第二十八話 子犬
十数頭のベリミットクロオオカミの群れが、真っ直ぐソウマ達の元に走ってきていた。オオカミ達はソウマ達まで残り数メートルのところで止まり、唸り声を上げながら低く構え、いつでも跳びかかれる臨戦態勢に入っていた。
ベリミットクロオオカミは名前の通り全身が黒い体毛に覆われ、体格はトラのように大きい。ぎらつく黄色い目でソウマ達を睨み、唸り声を上げる口元からは鋭い牙を剥き出しにしていた。
ソウマ、カレン、ケンタの三人はそれぞれの武器を構え直し、オオカミの攻撃に備えた。
ルシフェルは馬車に座ったままそこから動く気配は一切無く、寛ぎながら森の様子を眺めていた。
三人とオオカミ達はしばし睨み合いを続けていたが、やがて一頭のオオカミがソウマに跳びかかり、それを合図に他のオオカミ達も一斉に襲いかかってきた。
「来たぞ! 応戦しろ!」
ケンタの号令でソウマとカレンはそれぞれオオカミを迎え撃った。
ソウマは飛び掛かってきたオオカミを短剣で斬ろうとした。
が、オオカミはその短剣に噛みつき、斬撃を受け止めた。オオカミは前足でソウマの腕をロックすると、激しく頭を振ってソウマから短剣を奪おうとした。
(く……! 凄い力だ……! それなら……)
ソウマは両手で握っていた短剣から左手だけ離し、オオカミの顔面に小さな火の魔法を放った。
火を当てられたオオカミは悲鳴を上げながら短剣から口を離し、地面に着地すると頭を振って火を消そうとした。
カレンには別のオオカミが襲いかかっていた。カレンは怯えた顔をしながらも、構えた両手から風の刃を生み出し、
「えいっ!」
と叫んでその刃をオオカミに飛ばした。
無数の刃が命中し、オオカミの体に切り傷が出来た。傷口からは血が滲み、オオカミは痛みでよろめきながらカレンの元から退散していった。
ケンタは一際大きなオオカミを相手にしていた。
オオカミはケンタに跳びかかり、ケンタの喉笛を噛み千切ろうと襲いかかってきた。
ケンタは振り被った大剣でオオカミに斬りかかり、オオカミの胴体に斬撃をお見舞いした。
斬られたオオカミは吹っ飛ばされて地面に叩きつけられた。胴には深い傷ができ、そこから激しく出血した。
(よし! いける! ホムラで訓練した甲斐があったな!)
ケンタは自信を覗かせてニッと笑った。
ソウマ達が戦いを繰り広げる中、ルシフェルは馬車から戦況を眺めていた。その顔からは優雅な笑顔が徐々に消え、段々と不機嫌な顔になり、眉間に皺が寄り始めていた。
そんなルシフェルが見つめる先では、早くも戦況が崩れ始めていた。
次々に襲ってくるオオカミ達に対し、カレンは風の刃で応戦していたが、少しずつ刃が出なくなっていた。
「あ、あれ?」
カレンは戸惑いながらも魔法を出そうと試みたが、とうとう魔法は完全に出なくなった。
「どうした! カレン!」
ケンタは襲ってくるオオカミを大剣で受け止めつつ、背後を振り返ってカレンに声をかけた。
「ま、魔法が出なくなっちゃって……。」
カレンは震える声で言った。
「魔力切れか……! ソウマ! カレンに加勢してくれ!」
ケンタの指示にソウマは「うん……!」と応じると、カレンの元に向かって駆けだしていった。
オオカミ達は風の魔法を警戒しつつも少しずつカレンに近付いていき、徐々にカレンを包囲していった。
カレンは恐怖で震えながら少しずつ後ずさりし、やがて道の端に追い詰められた。
そんなカレンの元にソウマが駆け付け、カレンを囲むオオカミ達に火の魔法を放った。
松明ほどの大きさの火を当てられ、オオカミ達は散り散りになった。が、顔を振ったり地面に体を擦ったりしてすぐに火を消すと、再びソウマとカレンににじり寄り、包囲していった。
(駄目だ……どう見ても火力不足だ……! もっと強い火で……!)
ソウマは歯を食いしばって力を込め、より大きな火を手から出した。
焚火ぐらいの大きさの火にオオカミ達は怯み、ソウマとカレンから後ずさりし始めた。
(よし……! この大きさの火ならいける……! ……あれ?)
