第八十話 蝕まれる体
ガリアドネが話し終えると、応接室には重苦しい沈黙が流れた。
誰もガリアドネの後に続いて話をしようとする者はおらず、みな一様にその沈黙に耐えていた。
気楽そうに構えるロイドと、優雅にくつろぐルシフェルを除いて。
暫く沈黙が続いた後、不意にリュウがルシフェルに話し掛けた。
「なあなあ、ルシフェル。お前ってさ、すっげぇつえぇんだろ? その力でベリミットの奴らの事をさ、守ってやったりしてくれねえの? なあなあ?」
リュウは静まり返った部屋の中で、目立たないよう小声でルシフェルに尋ねた。
「契約を結びさえすれば、勿論私は人間達を守る。だが私の力にも限界はある。広いベリミットの国土を私一人で守り通す事は不可能であろう。」
ルシフェルは口元に手を当てて思慮しながら答えた。
リュウは「ああ、そりゃそうか……。」と俯く。
「一番手っ取り早いのは、私の手でバロア国を滅ぼす事だ。天敵である悪魔を絶滅させてしまえば、人間達の世界に平和が訪れる。」
ルシフェルは物騒な事をにこやかに言った。
「えぇ!? お前……そ、そんな事出来んのか!?」
リュウはルシフェルの言葉に驚愕したが、ルシフェルは事も無げに話を続けた。
「ふむ……恐らく一分以上は掛かってしまうが……それでも構わないのであれば今から滅ぼすが、よいか?」
ルシフェルはそう言いながら右腕を構えた。
しかし目の前でそんな話をされて、悪魔達が黙っているはずがない。
グリムロ達はすぐさま行動を開始。
グリムロはテーブルの上に乗り出し、ルシフェルに闇属性の魔法を構えた。
レビアトはガリアドネの前に出て両手を広げ、身を挺して女王を守る態勢に入った。
レビアトの後ろで、ガリアドネは真っ直ぐにルシフェルを見ていた。
「え? なになに? 急にどうした?」
ロイドだけは天井をボーッと見ていた所為で、急な出来事に面食らっていた。
「右手を収めろ。でなければ殺す。」
グリムロはその石像のような顔でルシフェルを睨み、警告を発した。
「ここで騒ぎを起こせば、バロア牢獄に居るあなた方の仲間も無事では済みませんよ? 懸命な判断をお願い致します。」
レビアトはなだめるようにルシフェルに言った。
「ルシフェル、よせ。その右手、早くしまえ。」
ケンタは額から汗を流しながらルシフェルを説得した。
「そうか……。分かった。」
ルシフェルは少し残念そうな顔をしながら腕を下ろした。
ルシフェルが腕を仕舞ったのを確認すると、グリムロとレビアトは席に戻った。
「ふ~。ったく……。」
ケンタはルシフェルにジト目を送り、すぐにガリアドネに顔を向けた。
「取り敢えず、大体話は分かりました。なんて言うか……思ったより入り組んでて、今日明日でなんとか出来る話じゃないってのが分かりました。」
ケンタは『参ったな』とばかりに頭を掻きながら言った。
「ええ、国同士の規模の話ですから……。今の私に出来る事は、国民達の世論が変わるように尽力する事だけです……。その日が来るまでは、申し訳ないですが、あなた方の国を襲い続ける事になります。」
ガリアドネはとても申し訳無さそうに言った。
「そうっすか……。でも、俺らのほうもやれる事は少なそうっすね。ベリミットの力が弱まってるのが原因なら、それを解決するためにはホムラだけじゃどうにもならねぇ。ギアス国王に働きかけた上で、国全体で何とかしていかねえと――」
ケンタが話していた、その時だった。
クロキに異変が起きた。みぞおちの辺りを押さえて痛がり、テーブルに顔を突っ伏している。その顔は苦痛に歪み、クロキは声にならない呻き声を上げた。その症状は、ロイドと戦っていた時に起こったものと同じものだった。
「せ、先生……? どうしたんですか?」
リュウは心配そうにクロキに声を掛けた。
「!」
ガリアドネはクロキの様子を見て、ある事に気付いた。
クロキの右手首の辺りに黒い模様のようなものがチラリと見え、ガリアドネはそれを注視した。
「また腹痛か? 便所なら部屋出て右だぜ? ……ん?」
