第三十二話 悪魔化
「ケンタ。あれ、処分したほうがいいよね?」
ソウマは城門近くの机にある紙を指さして言った。
「ん? ああ、頼む。」
ケンタはソウマの指さす先を見ると、頷きながら返事をした。
ソウマは城門近くまで歩くと、机の上にある紙を数枚手に取った。
紙にはそれぞれ四人分の人相書きと身分証の控えが記載されていて、ソウマはそれらの紙を火の魔法で燃やした。
続いてソウマは机に置いてある四人分の偽身分証を手に取った。
「これ、どうしよう。もう使えないよね?」
ソウマはケンタのほうを向いて言った。
「ああ。戸籍情報とリンクしてる本物の身分証を手に入れないと駄目だ。でもその前に……」
ケンタは城壁を見上げ、
「この壁をどう越えるかな。」
と険しい顔で言った。
「城門は完全に閉まってるね。カレンの木属性の魔法で、蔓を城壁の上まで伸ばすのはどうかな?」
ソウマは城門の取っ手を軽く引いて開かないことを確認すると、カレンのほうを振り返って言った。
「わ、私の? う~ん、難しいと思う。私の魔法は弱いから、人の重さを支えられるような丈夫な蔓は作れない……かな。ごめんなさい。」
カレンは手から細い蔓を出して見せ、ペコペコ謝った。
「いや、そんな……謝ることないよ。僕も弱い魔法しか使えないし。」
ソウマはカレンを気遣った。
「ミカドさんなら出来ると思うんだけど……。あの時の申し出、断らなきゃ良かったね。」
カレンは言った。
「うぐ、すまねえ。」
ケンタは痛い所を突かれた顔をしながら謝った。
「あ、ううん。ケンタ君を責めてるわけじゃないよ。私もあの時はケンタ君の考えに賛成だったから。」
カレンは少し焦りながら、蚊の鳴くような声で言った。
三人が悩んでいる中、ルシフェルは一人、城壁の前まで歩いていった。
「諸君、ここを通ってゆこう。」
ルシフェルは何の変哲もない白い壁を指して言った。
「んあ?」
ケンタは不審そうな顔でルシフェルを振り返った。
「幻覚でも見えてんのか? 残念ながらそこに通路はねえぞ。」
ケンタはルシフェルを軽くあしらうと、ソウマとカレンのほうに向き直って話し合いを続けた。
「先に行っているぞ。」
ルシフェルはそう言うと城壁のほうに向き直った。
「先にって……えぇ!?」
再びルシフェルのほうを振り返ったケンタは驚きの声を上げた。
ケンタの目に見えたのは、ルシフェルが城壁に向かってスタスタと歩いていく光景だった。ケンタは最初、ルシフェルはそのまま壁に激突すると思った。ところがルシフェルの体が城壁に触れた瞬間、触れた部分がまるで豆腐のようにあっさりと破壊された。
ルシフェルは構わず進み続けた。特別何か派手な動きをしている訳ではなく、ルシフェルはただ歩いているだけだった。
にも拘わらず、硬い城壁がまるで道を譲るかのように、ルシフェルの体が触れただけで破壊されていく。
ソウマとカレンも目の前の光景に驚愕し、目を擦って見直したが、やはり起きている現象は変わらなかった。
辺りに大きな破壊音が鳴り響き、瓦礫が散乱していく。
五メートルほど歩いたところでルシフェルは分厚い城壁を貫通し、城壁にはルシフェルの体の形の穴が開いた。
「さあ、ゆくぞ。」
ルシフェルは手を振って三人を呼んだ。
三人はルシフェルの開けた穴からそっと顔を覗かせ、
「もう……リアクションするの疲れたな……。」
とケンタは呟き、
「うん……。」
とソウマは静かに同意した。
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その頃ホムラの拠点の地下研究室では、マディが実験作業の準備を進めていた。
マディはルシフェルの血が満タンに入っている試験管を持ち、試験管の口を塞いでいるコルクを取った。試験管立てを手元に引き寄せ、空の試験管数本に血を小分けにしていく。十本ほどの試験管に小分けにすると、マディは腰をかがめて試験管に目線を合わせた。
「う~ん、何から試そうかなぁぁぁ。」
マディは目をギョロつかせて血を眺めながら、悩まし気な顔で言った。
マディは机の引き出しを開けて中を探った。
引き出しの中にはケースが沢山入っていて、何かの動物の目玉や牙、その他謎の固形物が仕舞われていた。
