第四十八話 祭り
「モディアス様、一匹捉え損ねているようですね。」
鼠顔の悪魔が薄紫色の悪魔に話しかけた。
「ああ、だがこれで仕留める。」
モディアスと呼ばれた薄紫色の悪魔はそう答えると、先ほど右手から出現させた黒槍を掴み、大きく振りかぶって投げ下ろした。
黒槍はクロキ目掛けて真っ直ぐに飛んでいく。
それを迎え撃つべくクロキは片膝を突いたまま両手を構え、自分と黒槍の間に炎の盾を作り出した。
金属音のような音と共に、黒槍が炎の盾に突き刺さる。
(防げたか……? いや……!)
クロキが睨む先、盾に刺さっている黒槍に異変が起き始めていた。黒かった表面が徐々に紫に変色し、硬そうだった見た目が崩れて霧状に変化していく。
(駄目だ……! 吸収されている……!)
黒槍が変化して出来た紫色の霧は、炎の盾を包み込み、そして吸収していった。
炎の盾は吸収され尽くして消滅し、クロキを守るものは無くなった。
紫の霧は黒色に戻りながら再び硬質化し、最初の黒槍の姿に戻った。そして再び動き出し、クロキ目掛けて飛んでいく。
「く……!」
クロキは新しい炎の盾を幾つも造り出し、両手を何度も振って黒槍に向かって飛ばした。
すると黒槍はまた紫の霧に変化し、炎の盾を吸収していった。霧の状態のまま盾に次々と襲い掛かり、全ての盾を吸収。そして再び黒槍の姿に戻り、クロキに襲い掛かる。
クロキは魔法で防ぐ事を諦め、横に緊急回避して黒槍を躱した。
黒槍は地面に突き刺さり、やがて黒い煙となって雲散霧消していった。
「ハア……ハア……。」
(消えたか……。しかし、盾をいくら造ってもすぐに吸収されてしまう……。槍一本でも十分脅威だ。あれが複数本同時に来られたら、どう対処するか……。)
クロキは息を荒げながら思考を巡らせた。
モディアスは一連の様子を腕組みしながら見下ろしていたが、黒槍が消えたのを確認すると腕組みを解いた。そしてまるでクロキの思考を読んでいたかのように、今度は八本の黒槍を同時に作り出した。
茫然としながらその光景を見つめるクロキ。
それを尻目に、モディアスは攻撃の準備を進めた。人差し指から小指までの四本の指を親指に引っ掛けると、デコピンの要領で引っ掛けた指を弾いた。左右同時に合計八本の指が弾かれ、それに呼応するように八本の黒槍がクロキ目掛けて発射される。
さらにそれらの黒槍は大きく孤を描いて飛び、クロキを包囲するように四方八方から迫った。
「ぐ……!」
クロキは歯を食いしばりながら、両手をクロスして構えた。
構えた両手から炎が噴き出し、噴き出た炎は揺らめきながら戦士の形に成形されていった。
複数体の炎の戦士が一度に造り出され、その戦士達は八本の黒槍を次々受け止めていった。
(盾で正面から受け止めても吸収されるだけ。それなら……吸収される前に、砕く!)
クロキの心の中の号令に呼応し、戦士達は受け止めた黒槍をへし折り、地面に叩き付けて砕いていった。
八本の黒槍全てが炎の戦士によって砕かれ、黒い煙となって消えていく。
(よし……。物理的に破壊すれば対処出来る……!)
クロキは手応えを掴んだ。
その様子を上空から見下ろしていたモディアスは右手を構え、そこからまた紫の霧を生み出した。霧の塊を八個の小さな塊に分裂させると、炎の戦士目掛けて飛ばした。
炎の戦士達は黒槍の時と同じようにその紫の霧を受け止めようとした。しかし霧は実体を持っておらず、戦士達は触れる事が出来なかった。
霧は戦士達に纏わりつき、戦士を形作る炎を吸収していった。
戦士達は必死に振り払おうとするが、霧を掻き消す事は出来ず、一方的に吸収されていった。
(紫の霧は一方的に魔力が吸い取っていき、しかも消す事が出来ない……。)
クロキは視線だけ動かして戦士達の様子を見ながら分析した。
炎の戦士達を吸い尽くした霧はそれぞれ黒槍に変化。合計八本の槍となり、同時にクロキ目掛けて飛ぶ。
クロキはギリギリの所で屈んで槍を躱し、躱された槍は互いにぶつかって砕け散った。
クロキの頭上で砕け散った破片はクロキに軽くかかり、やがて煙となって消えた。
モディアスは追撃のため、右手から紫の霧を追加で生成した。
一方クロキはそれに対抗するように炎の戦士達を生成。追撃に備えた。
(あの紫の霧を相手に、いくら魔法を準備しても無意味……でも……)
モディアスの放った霧はまた戦士達を吸収していき、すぐにクロキの防御は崩された。
(僕に攻撃するためには必ず実体化する必要がある。)
クロキの算段通り、霧は黒槍に変化。真っ直ぐクロキに襲い掛かった。
(実体化している間に砕けば……対処出来る……!)
