第六十六話 再会
「今の音は一体何でしょう?」
バロア牢獄の中の通路を歩いていた青い悪魔は、天井を見上げながら訝しんだ。
青い悪魔は熊のような体系の、巨大な体躯の悪魔だった。青い体表にモコモコとした白い毛を生やし、その見た目は青い雪男のようだった。般若のように狂暴そうな顔をしているが、その喋り口調は紳士のように冷静で、聡明さに溢れていた。
「まさか……火山が噴火したのでしょうか?」
雪男のような悪魔は天井を見上げてキョロキョロしながら眉をひそめた。
「レビアト様、俺が様子を見て来ますよ。」
部下と思しき別の悪魔が雪男のような悪魔に声をかけた。
「お願いします。」
レビアトと呼ばれた悪魔は返答した。
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バロア牢獄の外では、ソウマ達が呆れた表情でルシフェルを見ていた。
ルシフェルは腰に手を当て、堂々とした態度で笑顔を振り撒いていた。
「はぁぁぁ……。クロキさん、どうします?」
ケンタは頭を抱えながら溜め息をつき、クロキに意見を仰いだ。
「さすがに今ので気付かれてしまっただろうね。バロア軍の悪魔達が来る前に、なんとか終わらせるよ。」
クロキは自分の開けた縦穴に目を落としながら言った。
しかし――。
「おっと、そこまでだ。動くなよ。」
ソウマ達の背後で声がした。
ソウマ達がはっとして振り返ると、そこには一体の悪魔がリュウの頭を鷲掴みにして立っていた。
悪魔はその腕に力を込め、リュウの顔面を地面に叩き付けた。
「がっ!」
リュウは声にならない呻き声を上げ、うつ伏せで倒れたまま動かなくなった。
「リュウ!」
ソウマは突然の出来事に驚いたが、すぐにリュウに駆け寄ろうとした。
「動くな。さもないとこの人間の頭がかち割れる事になるぞ。」
悪魔は腕に力を込めてリュウの頭を地面に押し付けながら、睨みを利かせてソウマを牽制した。
「ぐ……!」
ソウマは奥歯を噛み締めながらその場に留まった。
「よし、それでいい。全員腹這いになれ。両手を頭の上だ。下手な真似はするなよ。」
悪魔はソウマ達を威圧的に見回しながら命令した。
渋々ではあるが、ソウマ達は悪魔の言う事を聞いて腹這いの態勢になり始めた。ただ一人を除いて――。
ルシフェルだけは全く言う事を聞かず、ゆっくりと歩いて悪魔のほうに近付いてきていた。
「おい、てめぇ。何してる? 止まれ。」
悪魔は威嚇するように睨みながら、近付いてくるルシフェルに警告を発した。
その警告を無視し、ルシフェルはスタスタと悪魔のほうに歩き続ける。
「聞こえねえのか!? 止まれ!」
悪魔は怒鳴って警告したがルシフェルは止まらず、とうとう悪魔の目の前までやって来た。
悪魔はリュウを押さえつけるためにしゃがんでいたため、仁王立ちのリシフェルを見上げる態勢になった。その表情はルシフェルの大胆な行動に驚き、そして怯えている様子で、当初の威嚇的な表情は完全に成りを潜めていた。
「直接聞くのが確実だと思ってな。私達はホムラの仲間を助けに来たのだが、牢獄のどの辺りにいる? あの辺りで間違い無いか?」
ルシフェルは悪魔に対して爽やかに微笑み、クロキの居るほうを指さしながら尋ねた。
「あ? 何を言ってやがる?」
悪魔は困惑し、眉間に皺を寄せながら聞き返した。
「クロキの居る場所の、丁度真下辺りと踏んでいるのだが……どうなのだ?」
ルシフェルはしゃがんで悪魔と目線を合わせながら質問を繰り返した。
「そんなもん知るか! 知ってても教えねぇよ! 分かったらてめえもさっさと腹這いになれ! 最後の警告だぞ?」
悪魔はルシフェルの質問を一蹴し、吐き捨てるように警告を重ねた。
ルシフェルは少し残念そうに「そうか……。」と呟くと、ゆっくりと立ち上がった。
「居場所は分からないそうだ。取り敢えず作業を続けるとしよう。」
ルシフェルはクロキのほうを振り返りながら言った。
悪魔は困惑しながらルシフェルの後ろ姿を見上げた。その表情には徐々に怒りが滲んできていた。
「さっきから訳分かんねえ事ぬかしやがって……。口で言って分かんねえならもういい。取り敢えず寝とけ。」
悪魔はそう呟きながら右腕を振り被り、ルシフェルの頭部を背後から殴りつけた。
激しい殴打音が周囲に響いたが、ルシフェルの頭は無傷だった。それどころか殴られた事に気付いてもおらず、「どうした、クロキ? 作業を続けようではないか。」とクロキに声を掛けていた。
ダメージを受けたのは悪魔のほうだった。悪魔はルシフェルを殴った右手が吹き飛んでいた。肉片と一緒に血が辺りに飛び散る。
「ぐあああぁぁぁあああ!」
悪魔は痛みで絶叫しながら後退った。地面に蹲り、庇う様に左手を右手に添える。
「ぐ……! てめぇ、何をしやがった? こんな魔法、見た事ねえぞ……!」
悪魔は息も絶え絶えの状態でルシフェルを問い質した。
「ん? どうした? 怪我をしているのか? 何があった?」
ルシフェルは悪魔の怪我を見て新鮮に驚いた。
クロキは遠巻きにその様子を眺めていたが、悪魔が痛みで後退った事でリュウから離れたのを見逃さなかった。
(今だ!)
