第六十三話 無自覚のセクハラ
トフェレスと別れ、ソウマ達は丘の麓で野営をした。
黒いテントを設営し、ソウマ達はテントの中で就寝していた。
テントの外ではカレンが平たい岩に座り、テント周辺の見張りをしていた。しかしカレンはウトウトとし、今にも眠りに落ちそうな状態だった。
カレンがそんな状態でいた時、そばのテントが開いて中からルシフェルが出てきた。
「大丈夫か、カレン?」
ルシフェルは微笑みを浮かべ、カレンの元に歩み寄りながら話し掛けた。
「ふぁ!? ご、ごめんなさい……! 私、ついウトウトしちゃって……。」
カレンは驚いて姿勢を正しながらルシフェルに謝った。
「大分疲労が溜まっているようだな。見張りを交代しよう。」
「い、いえ……まだ頑張れます。」
カレンはルシフェルの申し出を断ろうとした。
「そうか。では私と二人で見張りをするとしよう。」
そう言いながらルシフェルは優雅にカレンの隣に座った。
「すみません……ありがとうございます……ケホッ! ケホッ!」
カレンはニコッと笑いながらお礼を言ったが、最後まで言い切った所で咳き込み始めた。
「ん? 大丈夫か?」
ルシフェルはカレンを気遣いながら背中を撫でた。
「すみません、大丈夫です。」
カレンは取り繕った。
「この霧が悪影響をもたらしているのやもしれん。昔カミーユから教わったのだが、この霧はタイタルの吐息と言うらしい。あまり深い呼吸はしないほうがよいだろう。私はなんともないが……。」
ルシフェルは周囲の紫の霧を手で仰ぎながらそう言い、「さて……」と言って夜空を見上げた。
「明日の今頃にはベオグルフに到着しているであろうな。心の準備は出来ているか?」
ルシフェルはカレンに尋ねた。
「はい。凄く緊張しますけど、ミカドさん達のためにも頑張りたいです。」
カレンは緊張を紛らわすように両手を膝の上でモジモジさせながら答えた。
「そうか……。初めて会った時に比べ、成長したようだな。今のカレンは目に力が宿っている。」
ルシフェルは妖艶な瞳でカレンを見つめながら言った。
「え? そ、そうですか?」
「うむ。王都ベオグルフに乗り込もうとしているのだ。尻込みしてもおかしくないところだが、大したものだ。」
ルシフェルはカレンに太鼓判を押した。
「あ、ありがとうございます……。」
カレンは少し恥ずかしそうにしながらお礼を言い、何か思い出したような顔をしながら再び話し出した。
「それにしても、ガリアドネさんって一体どんな方なんでしょう? さっきトフェレスさんが話してくれてましたけど、外見以外の事はあまり分からなかったですよね?」
「悪魔を束ねる存在という事は、並みの実力ではなかろう。」
「やっぱりそうですよね……。でも、ルシフェルさんがいてくれれば心強いです。」
カレンは信頼の笑顔をルシフェルに向けた。
「ふっ。任せておきたまえ。何かあれば私が身を挺して諸君を守ろう。」
「ふふ、頼もしいです。」
「うむ。……ところでカレンよ。」
「はい、なんですか?」
「ソウマやケンタともう交尾は済ませたか?」
「交尾ですか? 交尾はですねぇ……って、ええ!? こ、こここ、交尾!?」
カレンは驚愕し、顔を真っ赤にした。
「そうだ。人間の生物学書によれば諸君らは既に繁殖活動が可能な年齢らしいのだが、どうなのだ?」
ルシフェルは至って真剣な表情で聞いた。
「は、繁殖活動って……。」
カレンは顔を真っ赤にしたままルシフェルにドン引きした。
「ん? どうした?」
ルシフェルはカレンが赤面している様子に小首を傾げた。
「こ、答えるわけないじゃないですか! そんなこと!」
「何故だ?」
「何故って……は、恥ずかしいからに決まってるじゃないですか!」
カレンは涙目になりながら答えた。
「恥……だと……?」
ルシフェルはカレンの言葉に愕然とした。
「そうですよ! 当たり前じゃないですか……!」
カレンは両手で顔を覆い、ルシフェルを涙目で睨んだ。
「人間とは不思議な生き物だな。」
ルシフェルは小首を傾げながらそう言い、カレンは思わず「え?」と聞き返した。
「生殖行為は生物にとって最も美しく、最も神秘に満ち溢れた、最も意味のある行動なのだ。何を恥じることがある?」
「うぅ……そうかもしれないですけど……で、でも恥ずかしいものは恥ずかしいんです!」
カレンは両手をブンブン振って抗議の気持ちを表現した。
「そうなのか。それはすまなかった。」
ルシフェルは微笑を浮かべながら謝罪した。
「い、いいですよ、別に……。」
カレンは唇を尖らせつつもルシフェルを許した。
「以後気を付けよう。しかしカレンよ。子孫繁栄は生物に与えられた人生最大の義務なのだ。生きる目的と言っても過言ではない。いつの日か、交尾に対する恥じらいを克服出来るとよいな。」
ルシフェルは妖艶な笑みをカレンに向け、爽やかな口調で言った。
「は、はあ……そう……ですね……。」
カレンは適当に相槌を打った。
「うむ。しかし、人間の生殖器というのは一体どうなっているのだろう? カレン、少し見せてもらえないか?」
「ルシフェルさん!!」
「ん?」
「もう……話題を変えて欲しいです……。さっき以後気を付けるって言ってくれたじゃないですか……。」
カレンはまた顔を赤くしながら咎めるように言った。
「ああ、そうであったな。すまぬ。」
「はあ……。」
カレンはやれやれとばかりに深い溜め息をついた。
「よし、では話題を変えよう。カレンよ。ソウマやケンタのことをどう思っている?」
「どうって……えっと、どういう事ですか?」
カレンは困った顔で聞き返した。
「好きか? それとも嫌いか?」
「えっと……二人のことは大好きですよ。一緒に色んな任務をこなしてきましたから。勿論、ルシフェルさんやクロキさん、それにリュウ君のことも大好きです。」
カレンは少し頬を赤く染めながら照れくさそうに言った。
「そうか。人間も悪魔もいつ死ぬか分からぬからな。生きているうちにその気持ち、伝えておくとよいぞ。」
「ちょっと恥ずかしいですけど、それは頑張ります。出来れば男の子のほうから伝えてほしいですけど。」
カレンは後半の言葉をルシフェルには聞こえないぐらいの声で呟いた。
「カレンが愛を伝えれば、それがソウマ達に力を与えるだろう。」
「愛かどうかは分からないですけど、皆の力になれるなら頑張りたいです。私、いっつも皆に頼りっぱなしで、いっつも皆に勇気づけられてきましたから。自分でも不思議なんですけど、ソウマ君達と一緒にいると元気が湧いてきて、気持ちが明るくなれるんです。単純ですよね、私って?」
カレンは自嘲気味にルシフェルに尋ねた。
ルシフェルはカレンの話を黙って聞いていたが、カレンが話し終わるとゆっくりと立ち上がった。
「奇遇だな。」
「え?」
聞き返すカレンを他所に、ルシフェルはカレンから遠ざかるように歩みを進め、やがて振り返った。
「私も同じだ。」
「え? ルシフェルさんもですか?」
カレンの問いにルシフェルは「うむ。」と頷きながら夜空を見上げた。
「恐らく……持っているのだろう……ソウマも……。」
ルシフェルの言葉の意図が分からず、カレンは唯々困惑した顔でルシフェルを見つめた。
見つめ合う二人の間を、一陣の風が吹き抜けていった。