ソウマは自分の魔法に自信を覗かせたが、火がどんどん萎んでいることに気付いた。
(そんな……もう魔力不足……!?)
ソウマは自分の魔力の少なさに愕然とした。
ソウマの出す火が小さくなる毎に、オオカミ達はソウマとカレンににじり寄っていった。
ケンタはその様子を見つつも、自分もオオカミ達の相手をしていたため、加勢に行けないでいた。
(くそ! まずいな……! 俺も手が離せねえし……! ん? 待てよ? そういやアイツは何やってんだ?)
ケンタはふと思い出し、馬車のほうを見た。
馬車には一切動く気配の無いルシフェルが座っていた。ケンタが視線を向けると、ルシフェルはゆっくりと腰を上げ、馬車から降りてきた。地面に下り立ち、戦況を見つめるルシフェルの顔からは、いつもの優雅な微笑みは完全に消え失せ、鬼のような怒りの形相になっていた。
「何をやっているのだ!! いい加減にしろ!!」
ルシフェルは大声で怒鳴った。
あまりの迫力にソウマ達を襲っていたオオカミ達は驚いて振り向き、周囲の森からは何百羽という鳥達が逃げていった。
「え?」
ソウマは只々困惑した声を出し、カレンとケンタも同様に困惑した表情でルシフェルを見ていた。
「お前達! いつまで子犬とじゃれあっているつもりだ!」
ルシフェルは怒鳴り声を上げた。
「また訳分かんねえこと言い出しやがった……。」
ケンタは呆れながら言った。
「愛くるしい子犬達を目の前にして、ついつい戯れたくなる気持ちは私にも分かる! だが我々は悪魔の女王ガリアドネを討つ旅の途中なのだぞ! こんなところで遊んでいる暇がどこにあると言うのだ!」
ルシフェルは仰々しい身振り手振りを交えながら、怒りを込めて声を張り上げた。
「はあ……」
ケンタは深くため息をつき、再び息を吸い込むと、
「遊んでんじゃねえ! 戦ってんだ! お前も手伝え!」
ルシフェルに対抗するかのように声を張り上げた。
「何!? お前達はその子犬達と戦いをしていたのか!?」
ルシフェルは面食らった顔で言った。
「そうだよ! 分かったらさっさと手伝え!」
ケンタは物凄い剣幕でルシフェルを怒鳴った。
「それはとんだ勘違いをしてしまった。済まない。少し離れていたまえ。」
そう言ったルシフェルの顔にはいつもの微笑みが戻り、ゆっくりと右腕を構え始めていた。
ソウマは最後の一踏ん張りで大きな火を出した。
オオカミが火に怯えて遠ざかった隙に、ソウマはカレンの手を引いてルシフェルの背後に逃げ込んだ。
一方ケンタは大剣で受け止めていたオオカミを蹴飛ばし、道の端に逃げて戦線離脱した。
道の中央にはオオカミの群れだけが残され、そこに向かってルシフェルは右腕を軽く振った。
すると振った右腕から突如猛烈な暴風が発生した。暴風は巨大な竜巻となり、猛獣の唸り声のような爆音を響かせながら地面を抉り、真っ直ぐオオカミの群れに向かっていった。
オオカミ達は逃げ惑ったが、巨大竜巻はあっという間に群れを飲み込んだ。竜巻に巻き込まれたオオカミ達は枯れ葉のように容易く吹き飛ばされ、やがて空の彼方へと消えていった。
地面に突き刺した大剣の影から、ケンタはソロリソロリと顔を覗かせた。
ソウマとカレンはルシフェルの体からそっと顔だけ出し、暴風が通った後の道を見た。
道はまるで爆発が起きた後のように深く抉れて湿った土が剥き出しになり、道の両側の木々はズタズタに切り刻まれ、暴風の通った余韻で木々はまだ揺れていた。空からは桜吹雪のように木の葉が舞い散り、その木の葉や折れた枝が道に散乱し、その光景が数十メートル先まで続いていた。
三人はその光景に只々引いていた。
ドン引きする三人を他所に、ルシフェルはスタスタと歩いて馬車に戻った。
「さあ、ゆくぞ。」
ルシフェルは三人に声をかけると、何事も無かったかのようにまた寛ぎ始めた。