第三十七話 氷のドラゴン
翌日の朝。
新兵達はまた基地の広場に集まり、昨日と同じく魔法の訓練を行っていた。
「お! 出来た!」
ケンタは手の平の上に浮かせた水を氷に変えることに成功した。
「リュウ! お前のアドバイスのお陰だ! ありがとな!」
ケンタは近くにいたリュウに礼を言った。
「やっと俺の足元に及ぶようになったか。だが残念だったな。俺はさらに先を行ってる。」
リュウは不敵な笑みを浮かべながらそう言うと、手の平から水を作り出した。リュウは水を形状変化させて、とある形に変えると、その形を保ったまま水を氷に変えた。リュウはその氷の塊をケンタに投げて寄こした。
「俺は形状変化させながら同時に性質変化で氷に変えるところまでマスターした。どうだ? 凄えだろ?」
リュウはドヤ顔で言った。
「そりゃもちろんすごいけどよ、何だこれ?」
ケンタは受け取った氷の塊を不審そうに眺めながらリュウに聞いた。
「オタマジャクシだ。それはお前の現在地がまだその程度だってことを表してる。で、俺はその先を行ってるってことだ。」
リュウは悪人のような笑顔で言った。
その時、リュウの背後で話を聞いていたシドウが「ぷっ。」と噴き出した。
「なに笑ってんだよ?」
リュウはシドウを睨んだ。
シドウは「くくく~。」と堪え切れない笑いを漏らし、目に笑い涙を浮かべていた。
「オタマジャクシのその先って蛙じゃん。」
シドウはこみ上げる笑いを落ち着かせると、目尻の涙を拭いながらリュウの発言を指摘した。
自分のミスに「は!」と目を丸くするリュウに対してシドウは、
「『俺は蛙だ』って言ってるようなもんだけど……いいの? それで? あ! もしかして自虐で僕を笑わそうとしたとか?」
と、皮肉をたたみかけた。
「ちげえ! ちょっと待て! 今のは無しだ!」
リュウは顔を赤くしながら慌てて別の氷の作品を作り始めた。
「おいイガリ! やっぱこっちだ!」
リュウは完成した氷の塊をケンタに投げた。
「今度は何だよ?」
「カブトムシの幼虫だ。」
「虫じゃん。」
シドウは冷めた顔でリュウに言った。
「いいんだよ、カブトムシはかっこいいから。」
リュウは独自の理論を展開した。
そこへクロキが見回りにやってきた。
「とても上達が早いね。素晴らしいよ。」
クロキはいつものくたびれた笑顔で話しかけてきた。
「はい! 先生! ありがとうございます!」
リュウはクロキに向かって元気良く返事をした。
しかしクロキはリュウを通り過ぎ、後ろの新兵の元に歩いていった。
「モリノ君は本当に凄いね。やはり君は逸材だよ。」
クロキはルシフェルに話しかけた。
リュウは愕然とした顔でクロキ達を見たが、クロキとルシフェルはリュウを完全にスルーしていた。
「クロキよ。その言葉、幸甚の至りだ。」
ルシフェルはクロキに微笑みながら言った。
ルシフェルは構えた手の平の上で複雑な形状の水のドラゴンを作り出し、それを氷にしたり水に戻したりを繰り返していた。
その妙技を見た周りの女性新兵達はルシフェルに黄色い歓声を上げた。
「リュウく~ん、君がカブトムシだとしたら、モリノさんはドラゴンだろうね~。」
シドウはリュウを口撃した。
「ぐぬぬ……!」
リュウは悔しそうに歯を食いしばった。
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訓練は午前中の終わりにさしかかり、新兵の何人かは日陰のベンチで休憩を取り始めていた。
ベンチでは金髪のアリサともう一人、眼鏡をかけた黒髪の女の子が談笑をしていた。
そのベンチにカレンがやって来た。カレンはそれまで練習をみっちり続け、顔に汗をかいていた。
