第八話 侵入者
イルナール牢獄は夜の暗闇に包まれていた。
牢獄は、民家や教会等が密集する地域からは少し離れた草原地帯に建っていた。周囲を高い塀で囲まれ、塀の入口は鉄格子の扉になっている。塀の内側は常に二、三人の兵士が巡回して見張りをしていた。
塀の中にある牢獄は、直方体のシンプルな形の建物だった。灰色のくすんだ石で造られていて、鉄格子の嵌められた窓がいくつもあり、そこから独房にオリジン(地球でいう月。)の明かりが射し込んでいる。建物には一か所だけ出入口があり、そこも二人の兵士が見張っていた。
塀の外側の壁を、スルスルと植物の蔦が昇ってきた。蔦は塀の一番上まで伸び、今度は鉄条網に巻きついていった。三重、四重と巻きつきながら、蔦は徐々に太く丈夫になっていった。
塀の下の地面には茶色いローブで全身を覆った人物(以下、茶色フード。)が立っていた。頭をすっぽりと茶色いフードで隠していて顔は見えない。
茶色フードは、高く上げた右手の平から蔓を伸ばしていた。
その右手で蔦を強めに引き、蔦が鉄条網から外れないことを確認すると、茶色フードは右手の平から蔦を切り離した。
茶色フードは目線の高さに垂れ下がった蔦を両手で掴むと、壁を蹴り上げながら腕力で塀を上っていった。
====================================
イルナール牢獄の建物の一室では、兵士達三人がコソコソと話をしていた。
そこは管理室のような部屋で、壁際には書類の積まれた棚が置かれ、壁に打ち付けられた杭には独房の鍵がかけられていた。部屋の中央には木製のテーブルが置かれ、兵士達はそれを囲うように座っていた。
「なあ、聞いたか? ギアス国王の例の話。」と兵士A。
「ああ、あれだろ? セントクレアの事件のことだろ?」と兵士B。
「それそれ。またいつもみたいに隠蔽するみたいだな。」と兵士A。
「毎度毎度、酷い話だよな。巻き込まれた人達が不憫でならねえよ。」と兵士B。
「ホントだよな。」と兵士A。
「いや、セントクレアの件はちゃんと報道されてるぞ。」
新聞を読んでいた兵士Cは新聞から顔を出し、会話に割って入った。
「マジかよ!? どういうつもりだ? 国王は? 急に方針を変えるなんて!」と兵士A。
「いや、多分方針は変えてない。」と兵士C。
「そうなのか? でも報道してるんだろ?」と兵士A。
「ああ。ただ、バロア悪魔国が犯人だっていう肝心なことは伏せられてる。見てみろ、酷いもんだぞ。」
兵士Cはそう言いながら兵士Aと兵士Bに新聞を見せた。
新聞を読んだ兵士Aと兵士Bは徐々に顔が曇っていき、最後まで読み終わると悲痛な表情になった。
「うわあ……こりゃひでえ。」と兵士A。
「あんまりだな。単に隠蔽するよりタチが悪い……。」と兵士B。
「ソウマ君か……。あの子も可哀そうだな。友達が殺されただけでも辛いのに、その上こんな目に遭うなんて……人生滅茶苦茶じゃないか。」と兵士A。
「まあ、止むを得ないことなんだろう。ギアス国王にとっては子供一人の人生より、国のほうが重いはずだからな。……むぐ!?」
兵士Cが言い終わると同時に、兵士Cの顔に蔦がぐるぐると巻きつき始めた。蔦はあっという間に兵士Cの口を塞ぎ、腕ごと体を締め上げ、兵士Cは身動きが取れなくなった。
「何だ!?」と兵士A。
「木属性の魔法だ! どこかに侵入者がいるはずだぞ!」
そう言いながら兵士Bは、兵士Cに巻きついている蔦がどこから伸びているのか探した。兵士Bは部屋の隅に沿うように蔦が伸びているのを見つけ、その蔦を目で追い、外に繋がる鉄格子まで伸びているのを確認した。
「外だ! 行くぞ!」
兵士Bは兵士Aに言うと部屋のドアを開けて出ていき、兵士Aも付いて行った。出て行きしなに兵士Aは兵士Cが座っている椅子をうっかり蹴り飛ばし、兵士Cは床に転げ落ちた。
床に残された兵士Cは一人で号泣した。