クロキは態勢を整えると火の魔法を発動させて灼熱の鞭を作り出すと、それを悪魔に向かって投げつけた。
炎の鞭は真っすぐ悪魔の元に飛んでいき、悪魔の首回りを首輪のように囲った。鞭は悪魔に直接触れてはいないが、その放射熱が悪魔の皮膚をジリジリと焼いた。
「ぐああ! 今度は何だ!?」
「動かないでください。動けば首を焼き切ります。」
クロキは淡々とした口調で警告した。
「ぐう……! くそ!」
悪魔は悪態をついたが、クロキはそれには構わず周りの仲間に指示を与えた。
「ソウマ君、ケンタ君。リュウ君を頼むよ。」
「はい!」とソウマ。
「了解っす!」とケンタ。
ソウマとケンタはクロキの命令に応じ、地面にうつ伏せに倒れたままのリュウの元に駆け寄った。
ソウマはリュウを仰向けにして抱き起こした。
リュウは顔面が血塗れになり、石の破片が何個か刺さっていた。
そんなリュウの様子を注意深く観察しながら、ケンタはリュウの口元に手の平をかざした。
「息はあるな……。クロキさん! リュウは無事です!」
ケンタはリュウの容態をクロキに報告した。
「そうか……良かった……。じきに他の悪魔も来る。僕が抑え込んでおくから、その隙に皆は逃げるんだ。いいね?」
クロキは安堵した表情をすぐに引き締め直し、きびきびと指示した。
「そんな……! ここまで来て、ホムラの皆を見捨てて帰れません!」
「さすがにもう時間がない。早く逃げるんだ。ルシフェルさん、皆の警護をお願いします。」
ソウマは食い下がったが、クロキはそれを却下し、ルシフェルに指示を出した。
「ん? まだ目的を果たしていないが、もう帰るのか?」
クロキに話し掛けられ、ルシフェルは意外そうな顔で尋ねた。
「はい! 今は悪魔一体だけですが、数が増えれば私やルシフェルさんが居ても、あの子達を守り切れなくなります。早く非難を――」
クロキがルシフェルに指示を出していた、その時だった。
上空からいくつもの黒い物体が降ってきた。檻の形をしたその物体は、かつて悪魔モディアスが使用していたのと同じ闇属性の魔法だった。闇属性の檻はソウマ達の居る地面まで降り注ぎ、ソウマ達一人一人を檻の中に閉じ込めた。
ソウマの膝に横たわるリュウはソウマと同じ檻に閉じ込められた。
唯一クロキだけは危険を察知し、檻を躱した。
「これは……!?」
ソウマは初めて見る闇属性の魔法に面食らったが、そのすぐ背後で聞き覚えのある声がし、ソウマはそっちに注意が逸れた。
「ありゃ、一匹取り逃がしちまったぜ。人間にしちゃ、いい身のこなしだな。お~い誰か! あそこの人間、とっ捕まえてくれ! 残りのやつらは檻を見張っとけ!」
声の主の号令で大量の悪魔がクロキに向かって飛んでいき、残りの悪魔達はソウマ達の周りを取り囲んだ。
ソウマ達の周囲を無数の悪魔が右往左往する中、ソウマは悪魔に指示を送った声の主に釘付けになり、心臓が一度大きく鼓動した。
声の主は黒い体表に白い幾何学模様の線、そして両手の巨大な爪が特徴の悪魔だった。
『しつけえな、おめえはぁ! おめえら人間もよお! 牛やら豚やら殺して食うだろうが! 動物食う前によお! いちいち殺していいか聞くのか、てめえはぁ! ああ!?』
かつてソウマの母校、セントクレア魔法学校を襲った悪魔達。
その内の一体であるロイドが今、ソウマの目の前に立っていた。