第五十話 友を傷付けた罰
「ルシフェル……さん……?」
茶色い紙袋を抱えているルシフェルを、クロキは茫然とした顔で見上げた。
「私の名はルシフェルではない。モリノだ。……ん? いや、ルシフェルで合っている。ん? いや、今はモリノでなければならない。……まあそんなことはどうでもよい。」
ルシフェルは自分でも訳が分からなくなっていたが、すぐに切り替えて顔を上げた。
「見慣れない顔が大勢いるが、お前達が祭りの実行委員か?」
ルシフェルは周りを囲む醜悪な見た目の悪魔達を見回しながら尋ねた。
「こいつ何言ってやがんだ? モディアス隊長、こいつどうします?」
一人の悪魔がモディアスに尋ねた。
ルシフェルはその悪魔の言葉に反応し、モディアスのほうを向いた。
「お前が実行委員長か?」
ルシフェルはにこやかな表情でモディアスに話しかけた。
モディアスは手に持っていた砕けた黒剣を霧に変えて消滅させた。
「クロキとやら。さきほどの約束だが、この人間は対象外でよいな?」
モディアスは新しい黒剣を作り出し、クロキの返事を待たずにルシフェルに斬りかかった。
しかし黒剣は先ほどと同様砕け散り、ルシフェルには傷一つ付けられなかった。
「参加費が必要なのか? であれば払うぞ? つい先ほど、任務の報酬で一万ビノスを受け取ったところでな。いくらだ?」
ルシフェルは斬りかかられたことにはノーリアクションのまま話を進め、紙袋を片手に抱えながらコートの中をゴソゴソと探った。
モディアスは剣を振り抜いた直後の姿勢のまま固まっていた。その顔は茫然とし、冷酷な表情の中に初めて焦りの色が出ていた。周りの悪魔達もルシフェルの存在に怯え始めていた。
(こいつ……何者だ……?)
モディアスは目の前の存在に頭が混乱し始めていた。
「隊長、こいつ……なんか……やばくないですか……?」
悪魔の一人が体を震わせながら言った。
その時ルシフェルの背後で、「ぷっ……ははは……!」とクロキが噴き出して笑った。
「ルシフェルさん、あなたは本当に文献通りの人なんですね。この状況を祭りと勘違いするなんて……。」
クロキはやれやれといった感じの笑顔をしながらルシフェルに言った。
「ん? 勘違いだと?」
ルシフェルは聞き返しながらクロキのほうを振り返ったが、クロキの姿を見て驚いた顔をした。
「む! クロキよ! よく見れば怪我を負っているではないか! 一体誰にやられたと言うのだ!」
ルシフェルはしゃがみ込み、リンゴの入った茶袋を地面に置くと、クロキの両肩に手を置いて心配そうに聞いた。
クロキは頭や口、腕、腹、足など、あらゆる箇所から出血し、白いワイシャツは鮮血に染まっていた。
「周りにいる悪魔達と戦ったんですが、やられてしまいました……。」
クロキはバツの悪そうな顔で答えた。
「……そうか。」
ルシフェルはゆっくりと立ち上がり、モディアスのほうを振り返った。ルシフェルは不敵な笑みを浮かべ、それと対照的にモディアスは警戒した表情をしていた。
「私の大切な友人を傷付ける者は全て敵だ。友を傷付けた罰として、制裁を受けるがよい。」
そう言うとルシフェルは右腕を構え、力を込め始めた。右腕の血管がコートの布越しにミチミチと浮き上がっていく。
「!」
モディアスは危険を察知し、「逃げろ!」と周りの悪魔達に指示した。
クロキとルシフェルを取り囲んでいた悪魔達は一斉に飛び立ち、上空へと逃げていった。
ルシフェルは不敵な笑みのまま、上空の悪魔集団に向かって右手を思いきり振り抜いた。
振り抜いた右手からは例の如く、巨大な暴風が発生した。それはこれまで作り出してきたどの暴風よりも巨大で、かつ強烈な死の風だった。暴風は渦を巻いて竜巻となり、上空の悪魔達に迫っていった。そしてあっという間に悪魔達に追いつき、集団を飲み込んでいった。
巻き込まれた悪魔達はまるで木の葉のようにきりきり舞いし、もみくちゃになった。竜巻の風によって切り刻まれ、細切れになり、やがて悪魔達の体は跡形もなくなった。
竜巻は獰猛な唸り声のような風音を響かせながらグングン上昇していった。やがて竜巻は分厚い雲を突き破り、空の彼方へと消えていった。
竜巻の風で雲が吹き飛ばされ、そこから陽の光と青空が現れた。長い夜の暗闇が終わり、ファナド基地に陽光が降り注ぎ始める。竜巻に吹かれた余韻で雲はどんどん晴れていき、やがてファナド基地全体が眩い陽光に包まれた。
「てっきりまだ夜だと思っていたが、もう明けていたか。」
ルシフェルは手でひさしを作り、空を見上げながら言った。
「そうみたいですね……。」
クロキは立ち上がり、ルシフェルと同じように空を見上げながら呟いたが、すぐルシフェルのほうに向き直ると、
「ルシフェルさん、本当にありがとうございます。あなたのお陰で命を救われました。」
と、感謝を述べた。
「礼には及ばん。友として、当然の事をしたまでだ。」
ルシフェルはクロキに微笑みながら言った。
「友……ですか……。」
クロキは苦笑した。
「それにしても驚きました。てっきりルシフェルさんの魔法は水属性だけだと思っていましたけど、風属性も扱えるんですね?」
クロキは苦笑を真顔に戻し、ルシフェルの顔を見ながら言った。
「魔法ではない。軽く扇いだだけだ。」
「え? ど、どういうことですか?」
クロキは少し驚いた様子で聞き直した。
「ふっはっはっはっはっ! なんだクロキよ、知らぬのか? では教えてやろう。」
ルシフェルはクロキの問いかけに大笑いした。
「このように手で扇ぐと風が発生するのだ。軽く扇げば暑い夏の日、自分の顔に風を当て、涼むことが出来る。覚えておくとよい。」
ルシフェルは手の平をパタパタさせ、顔に風を当てながら言った。
「……?」
クロキは只々困惑して首を傾げたが、
「ぐっ! ……うぅ。」
と、不意に脇腹の辺りを押さえ、意識を失って地面に倒れこんだ。
「ん?」
ルシフェルはクロキを不思議そうに見た。
「クロキよ、こんなところで寝ると風邪を引くぞ。」
ルシフェルはしゃがんでクロキを揺すった。
クロキは完全に気を失い、起きる気配が無い。
ルシフェルは「は~。」とため息をつくと、
「やれやれ、仕方のないやつだ。」
と言ってクロキを抱き上げた。