兵士Aと兵士Bは開け放ったドアから外の廊下に出て、建物の外に向かって走り出した。
開け放ったドアの裏側に潜んでいた茶色フードは、廊下の真ん中に躍り出ると態勢を低くしながら両手を構えた。左右の手から一本ずつ、勢いよく蔦を伸ばし、背中を向けて走っていた兵士Aと兵士Bを捕えた。
「むご!?」
「ぐあ!?」
兵士Aと兵士Bは蔦で口を塞がれ、胴体をぐるぐる巻きにされ、芋虫のように廊下に転がった。
茶色フードはゆっくり立ち上がると管理室の中に入っていき、床で号泣する兵士Cには目もくれず、壁にかけられている鍵束を手に取った。
====================================
ソウマは独房の床に座り、ベッド脇に置いてある自分の荷物をチェックしていた。制服のズボンのポケットを探ったソウマは、不思議そうな顔で首を傾げた。
「あれ? 地下倉庫の鍵、無くなってる……。」
ソウマは入念にポケットを探ったが、やはり無い。
「まあ、いいか。学校はもう無いんだし。」
ソウマは地下倉庫の鍵を探すことを諦め、今度は制服の上着を確認した。
ソウマが上着を手に取って持ち上げると、なにか紐状の物がはらりと床に落ちた。床に目をやると、それはミカのミスリングだった。
「!」
ソウマは思わずはっとしてミカのミスリングを拾い上げ、沈んだ表情でそれを見つめた。
ミスリングはロイドの爪で切り裂かれていて、無残な姿だった。
しばしミスリングを見つめていたソウマは、やがて何かに気付いた顔をし、再び制服の上着を手に取った。内ポケットを探り、すぐに目的の物を見つけ出した。
内ポケットから取り出したのはドラゴンの源麟と、『加護は実在する』の本だった。
ソウマは悲痛な顔をしながらも作業を止めず、制服の次はカバンの中を探った。
ソウマはカバンの中から『ドラゴンの生態と伝説』の本を見つけて取り出した。
床にミカのミスリング、ドラゴンの源麟、『加護は実在する』、『ドラゴンの生態と伝説』を並べ、ソウマはそれらを深い喪失感を感じながら見つめた。
「ミカ……クースケ……シンゴ……ごめん……。僕、何も出来なかった……。でもきっと、ギアス国王が敵を討ってくれるから。」
ソウマはそう呟くと、床に並べていた遺品をゆっくりとカバンにしまい始めた。
ソウマが全ての遺品をしまい終えて一息ついた時、廊下の奥から足音が聞こえてきた。その足音は駆け足でソウマの独房まで近づいてきた。
ソウマが振り返ると、鉄格子の向こうに茶色フードが立っていた。
「んぐ!?」
ソウマがリアクションをする間もなく、茶色フードは右手から伸ばした蔦をソウマの顔に巻きつけて声を封じた。そして続けざまに胴体を腕やカバンごとぐるぐる巻きにした。
「んー! んー!」
口を塞がれて身動きの取れないソウマは、声にならない呻き声をあげた。
しかし茶色フードは意に介さず、鍵で独房の施錠を解くと、蔦を引き寄せてソウマを無理矢理独房から引きずり出した。
茶色フードは再び蔦を作り出し、その蔦で自分の体にソウマを括り付けると、廊下を走り出した。
茶色フードは廊下を抜け、階段を上がり、地上一階に出て、出口に続く廊下を走り抜けた。
途中、蔦でぐるぐる巻きになって転がっている兵士が何人もいたが、茶色フードはその兵士達を飛び越え、ひたすら出口を目指した。
茶色フードの体に横向きに括り付けられていたソウマは道中、狭い出入口を通るたびに頭をぶつけた。茶色フードが扉を蹴破って建物の外に出る頃には、ソウマは白目を向いて完全に気を失っていた。
ブラブラと力なく首が揺れるソウマをよそに、塀の外まで一気に走り抜けた茶色フードは、外で繋がれている馬の元まで辿り着いた。
茶色フードが馬に乗って馬の腹を軽く蹴ると、馬はそれを合図に走り出した。
馬は夜の草原を駆けて行き、イルナール牢獄からぐんぐん遠ざかっていった。