「あら、ユーリちゃんも休憩? こっちにどうぞ。」
アリサはお嬢様のような気品のある抑揚でカレンに声をかけた。
「う、うん、ありがとう。」
カレンはアリサの隣にちょこんと座った。
アリサは貴族のように足を揃えて座り、もう一人の黒髪の女の子は足を投げ出して座っていた。
「ユーリちゃんはどこまで上達したのかしら?」
アリサはカレンに尋ねた。
「えっと、私は性質変化の練習に入ったところです。クロキ教官に教わりながら木属性の魔法で練習してるんですけど、性質変化させると植物から毒素を発生させることができるみたいなんです。」
カレンはアリサに若干緊張しているのか、両手を膝の上でモジモジさせながら言った。
「やっぱりユーリちゃんが一番進んでるわね。私とカンナはまだ形状変化よ。ね?」
アリサは黒髪の女の子カンナのほうを振り向きながら言った。
「そ、そっか。でも私も風属性で性質変化をやってみたら全然だめだったから、まだまだかな。あはは……。」
カレンは頬を赤らめながら謙遜した。
「いいなぁユーリは。才能もあって性格も謙虚なんて。完璧人間って感じじゃん。」
カンナはジト目を向けながらカレンをひがんだ。
カンナは丸眼鏡をかけている黒髪の女の子だった。背丈や年齢はアリサやカレンとほとんど変わらないように見える。顔は丸顔のショートヘアで、なにかコアな趣味を持つオタク、といった雰囲気の女の子だった。
「え!? そ、そんなことないよ。私、性格は暗くて内気なほうだし、それに魔法だって男の子達には全然勝てないよ。」
そう言いながらカレンは、遠くで男子の新兵達がやいのやいの騒いでいる様子を見た。
「こら、カンナ。ユーリちゃんを虐めちゃ駄目よ。」
アリサはカンナをたしなめた。
「はいはい、分かりましたよ姉御。ごめんユーリ。」
カンナは両手を頭の後ろで組みながら、軽くいなすように返事をした。
「う、ううん、大丈夫。」
カレンはカンナ対して首を横に振った。
「もう。」
アリサはカンナにややご立腹な様子だったが、カレンと同じように男子の新兵達のほうを見て、
「でも、確かにユーリちゃんの言う通り、男の子達のほうは随分進んでるわね。特にあのモリノという人、凄いわね。もうあんなに使いこなしてるわ。」
と感心したように言った。
「確かにね。……もしかしてアリサ、男子達に差を付けられて焦ってる?」
カンナはアリサを煽るような口調で言った。
「そんなことないわ。純粋に凄いと思っただけよ。それに他人なんて関係ないわ。男の子は男の子、私は私よ。」
アリサは気丈に振る舞いながら言った。
「ほえ~、かっこいいなぁ。あたしもアリサみたいなかっこいい大人の女性になりたいわ~。」
カンナは自虐気味にそう言うと、投げ出し気味だった足をさらに大きく投げ出した。
「あら、別に私、そんなんじゃないわ。ていうかカンナ、足はちゃんとしまったほうがいいわよ。もっとお淑やかにしないと。」
アリサは眉をひそめながらカンナをたしなめた。
「別にいいの。あたし、女なんかとっくに捨ててるし。」
カンナはあっけらかんとしながらアリサの忠告をあしらった。
その時、ソウマとケンタがカレン達のいるベンチにやって来た。
「隣、いいかな?」
ソウマはカレンに尋ねた。
「ふえ? あ、うん。どうぞ。」
カレンはソウマ達の不意の登場に驚きつつ了承した。
カンナはソウマ達に気付くと慌てて足を小さく畳み、背筋を正して座り直した。
「皆も魔力切れ?」
ソウマはカレンに尋ねた。
「うん。全然魔法が出なくなっちゃって、それでクロキ教官が休むように言ってくれたの。」
カレンはそう答えながら前髪を少し気にした。
「そっか。僕ももうほとんど残ってないや。」
