第八十四話 愉快な人間達
ルシフェルは闇の中を彷徨っていた。真っ暗な空間を漂い、出口を求めて藻掻き苦しむ。しかし暗闇の空間は無限に続いており、一向に出口を見つける事が出来ない。
(出口は……どこだ……。)
ルシフェルは水の中を泳ぐように闇を掻き分け、前へ前へと進んでいった。
(みなはどこだ? 暗い……寂しい……一人にしないでくれ……。)
ルシフェルは激しい焦燥感に駆られた。周りに誰も居らず、深い孤独感に襲われ、普段の冷静で優雅な振る舞いが出来なくなる。焦りは行動に表れ始めた。ルシフェルはバタバタと暴れるように手足を振り、闇の中を必死に泳いだ。
(怖い……怖い……怖い……。どうして誰も居ない? どうして私を一人にする? どうして暗闇ばかりが続く? どうして? どうして? どうして誰も私の傍に居てくれない?)
ルシフェルの焦りはピークに達していた。
精神は完全に追い詰められ、次第に自分を一人にする仲間達に対しての、怒りに似た感情が沸々と湧いてくる。
――その時。
ルシフェルの視線の遥か先に、小さな光の点が出現した。
ルシフェルは目を細めてその光の点を注視し、やがてその光を目指して進み始めた。
ルシフェルが少しずつ光の点に近付いていくと、その光の正体がはっきりしてきた。それは光の扉だった。白く輝く縦長の扉で、その扉からは誰かの声が聞こえてきていた。
ルシフェルは扉に近付き、その声に耳を澄ませた。そしその声の主に気付き、顔をはっとさせる。
「ケンタ……? カレン……? ソウマ……? こんな所に居たのか……。全く……驚かせおって……。さあ、こっちに来たまえ。また共に、旅を続けようではないか。」
ルシフェルは若干ぎこちない感じの笑顔を浮かべながら、扉の向こうに呼び掛けた。
扉の向こうには光に包まれたぼんやりとした景色が広がっていて、その中にソウマ達の姿が朧気に浮かび上がっていた。
しかし扉の向こうのソウマ達はルシフェルを睨み、不信感を募らせた表情をしていた。
「ど、どうしたというのだ? お前達……。何をそんなに怒っている?」
ルシフェルはソウマ達の表情に動揺し、また余裕を失った。
そうしている間にソウマ達はルシフェルに背を向け、ルシフェルの元を去ろうとした。
「ま、待て! お前達! 何処へ行く!? 戻ってきてくれ! 私を……私を一人にしないでくれ!」
ルシフェルは切羽詰まったように扉へと近付き、右手を伸ばした。光の扉の向こう側へと、そのまま右手を突っ込んでいく。
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光の矢が全身に突き刺さり、完全に意識を失っていたルシフェル。その右手が、ピクリと動いた。
「ケンタ……今、右手が……!」
ソウマはルシフェルの右手の動きを見逃さなかった。
ケンタはソウマの言葉に反応して、ルシフェルの右手に視線を向ける。
その時、低い呻き声を上げながら、ルシフェルが意識を取り戻した。
「ルシフェル! おい! 大丈夫か!?」
ケンタはルシフェルの顔を覗き込みながら声を掛けた。
しかしルシフェルは声にならない呻き声を上げるだけで、まともに話をする事が出来ない。
「喋るのも無理か……。分かった! 俺らが何とかしてやるからな! 絶対死なせねぇぞ! カレン! 再生薬残ってないか!?」
ケンタはルシフェルを鼓舞し、カレンに再生薬を要求した。
「こ、この小瓶に入ってるのが最後……。」
カレンはそう言いながら、再生薬の入った小瓶をケンタに手渡した。
「助かる! ルシフェル! 頑張れよ!」
ケンタはルシフェルに声を掛けながら、小瓶の蓋を開けた。
ルシフェルの体に矢が刺さった状態のまま、ケンタは血が噴き出ている箇所に再生薬を垂らした。
「うぅ……ぐぅ……。」
ルシフェルがくぐもった声を上げる中、傷口は煙を上げながら治っていき、血が止まり始めた。
ケンタが傷を治す作業をする一方、ソウマは光の矢を観察していた。
「これは……もしかして光属性の魔法……? 天使達が使うっていう……。」
「ああ、多分な。でも、今は下手に抜けねぇ。まずはとにかく血を止めねえと!」
ケンタは額から汗を流しながら受け答えをした。
その時、力なく項垂れていたルシフェルが僅かに顔を上げ、ケンタ達に視線を向けた。
「ケン……タ……ソウマ……カレン……。」
ルシフェルは一人一人に視線を向けながら、弱々しい声で名前を呼んだ。
