第七話 最小限の嘘
ギアス国王は六十代ぐらいの恰幅のいい老人で、180cmくらいの背丈があった。鼠色の髪を伸ばし、同じ鼠色の口髭とあごひげを蓄えている。赤いマントを羽織り、その内側には装飾がふんだんにあしらわれた貴族風のスーツを着ている。
「はい、そうです。」
ギアス国王から名前を確認され、ソウマは肯定の返事をした。
国王を目の前にし、ソウマの声はやや緊張気味だった。
「そうか、よかった。セントクレアから君の持ち物を運び込んだんじゃが──」
ギアス国王は孫に語り掛けるような口調でそう言い、ソウマのベッド脇をちらりと見た。
ソウマがギアス国王の視線の先を追うと、床に敷かれた布の上に土で汚れたカバンと、畳まれた制服が置かれていた。
「間違いなく君のだとは思うが、念のため後で確認しておいてくれるかの?」
「はい、分かりました。ありがとうございます。」
「礼には及ばんよ。」
ギアス国王は軽く手をあげてソウマの礼に応じ、ゆっくりと椅子に座った。
「起きたばかりかね? 話は出来そうかの?」
ギアス国王はソウマを気遣うように言った。
「はい、大丈夫です。」
ソウマは了承した。
「ありがとう。ではまず、この独房のことを謝らねばのう。本来は病院に運ぶべきだったんじゃが、君の身の安全を考慮してここに入れることになってしまったんじゃ。申し訳ない。」
ギアス国王は軽く頭を下げてソウマに謝った。
「いえ、大丈夫です。」
ソウマは了承の返事をした。
「ここは常に兵士達が見回りをしておる。ゆえに出ることは勿論じゃが、入ることも難しい。ある意味国で一番安全な場所じゃよ。」
ギアス国王はソウマにニッコリと笑いかけながら言った。
ギアス国王の背後の廊下でうつらうつらとしていた兵士は、ギアス国王の『常に兵士達が見回りをしておる』という言葉に反応して慌てて背筋を伸ばした。
「しかし牢獄だけあって、あまりにも粗末な設備じゃのう。近いうちにもっと快適な設備に改造しよう。このままではあまりにも君が不憫じゃ。君の私物も、きちんとした棚に入れねばの。」
ギアス国王は独房の中を見回し、顔をしかめながら言った。
「は、はい。ありがとうございます。」
礼を言うソウマに対して、ギアス国王は「うむ。」と返事をし、そこで一呼吸置いてから、切ない表情で喋り出した。
「では早速じゃが本題の話をしよう。セントクレアの惨状は、わしも現場を見て確認した。君もさぞ辛い思いをしたことじゃろう。しかし例え一人でも、生き延びてくれて良かった。」
ギアス国王の『一人』という単語にソウマはピクリと反応した。
「僕以外に生き延びた人はいないんですか?」
ソウマは少し震えた声で尋ねた。
「残念ながら君一人じゃ。」
ギアス国王は目を伏せ気味にしながら言った。
ソウマはギアス国王の返答に俯いたが、何か思い出したようにすぐに顔を上げた。
「学校の周りの人達は……ラードモアの人達は無事ですか? それに僕の家は?」
ソウマは不安そうな顔で、重ねて尋ねた。
「被害はセントクレアの敷地内だけじゃった。学校の周りの民家や村、それに君のご実家も無事じゃったよ。」
ギアス国王はソウマの質問に答えた。
「そう……ですか。それは良かったです。でも、学校の皆は……一人も……。」
ソウマは状況を飲み込み、ゆっくりと膝を抱えて体を丸め、力なく俯いた。
虚ろな表情のソウマを、ギアス国王は心配そうに見ていた。
「ソウマ君。君の心は今、きっと傷だらけであろう。そんな君に聞くのはあまりに酷なんだがのう、何があったか教えてくれぬか?」
ギアス国王は遠慮がちな言い方で、しかしストレートに質問を投げた。
ギアス国王に尋ねられ、ソウマはゆっくりと顔を上げた。
「バロア悪魔国の悪魔です。悪魔達が学校を襲って、生徒や先生を殺したんです。」
ソウマは自分の見たものを簡潔に述べた。
「バロア悪魔国……そうか。」
ギアス国王は何か意味深な顔をし、ソウマから視線を逸らした。
「あの悪魔達はどうして学校を襲ったんでしょうか? 食べるために人を襲った、なんて言ってましたけど、悪魔が人間を襲うなんて話、聞いたことがないです。」
ソウマはギアス国王のほうを向きながら聞いた。
「う~む、詳しい理由はわしにも分からぬ。ベリミット人間国とバロア悪魔国は長年平和的な関係を築いてきたはずなんじゃが……。詳しい事情はバロア国に直接聞いてみるしかないのう。」
「そうですか……。」
ソウマは再び俯き気味になった。
「近くバロア悪魔国の政府と会談を予定しているから、そこではっきりさせよう。任せてくれ。」
ギアス国王は、落ち込むソウマをフォローするかのように言った。
「分かりました。お願いします。」
ギアス国王の言葉に、ソウマは声に少し元気を取り戻しながら言った。
ソウマの顔に生気が少し戻ったことを確認し、ギアス国王は「うむ。」と力強く頷いた。
