悪魔が立っていた。
「ああ。たった今、一匹仕留めた。お前のほうはどうだ? バルベオル。」
マモアはドラゴン型悪魔、バルベオルに質問を返した。
「俺も仕留めたぜ。ちょこまか逃げられたけど、首を捻じ切って一丁上がりだ。」
バルベオルはそう言いながら、右手に持っているケンタの生首を掲げて見せた。左手には、首の無いケンタの体を掴んでいる。
「お! 丁度良いじゃねえか。じゃあ、お互い一匹ずつだな。」
マモアは嬉しそうに言った。
「ああ、三日ぶりの獲物だ。早く食おう。」
バルベオルはそう言いながら、左手に持っているケンタの遺体を引きずって部屋に入ってきた。
「俺は先に味見だけしたぞ。發の部分だったが、なかなか美味かった。」
「そうか。本当は調理したほうが美味いらしいが、もう腹が減り過ぎて限界だからな。四の五の言ってられん。」
そう言うとバルベオルは、床に転がしたケンタの遺体を掴み、肩の辺りからガブリと噛み付いた。
「そうだな。」
マモアはバルベオルに同意すると、自分もカレンの遺体を掴み、バクバクと遺体を食べていった。
カレンの部屋には、肉を噛み千切って咀嚼するムシャムシャという音や、骨を噛み砕くバリバリという音が響いた。
「しかしな、バルベオル。」
「なんだ?」
「さっきまで普通に生きてた人間達を、いきなり殺して食っちまうってのは、なんだか心苦しいもんがあるな。」
マモアは食事の手を止め、少し悲しそうな顔をしながら言った。
バルベオルは少し考えてから口を開いた。
「まあな。でも、俺等だって食わなきゃ死んじまうんだ。仕方あるめえよ。」
「まあ、それはそうなんだけどよ……。」
マモアは食い下がった。
「元はと言えばベリミットが悪い。ベリミットが食料供給をきちんと続けていれば、俺達がこんな事をする必要は無かった。」
バルベオルは自身の考えを唱えた。
「まあ、それはそうか。今は史上空前の食料不足だもんな。ガリアドネ様も最近になって、ようやく食糧問題と真剣に向き合うようになったらしいが……確か、少し前にセントクレアを襲撃したんだったか?」
マモアは尋ねた。
「ああ。セントクレアで人間を狩猟して、それを食料の不足分に充てたみたいだな。だが俺達のような地方の悪魔までは行き渡っていない。こうやって自分達で食料を確保しなきゃならねえっていう現状は少しも変ってねえ。」
バルベオルはマモアの話に補足した。
「政府が頑張ったって、今更もう遅いよな?」
「ああ、何もかも手遅れだ。」
バルベオルはそう言いながらケンタの腕を引き千切り、骨ごと食べ始めた。
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クロキは拠点の一階にある、ユキオの自室に居た。ユキオの机の脇に立ち、机の上の書類の一つを手に取ると、中身に目を通していった。
「これは……?」
クロキは何かに気付き、僅かに目を見開いた。
(ユキオさんという方は……もしかしたら……。)
クロキは口元に手を当て、なにやら思慮し始めた。
その時、二階のほうから物音が聞こえ、クロキは天井を見上げた。
「今の音は……?」
クロキは不安そうな顔で呟くと、書類を机に戻してすぐに駆け出した。階段を上がって二階に上がり、廊下を左右見渡す。クロキは一つだけ扉が開いている部屋を見つけ、そこに向かって小走りで向かった。
「!」
クロキは部屋の前まで辿り着き、部屋の中の悪魔達を目にした。
「ん?」
マモアとバルベオルは顔を上げ、クロキのほうに顔を向けた。
「これは……なんてことだ……!」
クロキはカレンとケンタの遺体を見て絶句した。
一方、二体の悪魔は立ち上がると、クロキに向かって歩み寄りながら相談を始めた。
「まだ人間が居たか。どうする?」
「一応殺しとくか。天日干しにでもすりゃ保存がきくだろ?」
バルベオルはマモアの質問に答えた。
バルベオルの返答を聞いたマモアは「だな。」と言って右手を構え、攻撃態勢を取った。
クロキは悪魔達の動きに即座に反応。一瞬で炎の小刀を二本作ると、それらを悪魔達に投げつけた。
「ぐあっ!」
小刀は二本とも悪魔達に命中。
それぞれマモアの脇腹、バルベオルの肩を焼き切り、傷口から出血する。二体の悪魔は後退り、クロキと距離を取った。
「ぐっ! コイツ! 俺たち悪魔の体に傷を付けられるのか!?」
マモアは傷口に手を当て、血が出ているのを確認しながら言った。
「ああ。性質変化を習得してやがる。」
バルベオルは警戒心を込めた目でクロキを睨んだ。
「今のは警告です。歯向かうようであれば、次は命を奪います。」
クロキは冷静な口調で悪魔達に警告を発した。
(ちぃ……! この人間には俺等じゃ敵わない! 仕方ねえ……。)
「逃げるぞ!」
バルベオルはマモアに指示した。大きな翼を広げ、逃走の準備をする。
マモアは指示に従い、バルベオルに倣って翼を広げた。
二体の悪魔は拠点の木造の壁を突き破り、空の向こうへと飛び去っていった。
クロキは右手を構えた状態で悪魔達を注視していたが、十分遠くへ飛び去ったのを確認すると、「ふぅ。」と一息ついて緊張を解いた。
しかし、それも束の間だった。
「!」
クロキは背後に人の気配を感じ、ハッとして振り返った。
クロキが振り返ると、そこには呆然と立ち尽くす、ソウマの姿があった。