クロキは炎の剣を造り出し、一閃。剣をぐるりと一周させて自分の周囲の黒槍を砕き、木っ端微塵に破壊した。
対処し終えたクロキは空を見上げ、上空に構えるモディアスを見た。
(細い勝ち筋だけど、彼の魔力切れまで粘れば……勝機はある……!)
クロキは勝つ算段を付けた。
そんなクロキの様子をモディアスは相変わらず冷酷な表情で、後ろの二十体ほどの悪魔はニヤニヤしながら見下ろしていた。
モディアスはしばらくクロキと見つめ合っていたが、やがてゆっくりと右手を上げるとポリポリと頭を掻き、そして口を開いた。
「単調な攻撃では無意味か。ならば、これはどうだ?」
モディアスの口振りは、まるでクロキの耐久試験を行っているかのようだった。
モディアスは、今度は一本の黒槍を造り出し、クロキに投げつけた。
(槍を一本だけ? 何をしてくるつもりだ?)
クロキは訝しみながらも、自分と黒槍の間に炎の戦士達を集結させ、迎撃態勢に入った。
黒槍は戦士達に向かって真っすぐ飛んでいき、そのままいけばまた戦士達に受け止められるはずだった。ところが黒槍はカクンと進路を変え、戦士達を迂回するように躱し、クロキ目掛けて飛んできた。
「!?」
クロキは突然のことに驚いて目を見開いたが、地面を転がるようにして緊急回避し、黒槍を躱した。
すると黒槍は地面に刺さる直前で急停止し、クロキのいる方向に向きを変えてまた飛んできた。今回の黒槍はこれまでの槍とは違ってホーミング機能を備えており、しつこくクロキを追いかけ続けた。
「く……!」
クロキは苦し気な声を漏らしながらもなんとか足に力を込め、右へ左へ飛んで黒槍を避け続けた。
忙しなく動き続けるクロキとは対照的に、モディアスはただ上空に佇み、人差し指をクイクイと動かしているだけだった。
モディアスの指の動きに合わせ、黒槍は急旋回して軌道を変えていく。
(なんて追尾性能だ! 炎で防御壁を造り出す隙が無い!)
黒槍のしつこい追尾により、クロキの体力はドンドン削られ、息が上がり始めていた。
(もう息が上がるなんて……長く実戦から遠ざかっていたツケだな……。)
クロキは心の中で自嘲しながら、手の平に小さな炎の小刀を造りだし、モディアスに向かって投げつけた。
モディアスはそれを難なく躱す。が、人差し指の動きを一瞬中断したため、クロキを追っていた黒槍の動きが止まった。
(今だ!)
クロキはその一瞬の隙を突き、炎の戦士を数体生み出した。
戦士達は槍を砕こうと腕を振り被る。
しかしモディアスは素早く腕を振り抜いて槍を動かし、戦士達の攻撃を躱した。さらに戦士達を避けるように迂回し、一気にクロキに迫る。
(防御を躱されるのは想定済み……狙いは次の一手だ……!)
