第七十七話 謝罪
「あ……あ……。」
ソウマは声にならない声を出した。目の前に立つ恐怖の存在に怯え、無意識の内に体が少しずつ仰け反っていく。
「!」
その時ソウマは背中を何者かに強く押された。仰け反っていた背中を元に戻され、姿勢を強制的に正される。
ソウマが後ろを振り向くと、そこにはグリムロが立っていた。
ソウマを押さえつけたグリムロは、その腕をゆっくりと元に戻して腕組みした。
ソウマの後ろにはグリムロだけでなく、ロイドやレビアト等の悪魔達が並んで立っていた。ソウマがまだ名前を知らない悪魔も何体か居る。
ソウマの両脇にはカレン、ケンタ、クロキ、リュウが、ソウマと同じように床に座らされ、後ろ手に拘束されていた。
ルシフェルだけは何も拘束を受けず、堂々と立っていた。
カレン、ケンタ、リュウは緊迫した表情でガリアドネを見つめ、クロキは努めて冷静を保った表情をしていた。
ルシフェルはいつもの優雅な笑みを浮かべ、懐からリンゴを取り出して齧っていた。
グリムロに押さえつけられた所為で、ソウマは床に付きそうなくらい顔を下げていた。その顔をゆっくりと上げ、改めてガリアドネの顔を見た。
(あれが……ガリアドネ……。)
ソウマは緊張で呼吸が乱れ、額からは嫌な汗が垂れた。
グリムロやロイドと初めて対峙した時も、ソウマは人生で味わった事の無い恐怖を感じたが、ガリアドネのもたらす恐怖は桁が違った。
今までこの女王を目指して努力を重ねてきたというのに、それまでの熱意も目的意識も、何もかもソウマの頭からは吹き飛んでいた。ソウマの頭の中は、今すぐこの場から逃げ去りたいという思いだけが支配していた。
それほどまでに、目の前に居る存在は圧倒的恐怖とオーラを放っていた。
ガリアドネは二メートル近い身長で、床に座るソウマを見下ろしていた。その顔は無表情そのもので一切の感情が読み取れず、ソウマ達から数メートル先に立って石像のように動かない。
ガリアドネが動かず、ソウマ達も拘束で身動きが取れず、その場に居る者達は皆静止していた。一同は段々と、時が止まったかのような錯覚に襲われ始めていた。その時――。
ガリアドネが一歩踏み出した。
ソウマの心臓が一度大きく跳ねる。
ガリアドネは一歩、また一歩と歩みを進めた。ゆっくりと、そして確実にソウマ達の元に近付いてくる。
ケンタ達が固唾を飲んで見守る中、ガリアドネはついにソウマの目の前にやって来た。表情は相変わらず無表情のまま、顔を下に向けてソウマの顔を見据えている。
ソウマは生唾を飲み込んだ。これから自分に一体どのような制裁が待っているのか。悪魔を束ねる女王はどんな力を奮ってくるのか。死よりも恐ろしい苦痛を与えられるのではないか。様々な恐怖に襲われ、ソウマは顔面蒼白。絶望感に襲われ、過呼吸になった。
自分の人生がこの悪魔によって終わる。この悪魔は間違いなく自分を殺す。その考えで一杯になり、ソウマの心臓は早鐘のように鼓動した。
故に、ガリアドネが取った次の行動はソウマにとって、そしてその場に居た全ての者達にとって、あまりにも意外なものだった。
ガリアドネは床に正座し、頭を垂れた。それはどう見ても土下座の態勢だった。
これにはソウマ達だけでなく、ソウマ達の後ろに立っている悪魔達も驚いた。
「じょ、女王様!?」
ロイドは激しく動揺し、
「陛下、一体何を……?」
レビアトは当惑した。慌ててガリアドネに駆け寄り、土下座を止めさせようとする。
グリムロだけは腕組みしたまま仁王立ちし、一切リアクションしなかった。
ソウマはガリアドネの真意が分からず、唇を震わせてガリアドネを見下ろしていた。
「ど……どういうつもりですか……?」
ソウマは絞り出すように掠れた声を出した。
ソウマから疑問を投げ掛けられてもガリアドネは顔を上げず、頭を下げたままゆっくりと口を開いた。
「ソウマ君……。」
その声は冷たくもどこか温かみのある声だった。
「はい……?」
ソウマは震える声で聞き返す。
「全て私の責任です。ソウマ君が惨劇に巻き込まれたのは……そして多くの人間達が悪魔の犠牲となったのは……全て私が未熟であったために招いた事です。」
ガリアドネの声は僅かに震えていた。その口調は心の底から申し訳無さそうで、ガリアドネは話している間も頭を上げなかった。
「……。」
一方のソウマはまだガリアドネの言葉を理解出来ずにいた。話を呑み込もうと頭をフル回転させるが思考は一向に追い付かず、ただ口をポカンと開けていた。
その様子を見かねたクロキが口を開いた。
「女王陛下。どうか顔を上げて下さい。」
クロキに言われ、ガリアドネはようやく顔を上げた。彫刻のように整った顔をゆっくりとクロキに向ける。
「陛下。ソウマ君も他の皆も、とても困惑しています。一体どういう事なのか、説明していただけませんか?」
クロキはガリアドネに説明を促した。
ガリアドネは静かに頷いた。
「ええ、勿論です。グリムロ達にソウマ君をここへ連れて来るよう言ったのも、そのためですから。」
「お待ち下さい、陛下。」
レビアトが口を挟んだ。
「何です?」
「陛下。一体どこまでお話しなさるおつもりです? 陛下が話そうとなされている事は、場合によっては国同士の機密に触れる可能性も……。」
レビアトは不安気にガリアドネを諭した。
「全てを、です。ソウマ君は知る権利があります。」
「しかし……」
レビアトは食い下がった。
「もう決めた事です。気持ちは変えません。」
「……承知致しました。」
レビアトはまだ納得出来ない様子だったが、半ば無理矢理に矛を収めた。
「他に私の決定に異議の有る者はいますか?」
そう言いながらガリアドネは周りの人間と悪魔を見回した。
しかし、意義を申し立てる者は現れない。
「よろしいですね。では、場所を移しましょう。レビアト。彼らの拘束を解いて下さい。そして西の応接室まで、彼らの案内をお願いします。」
ガリアドネはゆっくりと立ち上がり、レビアトに指示を出した。
「承知致しました。」
レビアトは指示に応じ、ソウマ達を拘束する闇の手枷を外した。
グリムロやロイドもレビアトを手伝い、全員の手枷を外していく。
「では、私について来て下さい。応接室まで案内致します。」
レビアトはソウマ達に号令を掛け、広間を歩き出した。
クロキを先頭に、ソウマ達はレビアトに付いて行く。
レビアトに付いて広間を出る途中、ソウマは一度だけ後ろを振り返った。
ソウマが振り返ると数メートル先にガリアドネが一人で立ち、立ち去るソウマを見つめていた。
ソウマは自分を見つめる女王の表情の中に、我が子を思いやるかのような、憐憫の情にも似た感情を薄っすらと感じ取った。