「さて、色々教えてくれて感謝するよ。君のほうは、何か聞いておきたいことはあるかね? 或いは何か伝えておきたいことは?」
ギアス国王に聞かれたソウマは少し考え、やがて何かを思い出したように、はっとした顔をした。
「そういえば、グリムロという悪魔に伝言を頼まれてました。」
「ほう……。どんな伝言かね?」
ギアス国王は尋ねた。
「内容は今話したこと、そのままです。悪魔がセントクレアを襲撃したことをギアス国王に伝えろって。……でも一つ、気になることを言ってました。」
ソウマはそこで少し間を置いた。
「どんなことかね?」
ギアス国王は少し目を細め、ソウマに続きを話すよう促した。
「事前に予告していた、って言ってたんです。」
ソウマに言われ、ギアス国王は一瞬意味ありげな表情になったが、すぐに真顔に戻った。
「ほう、予告とな?」
「はい。確かに言っていました。セントクレア襲撃は事前に予告していたって。なら、国王はこうなることを分かっていたんですよね? どうして何も対策をしなかったんですか? 生徒達を非難させておくとか、ベリミット軍を派遣するとか、いくらでも出来たはずです!」
ソウマは不信感を抱いた顔でギアス国王を見ながら、矢継ぎ早に話した。
そんなソウマをギアス国王は両手で制した。
「待て待てソウマ君、落ち着いてくれ。その事前の予告とやらは初耳じゃ。」
「え? そ、そうなんですか?」
驚きの表情で聞くソウマに、ギアス国王は「本当じゃ。」と前置きし、
「今回の事件のことは何も知らなかったんじゃ。言い訳に聞こえてしまうがのう、対策は立てようがなかったよ。」
と、言葉を繋いだ。
「そうだったんですか……。すみません。」
ソウマのギアス国王への不信感は萎み、顔はまた落ち込んだ表情になった。
「いや、こちらこそ何も出来ず、本当にすまない。」
ギアス国王は申し訳ない表情でソウマに一礼した。
そこからソウマもギアス国王も俯き加減のまま固まり、痛い沈黙が流れた。
少しして、ソウマがポツリと呟くように話し出した。
「僕は……悪魔達が許せません。」
俯いたままソウマが話し出し、ギアス国王は顔を上げた。
「悪魔を……この手で倒したいです。復讐したいです。」
ソウマは両方の手の平を見ながら言った。
「でも……僕には何の力もありません。」
ソウマはそう言いながらぎゅっと握り拳を作った。
「ギアス国王、ベリミット軍は立ち上がってくれますか? 僕の代わりに、悪魔を倒してくれますか?」
ソウマはギアス国王のほうを向きながら言った。
ギアス国王は最初、穏やかな顔で聞いていたが、ソウマの最後の言葉を聞くと、その表情は真剣なものに変わった。
「もちろんじゃよ。まずは会談で事情を聞くが、場合によってはバロア国に制裁を加えることになるかもしれん。これ以上悪魔達の好きにはさせないつもりじゃよ。」
ギアス国王は力強い口調でソウマに約束した。
「ありがとうございます。」
ソウマはようやく声と表情に元気を取り戻した。
====================================
ギアス国王がソウマの独房から出ると、独房の外で待機していた兵士が独房の鍵を閉めた。
ソウマはその様子を少し不安そうな顔で見ていた。
「すまないが施錠はさせてもらう。君を疑っているわけではないが、万が一のことがあると私の責任になるのでな。」
ギアス国王はソウマの表情を見ると、事情を説明した。
「分かりました。」
「うむ。君の持っている情報は貴重でのう。情報を嗅ぎまわって君を狙っている輩がいるかもしれんのだ。だからほとぼりが冷めるまではここにいてくれ。辛抱してくれるかの?」
「はい、構いません。」
ソウマはまた明るい表情に戻って返事をし、ギアス国王も微笑みで返した。
ギアス国王は兵士と共に去っていった。
コツコツと音を立てて歩くギアス国王は、後ろに兵士を引き連れて長い廊下を歩いていき、廊下の突き当りの角を曲がって階段を上っていった。
兵士は一度後ろを振り返って後方を確認してから再び正面を向くと、ギアス国王の耳元に顔を近付けた。
「国王、あなたも人が悪いですね。あんな純粋そうな子どもを騙すなんて。」
兵士は小声で言った。
「あれでも嘘は最小限に留めるよう努めたつもりじゃ。それに……国王の仕事は国を守ることじゃ。少年一人の夢を叶えることではない。」
そう言ったギアス国王の顔からは、ソウマと話していた時の柔和な表情は消え去り、鋭い目つきの険しい表情に変わっていた。声も優しさが無くなり、低く重苦しい口調になっていた。
「しかしあれは……真実を知ったら、彼に深く恨まれますよ?」
兵士は食い下がった。
「ベリミット人間国を守るためなら、どんな汚い仕事でも私が受け持つ。憎まれ役だろうと買って出るさ。」
ギアス国王はそう言い残すと、イルナール牢獄を去っていった。