ロイドは呑気な声でクロキに言ったが、ガリアドネが立ち上がって歩き出したのに気付き、それを目で追った。
ガリアドネはクロキの元に歩いていった。
クロキはとうとう椅子から崩れ落ち、床に蹲っていた。
ガリアドネはそんなクロキをそっと抱き起こし、クロキの右手首を掴んだ。先程見た黒い模様を改めて確認し、クロキに話し掛けた。
「クロキさん。少し失礼します。」
そう言ってガリアドネは、クロキのワイシャツのボタンを一つずつ外し出した。
「おいおい、なんかエロいな……ぶべら!」
リュウが小声で呟いたのをケンタは聞き逃さず、空手チョップでリュウの脳天を一喝した。
ガリアドネはボタンを全て外し終え、ワイシャツを開いた。
「!」
ソウマ達は驚愕した。
クロキの体は、腹部の辺りにドス黒い傷が出来ており、その傷が上半身全体に広がっていた。
傷の表面は膿のような醜悪な物体で覆われ、まるで別の生き物のように脈動している。
「これは……闇の魔法によって付けられた傷ですね。」
レビアトはクロキの体を上から覗き込みながら言った。
ソウマはレビアトの言葉に敏感に反応し、一気に顔が青ざめていった。ソウマはホムラの拠点を出発する前に、マディとした会話を思い出していた。
『闇属性の魔法で攻撃されると、永遠に消えない傷が出来るんだよぉぉぉ。その傷はまるで呪いのように少しずつ体を侵食していって、やがて人を死に至らしめるらしいぃぃぃ。』
「闇の魔法で出来た傷……それじゃあこれがその……呪いの傷……。」
ソウマは途切れ途切れになりながら呟いた。
「ん~? ああ……そういう事……。便秘じゃなかったのか。」
ロイドは合点がいったとばかりに溜め息をついた。
「ロイドさん。あなたが付けたものですか?」
レビアトはズバッとした質問を淡々と尋ねた。
「えぇ!? お、俺ですか!? そんなはずは……。だって俺、コイツに攻撃全部躱されてたし……。いやでも、もしかしたら一発くらい掠ってたかも……。」
ロイドは槍玉に挙げられて激しく動揺し、顎を掻きながら思慮した。
「ハア……ハア……ロイドさん……違います……。これは……ここに来る前から付いていたものです……。」
クロキは痛みで呼吸が乱れる中、その合間を縫って言葉を紡いだ。
「既にって……い、いつからなんですか?」
リュウは僅かに声を震わせながら尋ねた。
「ファナドに悪魔が攻めてきた、あの日だよ。モディアスという悪魔と戦った時に、闇の魔法で傷を負ってしまったんだ。」
モディアスという名前が出て、グリムロはピクリと眉を動かした。
ロイドはグリムロの僅かな挙動に気付き、チラリとグリムロのほうを見た。しかし、グリムロがそれ以上何も動きを見せなかったため、ロイドはクロキ達のほうに向き直った。
「そんな……! どうして……どうして今まで黙っていたんですか? こんな大事な事……!」
ソウマもリュウと同様声を震わせ、詰問するようにクロキに尋ねた。
「余計な心配を掛けたくなくてね……。すまない……。」
クロキは無理に笑って見せながら答えた。
「そんな事は……。確かにこの事を知っていたとしても、僕らに出来る事は何も無いですけど、でも……。」
ソウマは無力さから来る悔しさで、思わず唇を噛んだ。
その時、人間達の会話を静かに聞いていたガリアドネが口を開いた。
「クロキさん。この傷を受けたのは、どれくらい前の事ですか?」
「数週間前です。」
「その時の傷の大きさはどれくらいでしたか?」
ガリアドネは問診する看護師のように聞いた。
「最初はナイフで切りつけられたような細い傷だけでした。三十センチほどの長さで……その傷が少しずつ広がりながら体を浸食していって、今のような見た目に……。」
クロキは傷の経過を説明した。
「そうですか……。数週間でここまで……。クロキさん。このままだと呪いはやがて全身を蝕み、あなたを死に至らしめます。とても申し上げにくい事ですが、浸食の進み具合からして、余命は後数か月……持って半年ほどかと……。」
ガリアドネは多少言い淀みながらも、ストレートに推測を述べた。