第八十七話 大事なこと
ガブリエラの言葉を聞いて、カレンとケンタの顔に笑顔が浮かんだ。ガブリエラを睨み続けるリュウを除いて。
「本当ですか!?」
ケンタは嬉しさを滲ませながらガブリエラに尋ねた。
「ええ、お約束致しますわ。」
ガブリエラは胸に手を当てながら言った。
「良かった……取り敢えず一安心だな?」
ケンタは胸を撫で下ろしながらカレンに言い、カレンは「う、うん……!」と嬉しそうに返事をした。
「よしっ、じゃあソウマのほうは一段落した事だし、本題に入らせてもらうか!」
ケンタはそう言いながらガブリエラに向き直った。
「俺ら、秘薬を貰いにここまで来たんです。さっき話した通り、そこのクロキさんが――」
ケンタが秘薬の話を切り出そうとしたその時、リュウが腕でケンタの話を遮った。
「な、なんだよ?」
ケンタは少し驚きながらリュウに聞いた。
「秘薬の話は後だ。その前に、もっと大事な話があんだろ?」
リュウは険しい表情をケンタに向けながら言った。
「はぁ? 秘薬より大事な用件なんてないだろ? クロキさんの命が懸かってんだぞ? 早く話を進めねえと――」
「待て! お前ら、大事なこと忘れてねえか?」
リュウはケンタの話を遮り、ケンタとカレンを交互に睨みながら問い掛けた。
「大事なこと……?」
ケンタは首を傾げた。リュウの言っている事が分からず、カレンのほうを向いて助けを求めるが、カレンも首を横に振って、話が分からない事をアピール。
「ルシフェルの事だ! ルシフェルの!」
リュウは二人からの答えを待っていたが、イライラがピークに達したのか、耐え切れずに自分から答えを言った。
ケンタは驚いて口をパクパクさせたが、リュウの剣幕に圧倒されて声が出ない。
カレンも同様に怯んだ様子で、リュウを怯えた様子で見ていた。
そんな二人を他所に、リュウは話を続ける。
「あのチビ天使に殺されたんだぞ!? なんにも悪い事してねえのに! ただそこに居たから! そんだけの理由で!」
リュウはアリスを指さし、声の限り叫びながらケンタ達に猛然と食って掛かった。
「その件は既に申し上げたはずです。アルロアの国境を跨いだ悪魔は、その場で処分する決まりとなっている、と。」
ラフィエラがガブリエラの前に進み出て、リュウを諭すように言った。
「あ? 関所が準備されてる訳でもねえガバガバの国境の癖に、なにが決まりだ! 大体、ルシフェルがお前らに何したってんだ!?」
リュウは鋭い視線をラフィエラに向けた。
「彼は悪魔と人間のハーフです。たとえハーフであっても、悪魔である彼は処罰の対象です。」
ラフィエラはリュウの剣幕に全く動じず、落ち着いて答えた。
「なんでそんなに悪魔を忌み嫌うんだよ!? 俺達人間の事はこうやって見逃してんのによ!」
リュウは尚も食って掛かる。
ラフィエラは依然として冷静だった。
「歴史的な背景があります。天使と悪魔は古くから争いを続け、お互いに憎しみ合っているのです。」
「んだそりゃ? 昔の事とルシフェルは関係ねえだろ?」
「仰る通りです。ですがここ最近になって、天使と悪魔の関係性がさらに悪化しているのです。今、バロア国が飢饉に陥っているのはご存知ですか?」
「あ? ああ、勿論ご存知だぜ?」
「飢餓状態となった悪魔に襲われ、多くの人間達が犠牲となっていますが、それは我が国の天使達にも言える事で、多くの天使達が食料の代わりとして悪魔に命を奪われています。その被害は年々増え続けており、国境警備隊の天使達でも対処し切れない事態となっています。最早、この悪魔は安全でこの悪魔は危険、といった区別を逐一する余裕もありません。そこでガブリエラ様の政策により、国境を越えた悪魔は一律に処刑、という決まりとなったのです。この法が出来て以降、数百を超える悪魔が処刑されてきました。」
「ルシフェルは……そのうちの一人に過ぎねえって事か?」
「そうです。知らなかったでは済まされない。それが法律です。」
