第六十一話 トフェレス
早朝。
薄い紫の霧が立ち込める石畳の道を、一台の馬車が走っていた。
ケンゾウが馬を操り、その馬車を進める。
ケンゾウの右手側には民家がちらほらと並び、左手側には野原が広がっていた。
野原には数十メートル間隔で悪魔が座り込み、通り過ぎていく馬車を睨んでいた。
座り込む悪魔達の背後の景色は、不気味な霧に覆われているため様子が分からない。
(ふぅ、まったく……この道はいつ来ても慣れないな……。)
ケンゾウは御者台で馬車を操りながら、野原の悪魔に不安そうな視線を向けた。
御者台の後ろのワゴンには木箱がいくつも積み上げられ、馬車に揺られてガタガタと音を立てていた。
その木箱のうちの一つに、ケンタとリュウの二人が入っていた。
二人は狭い木箱の中で激しく揉み合いをしていた。
「なんで俺がお前とおんなじ箱に入んねえといけねえんだ……! 狭すぎだろ……!」
リュウは小声で悪態をついた。
「仕方ないだろ! 木箱の数が足りなかったんだからよ……! いででで! あーもう! 暴れるな!」
ケンタも小声で言い返した。
別の木箱にはルシフェルとクロキが入っていた。
二人は木箱の中で体を丸め、狭い空間を分け合っていた。
「ルシフェルさんはバロア国に行くのは何度目ですか?」
クロキは小声でルシエフェルに尋ねた。
「ふっ。実を言うと今回が初めてだ。いつか祖国を訪ねてみようとは思っていたが、まさかこのような形で叶うとは思わなかった。」
ルシフェルは微笑を浮かべながら答えた。
「はは、そうですか。」
また別の木箱にはソウマとカレンが入っていた。
「大丈夫、カレン? 苦しくない?」
ソウマはカレンを気遣った。
「う、うん。大丈夫。ただ……その……ちょっと際どい所に手が……」
カレンは恥ずかしそうに言いながら視線を落とした。
カレンの視線の先にあるのはソウマの右手だった。ソウマの右手はカレンの太ももに当たっていた。
「え? どうしたの──」
ソウマが聞き返そうとしたその時、馬車の車輪が段差で跳ね、馬車が大きく揺れた。
「うわ!?」
ソウマはバランスを崩し、態勢を保とうとして伸ばした手がカレンの胸を思いっきり掴んだ。
「ひゃあぅ!?」
「ご、ごめん、カレン。どこかぶつけちゃったかな?」
ソウマは心配そうにカレンに聞いた。
「ううん、平気。こちらこそ小さくてごめんなさい……。」
カレンは涙目になりながら謝った。
「え?」
ソウマはカレンの言った事がよく分からず、キョトンとした。
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馬車は石畳の道を進み、やがて木造の掘っ立て小屋が建っている場所まで辿り着いた。
ケンゾウはそこで馬車を止めて御者台から降りると、掘っ立て小屋の近くまで歩いていった。
「トフェレスさん、おはようございます。」
ケンゾウは小屋の傍のベンチに寝転がっている生物に向かって声をかけた。
ベンチには紫色の体表をした身の丈二メートル程の巨大な生き物が寝ていた。トフェレスと呼ばれたその生物はケンゾウに声を掛けられるとムクリと起き上がり、コウモリのような翼を広げながら伸びをした。人間よりも遥かに発達した筋肉をストレッチさせ、やがてトフェレスはケンゾウのほうに体を向けた。
「お~う、ケンゾウく~ん。時間通りじゃねえの。」
トフェレスは両足で立ち上がり、中腰になってケンゾウに顔を近付けながら喋った。
その声は巨大な体格に反して高いキーキー声だった。
トフェレスは狂暴そうな長い爪の生え揃った両手をブラブラさせ、牙を剥き出しにしてニタリと笑っていた。
「勿論ですよ。さぁ、こちらが今回の納品です。」
ケンゾウはやや緊張したような笑顔をしながら、トフェレスに馬車の荷物を見せた。
「おう。んじゃ早速、中身を軽く確認するぜ~ぃ。」
トフェレスは馬車に近付いていった。
「う、うん……。」
ケンゾウは不安そうにしながら返事をした。
「おほ、桜芋じゃねえか。いいねぇ、俺の好物だ。それからこっちはぁ……大王麦の束か。肉はねえのかなぁ。肉好きなんだけどよぉ。」
トフェレスは木箱を二つ開け、それぞれ顔を近付けて中身を確認した。
トフェレスはその後も手を休めずに木箱を次々に開けていき、ついにソウマとカレンが潜んでいる木箱に手を掛けた。
蓋が少しずつ開けられ、箱の中に細い光が差し込み始める。
「あ、あとの中身は皆一緒だよ。」
ケンゾウは冷や汗を掻きながらトフェレスに話し掛けた。
トフェレスは箱を開ける手を止め、ケンゾウを振り返った。
「そうかい。じゃあもういいや。」
トフェレスは軽い調子で返事をすると、バタンと木箱の蓋を閉めた。
トフェレスは馬車から飛び降り、のしのしと掘っ立て小屋のほうに歩いていった。
トフェレスは小屋の向こうに消え、ソウマとカレンは「ふう。」と胸を撫で下ろした。
少ししてトフェレスは空の馬車を引き連れて戻ってきた。
「これ、前回の馬車ね。いつも通り、帰りはこれを使ってくれぃ。」
トフェレスはそう言いながら手綱をケンゾウに渡した。
「ああ、ありがとうね。」
ケンゾウは軽く礼を言った。
「おう。んじゃ、失礼するぜぃ。」
トフェレスはそう言うとソウマ達の潜んでいる馬車の御者台に飛び乗り、馬を走らせた。
トフェレスが操る馬車は野原を駆けていき、その馬車をケンゾウは神妙な面持ちで見つめていた。
(ソウマ君、私に出来るのはここまでだ。後は祈る事しか出来ない。無事に帰ってきてくれ……。)
馬車は野原を駆けてゆっくりと遠ざかっていき、やがて霧の向こうへと消えていった。