ソウマは両手の平を見ながら言った。
「私もすぐ無くなっちゃう……。こんなんじゃ悪魔と戦えないよね。」
カレンは落ち込みながら言った。
「あはは、そんなことないよ。カレ……じゃない、ユーリは凄く上達してるし、それにクロキ教官が言ってたみたいに、魔力は少しずつ鍛えられるものだから、焦らずゆっくりでいいと思う。ユーリは頑張り屋だから、きっと大丈夫だよ。」
「あ、ありがとう……。」
カレンは顔を真っ赤にしながら、ソウマのフォローにお礼を言った。
「お熱いねぇ、若いの二人が。」
カンナはニヤニヤしながら目を細め、小声で茶化した。
アリサは「カンナ、邪魔しないの。」とたしなめ、「は~い。」とカンナは引き下がった。
カンナの様子をアリサはジト目で見ていたが、やがて汗をかいているケンタの様子に気付くと、
「あ、そうだ。イガリ君、ちょっといい?」
と言ってベンチから立ち上がり、ケンタの元に来た。
「ん? なんだ?」
「汗、拭いてあげる。」
アリサはポケットからハンカチを取り出すと、ケンタの額の汗を拭き始めた。
「んお、あんがと。」
ケンタは礼を言った。
「午後の訓練もあるから、汗がそのままだと風邪ひいちゃうわ。」
アリサはニコっと笑いながら言った。
「……アリサって意外と優しいな。もっとツンケンした奴だと思ってたけど、印象変わったぜ。」
ケンタはニカッと笑いながら言った。
「え? ほ、本当? あ、ありがとう。」
アリサは照れながら言った。
その様子を凝視していたカレンは、
(な、なるほど……。)
と、心の中で呟き、急いでハンカチを探し始めた。
「あ、あの、キンジ君。私も汗、拭いてあげよっか?」
ハンカチを取り出したカレンは、遠慮がちにソウマに聞いた。
「え? うん、ありがと。」
不意のことにソウマは少し驚いたが、笑顔でお礼を言った。
「いえいえ。」
カレンは照れ笑いを浮かべながらソウマの額の汗を拭いた。
カレンやアリサの様子をカンナは一人、少し羨ましそうな顔で見ていた。
一方その横では、ケンタが何かに気付いた様子だった。
「アリサのハンカチ、なんかいい匂いするな。」
ケンタがそう言うと、
「あら、そう? 新品だから、きっと卸し立ての匂いだと思うわ。」
と、アリサは答えた。
カレンはアリサの言葉に、「は!」と何かに気付いた様子で、汗を拭くのをやめるとソウマに背を向け、頭を抱えだした。
(どうしよう……お手洗いの時に使ってるハンカチで拭いちゃった……。私、最低!)
カレンは涙目になりながら自分を責めた。
「ユーリ、大丈夫?」
ソウマはカレンの様子を心配して顔を覗き込んだ。
「うぅ、ごめんなさい……。」
カレンは消え入りそうな声で言った。
「?」
ソウマはカレンの内心がわからず、首を傾げた。
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ホムラの拠点の地下研究室で、マディは透明な液体の入った試験管を掲げていた。
「できたぞぉぉぉ。」
マディは誇らしげな顔で言った。
「さあタマちゃぁぁぁん、失礼するよぉぉぉ。」
マディは床にしゃがむと、ケージの中で眠っているタマに注射を打った。
「どうかなぁぁぁ。」
マディはタマをじっと観察した。
タマは相変わらず背中に翼が、頭に角が生えたままだったが、今はスヤスヤと寝息を立て、呼吸で体をゆっくりと上下させていた。
マディはしばらくタマを観察していたが、タマは全く目覚める様子がなかった。
「起きないねぇぇぇ。……仕方ない、別の作業をするかぁぁぁ。」
マディは観察を中断し、机で別の実験作業を始めた。
マディが作業を始めた丁度その時、背後でタマがパチリと目を覚ました。