マディはその中から一つのケースを取り出すと、そのケースを開けた。
「こういう類の物にはやっぱり、これが定番だよねぇぇぇ。」
マディはケースからキラキラと光る葉っぱを数枚取り出した。
その時、床でマディの様子を見上げていたタマが、ピョンと机の上に跳び乗ってきた。
「んんん? これが気になるかぁぁぁい? これは精霊樹の葉だよぉぉぉ。名前は仰々しいけど、割とどこにでも生えてるんだよぉぉぉ。」
マディはクルクル回しながら葉っぱをタマに見せた。
タマは不思議そうにその葉っぱを眺めていた。
マディは血の入った試験管の一つを手に取り、天井のランタンの光にかざした。マディは試験管をゆすって血の様子を観察した。
その時、不意にタマがその試験管に猫パンチをし、試験管はマディの手から滑り落ちた。
試験管は床に落ちて砕け散り、血とガラスの破片が飛び散った。
「ああぁぁぁ、タマちゃぁぁぁん。いたずらっ子めぇぇぇ。」
マディは全く怒っていない声でタマを咎めた。
タマはマディのことを無視し、机から飛び降りて床に着地した。そして床の血だまりに近付いていき、匂いを嗅ぎだした。
「!」
マディはタマにギョロ目を向けると、急いでタマを抱き上げた。
しかし遅かった。タマの口の周りにはルシフェルの血が付着し、タマはそれをペロリと舐めた。
「ああぁぁぁ、舐めちゃったねぇぇぇ。ごめんよぉぉぉ、君はケージに入れておくべきだったねぇぇぇ。」
マディは申し訳なさそうにしながらそう言い、床に正座してタマを膝に乗せた。
タマはマディを見上げて「ミャオー。」と甘えた声で鳴いた。しかしその直後、苦しそうな仕草をしたかと思うと、やがてぐったりとなって動かなくなった。
マディは驚いて目を丸くし、手の平をタマの口元に持っていった。
「ふうぅぅぅ。良かったぁぁぁ、息はあるねぇぇぇ。」
マディは胸を撫で下ろした。
タマはすやすやと寝息を立て、呼吸に合わせてゆっくりと体を上下させていた。
「このまま何事も無いと良いんだけどねぇぇぇ。」
マディは穏やかに眠るタマを見下ろしていたが、
「んんん?」
すぐにタマの異変に気付いた。
タマの爪が徐々に鋭く発達し始めていた。
マディは肉球を押して爪を押し出すと、出てきた爪は猫というより猛獣のそれに近付いていた。
次にマディはタマの口を開けて口内を確認すると、牙も同じように鋭く発達し始めていた。
「これは……良くないねぇぇぇ。」
マディは悲痛な顔をしながらタマを抱え上げ、床に置いてあるケージの中に入れた。
タマはケージの中ですやすやと眠り、起きる気配は無かった。
マディはその様子をしばらく見ていたが、やがてケージの周りをグルグルと歩き始めた。
「心配だなぁぁぁ、落ち着かないなぁぁぁ。」
マディは腕組みしながら歩く、時折立ち止まってケージの中を見る、をしばらく繰り返した。
「こんな時はコーヒーを飲んで落ち着こぉぉぉ。」
そう言うとマディは一階の広間に上がってコーヒーの支度を始めた。
いつものように鍋で湯を沸かし、コーヒー豆を挽き、紙フィルターをセットしたカップに豆とお湯を注ぐ。
マディがコーヒー片手に地下研究室に下りると、ケージの中ではさらなる異変が起きていた。
眠りから覚めたタマがケージの中で激しく暴れていたのだ。獰猛な唸り声を上げ、目はぎらつき、口からは牙を剥き出しにし、唾を撒き散らしながらケージの金網を壊そうと爪や牙を振るっていた。
「ああぁぁぁ、なんてことだろぉぉぉ。」
マディは愕然とした表情でケージに近付いた。コーヒーを机に置き、ケージの中を覗き込んだ。
「んんん? ああ……そういうことかぁぁぁ……。」
マディはケージの中のタマを観察し、そして気付いた。
タマの背中にはコウモリの羽のような黒い小さな翼が生え、頭には小さな二本の角が生えていた。
「悪魔の血が体に入ると悪魔に近付いていくみたいだねぇぇぇ。悪魔化、と言ったところかなぁぁぁ。」
マディはとても悲しそうな顔をしながらケージに顔を近付けた。
「タマちゃぁぁぁん、僕の不注意で君を辛い目に合わせてしまって本当にごめんよぉぉぉ。でも、君の悪魔化を治す薬を必ず作り出してみせるよぉぉぉ。だからなんとか辛抱してくれぇぇぇ。」
今のタマに言葉は届かないと知りつつ、マディはタマに優しく語り掛けた。