ラフィエラは淡々と答えた。
「なんだそれ……訳分かんねえぞ……おい……。」
リュウは怒りで声を震わせながら、ラフィエラに近付いていった。ラフィエラを殴ろうと拳を構える。
その時、そのリュウの腕をクロキが掴んで止めた。
「いっ……!」
リュウに少し引っ張られ、クロキは呪いの傷を少し痛がった。
「先生! す、すいません……!」
リュウは慌てて謝ったが、クロキは「大丈夫だよ。それより……」と言って話を続けた。
「ルシフェルさんを死なせてしまったのは、僕が原因だよ。僕はアルロアの法律の事を知っていたからね。僕がルシフェルさんを止めるべきだったんだ。」
「そんな……! 先生は何も悪くないですよ……!」
リュウは必死にクロキをフォローするが、クロキは構わず話を続ける。
「アルロアとの国境を越えた後、国境警備隊に遭遇したら、そこで事情を説明して、ルシフェルさんの事は見逃してもらうつもりだったんだ。でも、それをする前にルシフェルさんは単独で天使と遭遇してしまい、殺されてしまったんだ。僕があの時付いていれば、こんな事にはならなかったんだよ。」
クロキは傷の痛みを我慢しながら、荒い呼吸の合間を縫うように話した。
「そんな……先生はあの時、傷の所為で出歩けなかった……! 先生でも防ぎようが無かったはずです……! それにアルロアの法律には、あんな問答無用で悪魔を殺すなんて一言も書かれてない……! あんな事態になるなんて、誰が想像出来るんですか?」
リュウはまるで、そうであってくれと願うかのように、懇願するような口調で言った。
そんなリュウに対して、クロキは静かに答える。
「確かにそうだね……。でも、僕はそうなる事も想定していたよ。分かった上でアルロアの国境に入ったんだ。」
「え……? ど、どういう事ですか? ルシフェルが殺されるって事まで、想定してたって事ですか?」
リュウは激しく動揺しながら尋ねたが、クロキは静かに首を横に振った。
「いや、そこまでは想定していなかったよ。ただ、ルシフェルさんが天使達と鉢合わせるリスクは想定していたんだ。想定はしていたけど、もし天使達と遭遇しても、ルシフェルさんなら大丈夫だと思っていたんだ。このライオラ大陸でルシフェルさんの体に傷を付けた人は、一人としていないからね。まさか殺されてしまうなんて、夢にも思っていなかった……。ルシフェルさん自身の事も、アルロア国の法律の事も、僕は全て甘く見ていたんだ。責任は僕にある。」
クロキの話を聞き終えると、リュウは悔しさで奥歯を強く噛んだ。
「あー、ちきしょう!」
その遣り切れない思いを砕くように頭を掻き毟る。
その間、誰も物音を立てず、地下施設にはリュウの立てる物音だけが響いた。
その時、ラフィエラの後ろでイライラ顔をしながら待機していたガブリエラが口を開いた。
「お話は済みまして? わたくし、そこの彼と秘薬についてお話をしたいのですけど?」
ガブリエラはイライラマックスの声で言った。
ラフィエラは不意に背後からした声に驚きつつ、急いでガブリエラの前から退いた。
「勝手にしろ。」
リュウはガブリエラに一瞥を送り、吐き捨てるように言った。
リュウの言葉遣いに怒りを滲ませつつ、ガブリエラはケンタの前に進み出た。
「ケンタさん、あなたは確か秘薬が欲しいんでしたわね?」
「はい。クロキさんの呪いの傷を治したくて……。貰う事は出来ますか?」
ケンタは遠慮がちに尋ねた。
「結論から申し上げますと、秘薬をお渡しする事は出来ませんわ、今は。」
「い、今は?」
ケンタは不安気に聞き返した。
「ええ。先程ラフィエラが言った通り、天使達も沢山襲われてますの。呪いの傷を受けて運ばれる天使も大勢居て、秘薬が全く足りてない状況なんですわ。そして丁度今、秘薬は在庫がゼロの状態で、お渡し出来る分が残っていませんの。」
「そんな……。」
ケンタは意気消沈した。
