第三十四話 イメージ
朝を迎え、ファナド基地の広場に兵士達が集まっていた。
広場はファナド基地の要塞に囲まれた四角形の空間だった。テニスコート二面分ほどの広さで、刈り整えられた芝生が生え、春の陽光に照らされて青々としていた。
兵士達は紺色の軍隊服を身に纏い、広場の隅に一か所に集まって整列していた。見た目はみな若く、兵士達は十代から二十代がほとんどだった。
兵士の集団の中にはソウマ、カレン、ケンタ、ルシフェルの姿もあった。
兵士達はリラックスした様子で雑談をしていたが、要塞の中から一人の男性が広場に現れると、一斉に雑談をやめて姿勢を正した。
要塞から現れた男性はブラックボードの設置された壁の前まで来ると、兵士達に向けて話し始めた。
「新兵の皆さん、初めまして。この訓練の指導を担当する、教官のクロキです。よろしくお願いします。」
クロキは自己紹介した。
クロキは180cm近い長身で、スマートな体形の男性だった。年齢は四十代くらいで、顔に小じわが目立つ。新兵に向ける笑顔はどこか過労気味で、少しくたびれた雰囲気があった。伸ばした黒髪も、まるで萎れた植物のようにどこかくたびれて見えた。下には新兵と同じ紺色のズボンを履き、上にはワイシャツを着てネクタイをきっちり締め、第一ボタンまで留めていた。服装がそう見せているのか、どこにでもいる優しいお父さん、という見た目の人物だった。
「宜しくお願いします!」
新兵達は腹から声を出してクロキに挨拶した。
クロキは「うん、よろしく。一旦姿勢は崩していいですよ。」と前置きするとチョークを持ち、背後のブラックボードに図を描き込みながら話し始めた。
「この訓練の目的は新兵の皆さんの魔法を強化することです。改めて魔法の復習ですが、魔法には火、水、風、木の四属性があります。稀に三属性以上扱える人もいますが、基本的に一人の人間が扱えるのは一属性から二属性までです。」
クロキはブラックボードに図を描き終えると、新兵達のほうを向いて手から火を出した。
「皆さんは義務教育の中で魔法を発動させること、そして魔法を一定の規模に制御することを学んできたと思います。」
クロキは出した火を大きくしたり小さくしたりして、魔法の制御を実演してみせた。
「しかし義務教育で教わるのはここまでです。グリティエ軍で戦力となるには、もっと強力な魔法を身に付ける必要があります。」
クロキは一旦そこで言葉を切って手から出していた火を消すと、新兵の隊列の一番前に立つ水色の髪の青年に歩み寄った。
「シドウ君。君は確か、火属性と風属性を扱えるね?」
クロキは水色髪の青年シドウに尋ねた。クロキの新兵に対する口調はとても優しいものだった。
「はい、そうです。」
シドウは軽い口調で答えた。
「どちらでも構わないんだけど、ちょっと出してもらえるかな?」
「わかりました。それじゃあ……火属性のほう、やりますね。」
シドウはクロキの依頼に応じ、手の平から火を出した。
「ありがとう。君は火の魔法を出している間、頭の中でどんなことをイメージしているかな?」
クロキは尋ねた。
「んー、燃え上がる炎をイメージしてます。ぼんやりですけど。」
シドウは手から火を出したまま、少し戸惑いつつ答えた。
「そう、頭の中で炎を思い浮かべているよね。ありがとう。」
クロキは礼を言い、ブラックボードの前に戻った。
シドウは火を止めた。
「皆さんもそうだと思いますが、魔法を出す時にはその魔法が出る様子を必ず頭の中でイメージしているはずです。このイメージが無ければ魔法は発動しません。逆にほんの少しでもイメージすれば、それがトリガーとなって魔法は発動します。」
クロキはそう言うと、構えた手の平から野球ボールサイズの炎を出した。
「頭の中のイメージが朧気なままでも魔法の威力は十分制御出来ますし、そこまで出来れば学校を卒業することが出来ました。しかしこれは裏を返すと、学校教育ではイメージする力はほとんど伸びないということです。魔法を強化するためにはこのイメージする力を伸ばす必要があります。イメージする力を伸ばせば、例えばこんな事が出来るようになります。」
クロキは手の平の炎を剣の形にした。
「私は今、頭の中で剣をイメージしました。炎をこんな形にしたいと頭の中で明確に思い描けば、自由自在に形を変えることが出来ます。」
クロキは炎の剣を放り投げる仕草をした。
すると手の平で漂っていた炎の剣は放物線を描いてクロキから離れ、空中に漂い始めた。クロキがその剣に向かって手をかざすと炎はみるみる形を変えていき、やがて剣と盾を持った兵士の姿に変わった。クロキはくたびれた笑顔のまま両手を構えると、次々と炎を生み出していった。そして生み出した炎を全て炎の兵士の姿に変えた。
炎の兵士達はあっという間に新兵達を取り囲み、新兵達は引きつった顔で後ずさりした。
背の高いルシフェルは新兵の群れの中で頭が抜き出ていたが、その顔は特に動じることなく無表情だった。
炎の兵士達は新兵達ににじり寄っていき、新兵達は少しずつ追い詰められていった。炎の兵士達は剣を構えて新兵達に迫っていったが、あと少しで接触する、というところで煙となって消えた。
「驚かせてしまって済まなかったね。」
クロキが謝ると、新兵達は胸を撫で下ろしながら元の位置に戻った。
「でも、想像力を高めることで強力な魔法を出せるようになる、ということが理解出来たと思います。」
クロキはそう言い、
「想像力を高めるには実践あるのみです。それでは皆さんも早速やってみましょう。頭の中でイメージして、自分の魔法を色々な形に変えてみて下さい。最初は丸、四角、三角など、簡単な図形からチャレンジするのがよいと思います。」
と、新兵達に実践を促した。
クロキに言われ、新兵達は間隔を空けて広がり、それぞれ練習を始めた。
ソウマはサッカーボールを持つような形に両手を構え、焚火ほどの大きさの火を出した。その火をじっと見つめ、ソウマは集中を始めた。
最初はただメラメラと燃えているだけの火が、歪ながら徐々に三角形の形にまとまり始めた。
(もう少し……もうちょっと……!)