「ルシフェル! 無理に喋らなくていいぞ! 回復に集中しろ!」
ケンタはルシフェルに力強く声を掛け続けた。
「うぅ……ゲホッ! ゲホッ! ハア……ハア……。」
ルシフェルは口から血を吐きながら咳き込み、荒い呼吸を繰り返した。その荒い呼吸を少しずつ整え、ルシフェルはゆっくりと口を開いた。
「これは……一体何だ……? まるで体中が……叫び声を……あげているかのようだ……。教えてくれ……これは……何だ……?」
ルシフェルはケンタに顔を向けながら尋ねた。
「ん? 叫び声? ……ああ、そりゃな、全身にこんだけ矢が刺さってんだ! 痛いに決まってる! 堪えるしかねえぞ! 頑張れよ!」
「痛い……? そうか……今、全身を襲っているこれが……痛みというものなのか……。生まれて初めて……味わった……。」
ルシフェルは掠れた声で言葉を紡いだ。
「くそっ! 薬が足りねえ! ソウマ! 再生薬、もう無いか!?」
ケンタは焦りを募らせながらソウマに薬を要求。
しかしソウマは首を横に振った。
「僕のはもう使い切ってる! あと残ってるのは薬草のエキスくらいだよ! ただ、こんなんじゃ……この傷は……。」
ソウマは束ねた薬草を握り潰し、エキスを絞り出していた。ルシフェルの傷口に垂らし、なんとか治療を試みる。作業を進めるソウマの顔には、半ばあきらめの表情が浮かんでいた。
「なんでもいい! やれる事は全部やるぞ!」
「うん!」
ソウマは強く頷き、新しい薬草を手に取って同じ作業を繰り返した。
しかし、その腕をルシフェルが掴み、作業を止めさせた。
ソウマは驚いて顔を上げる。
「ルシフェル……さん……?」
困惑するソウマに対し、ルシフェルは口を開いた。
「もうよい……もうよいのだ……お前達……。」
「……え?」
「自分がもう助からない事は……私が一番よく……分かっている……。」
ルシフェルは自嘲気味に笑いながら言った。
「な……何言ってんだよ……? 助かるに決まってんだろ? 血だって、ほら? もうほとんど止まってるぜ?」
ケンタ声は僅かに震えて涙声になっていたが、それでもなんとかルシフェルを励ました。
しかし実際にはケンタの言った事とは真逆で、ルシフェルの傷はほとんど治っておらず、激しく出血し続けていた。
「もうよいのだ……。この体は手遅れだ……。それより……私の話を聞いてくれ……。」
ルシフェルは懇願するように言った。
「いいや! 助ける! 話なら、お前を助けた後でたっぷり聞いてやる!」
ケンタはムキになったような口調で言った。
ケンタはソウマの元に駆け寄り、薬草のエキスの抽出を手伝い始めた。
しかしルシフェルはケンタの服を掴み、作業を止めさせた。
「頼む……聞いてくれ……。」
ルシフェルの顔は真剣だった。
ケンタは躊躇したが、ルシフェルの眼差しに心が折れ、作業を止めた。
ソウマ、カレン、ケンタの三人はルシフェルの正面に立ち、その三人に対してルシフェルはゆっくりと語り出した。
「意識を失っている間……夢を見ていた……。夢の中で私は一人きりで……強い孤独に襲われていた……。一人、彷徨い歩く中でようやくお前達を見つけたが……お前達は私に背を向け、立ち去ろうとした……。あれはきっと……私が今、最も恐れている事が……夢となって現れたのだろう……。あの夢のお陰でようやく気付けた……。お前達と旅を続ける中で、いつの間にか……お前達の存在が……私の心の支えになっていた……。」
ルシフェルはそこで一度言葉を切り、フッと笑った。
ソウマ達は固唾を飲んでルシフェルを見守り、次の言葉を待った。
「私は……お前達が好きだ。覚えているか? 最初に出会った日、私達は契約を交わしたのだ。私はお前達の計画に協力し、代わりにお前達は私を楽しませるという契約をな。契約を交わしてから今日まで、お前達はあの手この手で私を楽しませてくれた。夕食の最中に突然踊り出してみたり、これは戦いだと言い訳をしながら子犬達とじゃれ合ってみたり、目の前に壁と言う道があるのに立ち止まって談笑を始めたり、私の居ない間に勝手に祭りを開催したり……。まったく……お前達は本当に愉快な者達だ……。諸君の行く末を見届けられないのが少し心残りではあるが、こうなってしまっては仕方あるまい……ここでお別れだ。」
ソウマ達はルシフェルが言葉を紡ぐ度に表情が崩れていき、やがて目から涙が溢れ出した。
そんなソウマ達を慰めるように、ルシフェルはいつもの優雅な微笑みを浮かべた。
「さらばだ、愉快な人間達よ。」