「ですがご安心下さいまし。新しく秘薬を作る予定は既に立てていますわ。少し時間が必要ですけれど、完成次第ベリミット宛に送って差し上げますわ。」
「本当ですか!」
ケンタは一転、顔を明るくさせた。
「ええ。それで宜しくて?」
ガブリエラは片眉を軽く吊り上げながら確認を取った。
「勿論です! いいよな? 皆?」
ケンタは周りを見回しながら確認した。
「う、うん……!」
カレンは強く頷き、
「ありがとうございます、ガブリエラ様。」
クロキは軽く会釈しながら礼を言った。
その場に居た皆が納得した様子だったが、リュウだけはガブリエラを睨んでいた。
「二か月以内だ。それ以上先は先生の体が持たねえかもしれねぇ。約束しろ。」
リュウは二本指を立て、ガブリエラに命令口調で言った。
「おい、リュウ! 口の利き方には気を付けろ! クロキさんを助けてくれる恩人だぞ?」
リュウは厳しい口調でリュウを咎めた。
「恩人? こいつの作った決まりの所為でルシフェルは死んだんだぞ? 遜る必要なんかねえだろ?」
リュウはきつい目つきでケンタを睨んだ。
「いや……それは……」
ケンタは口ごもり、不安そうにガブリエラをチラッと見た。
ガブリエラは憤怒の形相で口元は笑っているという、恐ろしい表情でケンタ達を見ていた。
「お、おい、リュウ! 早く謝れ! 殺されるぞ!」
ケンタは慌ててリュウに言った。
「別に構いませんわよ? 大切な人を失って辛い気持ちは、わたくしにも痛い程分かりますし。ただ、決まりは決まりですから、どうか許して下さいまし。」
ガブリエラは軽く頭を下げた。
「へっ! 歴史だかなんだか知らねえけど、天使も悪魔も仲良くしてほしいもんだぜ! たくっ……。」
リュウは吐き捨てるように言った。
リュウのその言葉にラフィエラはこめかみをピクリと震わせ、一歩前に進み出た。
「あなたはアルロアとバロアの間で古くから続く因縁や、天使達が抱く反悪魔感情というものをきちんと理解しているのですか? 理解出来ているのであれば、今のような発言は決して――」
ラフィエラはリュウに食って掛かろうとしたが、それをガブリエラが制した。
「ラフィエラ、もうよいですわよ。」
「ガブリエラ様……しかし……」
ラフィエラはまだ感情が収まっていない様子だった。
そんなラフィエラの肩代わりをするように、ガブリエラはリュウの前に進み出た。
「リュウさん。あまりお口が過ぎると、思わぬ災いを招きますわよ?」
ガブリエラはにこやかな表情をしながら、不自然なほど明るい声でリュウに警告した。
「なんだ? 脅しか? やってみろや? 人間には手出し出来ない法律があんだろ?」
リュウはガブリエラを挑発した。
「人間に手出し出来ない? う~ん、なんの事かしら?」
ガブリエラは小首を傾げ、わざとらしく考え込む振りをした。
「ああ、国境警備隊に課している戒律の事ですわね? あれは人間に危害を加えてはいけないという決まりではありませんわ。人間は弱過ぎて天使にとって全く脅威にならないから気にせず放っておけ、という法律ですわよ?」
「えぇ!? う、嘘だろ……?」
リュウは度肝を抜かれたが、ガブリエラは不自然なニコニコ顔で話を続ける。
「本当ですわよ? その証拠に、わたくしがその気になれば、あなたを一瞬で消す事だって出来ましてよ?」
そう言いながら、ガブリエラは右手を構えた。
その刹那、ガブリエラの手から光属性の魔法が発動。
拷問器具のアイアンメイデンのように、無数の棘が一瞬でリュウを囲い、リュウは一歩も身動き出来なくなった。
「こんな風に、ですわ。」
ガブリエラはニコリと笑った。
リュウは脂汗をダラダラと垂らす。
その背後で、ケンタはやれやれとばかりに深い溜め息をついた。
(はあ……。コイツは揉め事造りの名手だな。リュウの真っ直ぐな性格は長所ではあんだけど、その性格が災いして、もっと大きな揉め事を生みやしねえかと思うと、気が気じゃないぜ……俺は……。)