クロキは両手を構え、炎を一気に放出していった。
放出された炎はドーム状に形成されていき、やがてクロキをすっぽりと覆った。それはまるで卵の殻にこもる雛のようだった。
黒槍はクロキまで到達する事は敵わず、炎のドームに突き刺さって止まった。傍に居た炎の戦士がその槍を掴んでへし折り、折られた槍は黒い霧となって消えていった。
(なんとか凌げた……。ただ、出来ればこれはやりたくなかった……。第一に、この状態では外の様子が分からなくなる……。そして第二に……)
「炎で全身を覆ったか。だが、それではもう身動きが取れまい。」
モディアスはそう言うと両手を構えて力を込め、途轍もなく大きな霧の塊を造り出した。
モディアスが右腕を振り下ろすと、その霧の塊は炎のドームに降り注ぎ、ドームを形成する炎を吸い取っていった。霧はあっという間に炎を吸い尽くし、今度はクロキの頭上まで吹き上がる。そしてうねうねと蠢きながら形を変え、やがて無数の槍を備えた巨大な壁へと姿を変えた。
モディアスはその巨大な物体に右手を向けて力を込めていたが、やがてふっと力を緩めた。
するとその巨大な壁は、まるで支えを失ったかのように自由落下し始め、防御壁を失ったクロキ目掛けて落ちていった。
「砕け散れ。」
巨大質量の黒い塊が地面に衝突し、辺りに激しい衝突音と地響きが轟いた。
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その激しい衝撃は、要塞の中で身を潜めるソウマ達の元にも微かに届いていた。
ソウマ達は要塞の中の小さな小部屋にいたが、その小部屋が地響きで小刻みに揺れ、天井からパラパラと砂や埃が落ちてきた。
「今の……何だ……?」
ケンタは顔を上げて辺りを覗った。
「クロキさん……。」
ソウマはクロキがいるであろう方角を見つめ、只々祈る他無かった。
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黒い塊が落ちた後の地面には、小さなクレーターのような穴ができていた。穴からは土煙が立ち昇り、辺りには黒い塊の破片が散乱していた。その破片はすぐに霧状になり、土煙と共に消えていった。
「派手にやり過ぎたか。相手の様子が分からんな。」
モディアスは腕組みをし、地面の穴を見下ろしながら言った。
「わたくしが様子を見てきます。」
「いや、危険だ。俺が見に行く。お前達はそこにいろ。」
鼠顔の悪魔の申し出を断り、モディアスは一人で穴の近くに下り立った。
モディアスが翼を一振りして煙を払うと、うつ伏せで倒れているクロキが穴の中心にいた。クロキは辛うじて生きているようだったが全身血まみれで、ワイシャツの腹部の辺りが切り裂かれ、そこからも激しく出血していた。モディアスが近くに来てもピクリとも反応を示さない。
クロキの様子を確認したモディアスは、上空で待機している悪魔達に合図を送った。
上空の悪魔達は合図に従ってモディアスの元まで来ると、クロキを取り囲むように地面に下り立った。
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ファナド基地の外の住宅街では、一般の住民達が避難を開始していた。
ファナドの街並みは石造りの無骨な建物が建ち並び、細い石畳の路地が蜘蛛の巣のように張り巡らされている。
避難する住民達はその細い路地で押し合いへし合いし、ごった返していた。街に駐屯するグリティエ軍の兵士達がその住民達を誘導し、住民達はみな誘導の通りに進んで避難していた。
「ここの地区は第三番ゲートが一番近いです! 慌てず騒がず行動して、城壁の外まで避難して下さい!」
兵士達は高台に登り、避難する住民の波に指示を送っていた。
しかしその指示も虚しく、住民達は慌てて騒いでいた。
その時ファナド基地のほうから大きな衝撃音が聞こえ、住民達は一斉に振り返った。
兵士達もその大きな音に驚いた様子だったが、すぐに表情を切り替え、
「……立ち止まらないで下さい! 避難が最優先です! 立ち止まらずに、進み続けて下さい!」
と、声を枯らして誘導を続けた。
「なあ、おい……。」
一人の兵士がもう一人の兵士の肩を叩いた。
「何だ!? 問題発生か!?」
「あれ……。」
兵士がファナド基地の城壁のほうを指さし、もう一人も城壁のほうを見た。
兵士が指さす先、基地の城壁のさらに上のほうに悪魔の集団がいた。悪魔達は空中で羽ばたいていたが、やがてゆっくりと下降していき、城壁の内側に消えていった。
「今の……二十体はいなかったか……?」
「ああ……いた……。」
「基地の先輩達、大丈夫だよな?」
「……。」
「大丈夫だよな?」
兵士は涙声になった。
もう一人の兵士は何も言えず、泣きそうな顔の兵士のほうを見た。
無言でしばし見つめ合っていた二人の兵士は、やがてゆっくりとファナド基地のほうを向き、只々心配そうな視線を送っていた。
高台の兵士達がそんなやり取りをしていた丁度その時、一人の男がそばを通りかかった。長身のその男はリンゴの入った茶色い紙袋を両手で抱え、銀髪の長い髪をなびかせながら、避難する群衆とは真逆の方向に歩いていた。男は立ち止まり、ゆっくりと顔を上げると、ファナド基地の城壁のほうを睨んだ。
「やけに基地が騒がしいな。さては……私のいない間に勝手に祭りを開催しているのだな? まったく……不届き者達め。」
不機嫌な顔でそう言うと、ルシフェルはファナド基地に向かってゆっくりと歩いていった。