ソウマは額に汗を流し、集中し過ぎるあまり息をするのも忘れていた。
あと少しで綺麗な三角形に火が収まる、というところでソウマの集中力が切れ、火は消えた。
「ぶはあ……!」
ソウマは止めていた息を深呼吸で一気に取り戻した。
(クロキ教官の言う通りだ。今まで火の大きさを調節するなんて、なんとなくで出来てたけど、形を制御するって、こんなに難しいことだったんだ……!)
ソウマは心の中で驚愕した。
一方ケンタは、魔法で生み出した水で四角形を作ろうとしていた。
水は生き物のようにうねうねと動き、なかなか形がまとまらずにいた。
その時ケンタの腹が鳴り、ケンタは反射的に、
(ステーキ食いてぇ。)
と思った。
すると水は一瞬で皿に乗ったステーキの形に変わった。
(あ! ちげえちげえ! 四角だ! 四角! ステーキは一旦忘れろ!)
ケンタは頭をブンブン振り、頭の中でステーキを遠くに投げ飛ばすイメージをした。
すると両手の上に浮かせていたステーキ型の水が遠くに吹っ飛び、隣の黒髪少年の顔面に命中した。
一方カレンは木属性の魔法で手から蔓を伸ばしていた。
その蔓はゆっくりと成長し、綺麗な円を描いていた。
「あら、あなたとても上手ね。」
カレンの隣の金髪の女の子が話しかけてきた。
その子の声は育ちの良いお嬢様と言った感じの抑揚があり、少し気の強そうな雰囲気があった。背丈はソウマと同じ160cm前後で、金髪の長い髪をポニーテールに結んでいた。顔は目鼻立ちの整った、俗に言うお人形さんのような顔立ちだった。
「え? あ、えっと、ありがとうございます。」
カレンは突然話しかけられ、若干挙動不審になりながらも受け答えをした。
「私、風の魔法で三角形を作ろうとしてるんだけど、なかなか上手くいかないのよね。何かコツがあれば教えてくれないかしら?」
金髪の女の子はカレンに尋ねた。女の子は水を掬うような形に両手を構えて風の渦を作っていたが、その風の流れはかなり歪な三角形だった。
「コ、コツですか……。えっと、私は頭の中で真っ白な空間を想像して、そこに黒い図形を思い浮かべるようにやっています。」
カレンは宙を見上げて少し考えてから、金髪の女の子にコツを答えた。
「そう。分かった、やってみるわ。」
金髪の女の子はそう言うと、目の前の風の渦に視線を集中させた。
手の平の気流は少しずつ整っていき、段々ときれいな三角形になり始めた。
金髪の女の子は眉間に皺を寄せ、集中力を高めた。
やがて気流は、きれいな三角形の流れを形作った。
「やった! 上手くいったわ! あなたのアドバイスのお陰ね。ありがとう。」
金髪の女の子はニコっと笑ってカレンにお礼を言った。
「い、いえ、お役に立てて良かったです。」
カレンは向けられた笑顔に頬を赤らめながら返事をした。
「ところであなた、お名前は?」
金髪の女の子はカレンに名前を尋ねた。
「カレ……あ、ユーリです。」
カレンは本名を言いそうな所をギリギリで踏みとどまった。
「ユーリちゃんね。私はアリサよ、よろしくね。」
金髪の女の子はアリサと名乗り、カレンに向かってまたニコっと笑った。
「……は、はい! よろしくお願いします。」
カレンはアリサのきれいな笑顔に一瞬見とれつつ返事をした。
一方ルシフェルは水の魔法を使って様々な造形物を作り、オオカミ、人間、幾何学模様、建物など、絶え間なく水の形を変え続けていた。
クロキはクリップボードを片手に新兵達の間を縫うように見回りをしていたが、ルシフェルの様子が目に留まると、そちらに向けて歩き出した。
「モリノ君、やはり素晴らしいね。採用試験の時から注目はしていたんだけど、早くも頭角を現してきたね。」
クロキはルシフェルの元に来ると、ルシフェルの魔法を褒めた。
「クロキよ。その言葉は嬉しいが、私の名はモリノではない。ルシフェルだ。」
ルシフェルは手元の水から視線をクロキに移すと、自分の名前を訂正した。
「あ、あれ? おかしいな……。リストにはモリノで登録されているんだけど、手違いがあったかな?」
クロキは眉をひそめ、クリップボードに留めている新兵のリストに目を通し始めた。
「うむ、リストを修正してくれたま……ん?」
ルシフェルは後ろを振り返って自分を睨みつけるケンタの視線に気づいた。
「ああ、そうであったな。」
ルシフェルはケンタの表情を見てなにかを察し、クロキのほうに向き直った。
「クロキよ、やはりモリノで合っている。すまなかった。」
「あ、ああ、そうかい。間違ってなくて良かったよ。」
クロキは急な再訂正に若干戸惑いつつも、安心したように返事をした。
ケンタは怒りと呆れの籠った深いため息をついた。