第二十三話 象と蟻
夕食後、ソウマ、カレン、ケンタの三人はカミーユの案内で寝室に続く廊下を歩いていた。
「あの、カミーユさん。」
ケンタは前を歩くカミーユに話しかけた。
「はい、何でしょう?」
カミーユは後ろを振り返らず、前を向いて歩きながら返事をした。
「先ほどはすいませんでした。食事中に急に踊ったりなんかして。」
ケンタは頭を掻きながら謝罪した。
ケンタのその言葉を聞いたカミーユは立ち止まり、「ふっふっふっ。」と笑い声を漏らした。
「お客様方、わたくしはあなた方がルシフェル様に攻撃を仕掛けたことをきちんと理解しています。ですから誤魔化しを入れず、素直に話して構いませんよ?」
カミーユはニヤリと不敵な笑みを浮かべ、三人のほうを振り返りながら言った。
「え!? ああ、そうですか……。じゃあその、正直に言いますけど、さっきのは何ですか? 俺達、散々ルシフェルさんを攻撃したのに、完全に無視してましたよね?」
ケンタは思っていた疑問を率直にぶつけた。
「ええ、そうですね。」
カミーユは淡々と返事をした。
「攻撃を受けたんだから痛がるとか、ダメージがゼロだったにしても、せめて攻撃を仕掛けてきた俺達のことを怒るとか、それぐらいあってもいいと思うんですけど……挙句の果てには俺達の攻撃を奇妙な踊りとか言い出すし……。あれはルシフェルさんなりの冗談だったってことですか?」
ケンタはルシフェルの行動の不審点を挙げていった。
「いいえ、ルシフェル様はそのような冗談を言う方ではありません。ルシフェル様にはあなた方の攻撃が、本当にただの踊りに見えていたのでしょう。」
カミーユはなおも不敵な笑みを浮かべたまま答えた。
「本当ですか? こいつなんか思いっきり顔面を殴ったんですよ?」
ケンタはソウマを指さしてそう言い、さされたソウマは若干バツの悪そうな顔をした。
「はい。間違いありません。」
カミーユは断言した。
「じゃあ、ルシフェルさんは滅茶苦茶視力が悪くて俺達の動きがよく見えてなかったとか、ステーキに夢中で周りが見えてなかったとか、そういうことですか?」
ケンタは自分の言っていることを自嘲気味に笑いながら尋ねた。
「いいえ、どちらも違います。」
カミーユはケンタの考えを否定した。
ケンタはそれ以上考えが浮かばず、黙ってカミーユの回答を待った。
「ルシフェル様はとても強いお方なのです。この国で、いやもしかしたら、世界で最も強いお方かもしれません。」
カミーユの言葉にケンタ達は心底驚いた顔をした。
「そ、そんなに凄い人なんですか!?」
ケンタは驚きのあまり上ずった声で聞いた。
「はい。そして強過ぎるがゆえ、並みの攻撃はもはや攻撃と認識さえしないのです。」
「そんな……。」
ケンタはカミーユの説明に愕然とした。
「お客様に対してこのようなものの例えは大変失礼かもしれませんが、象が蟻に噛まれても気付かないのと同じことかと思います。」
カミーユのその言葉に三人はそれ以上何も言えなくなった。
カミーユは再び前を向いて歩き出し、三人は黙ってそれに付いて行くしかなかった。
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ソウマ、カレン、ケンタの三人には、一人一部屋ずつ寝室が用意されていた。
ソウマは寝室のベッドに一人横たわり、部屋の天井を見つめていた。上手く寝付くことが出来ず、寝返りを打ったその時、部屋のドアをノックする音がした。
ソウマが起き上がり「はい、どうぞ。」とノックに返事をすると、「俺だ、入るぞ。」とケンタがドアを開けて入ってきた。
「ソウマも起きてたか。」
ケンタは頭を掻きながらそう言うと、ソウマのベッド脇まで歩いてきた。
「うん。ケンタも眠れないの?」
ソウマはケンタを見上げながら言った。
「ああ。これから先のことを考えたら、なんか……寝れなくなった。」
ケンタは憮然とした表情でベッド脇の床に座りながら言った。
「これから先のことって?」
「俺達、悪魔の女王を倒そうとしてんだぜ? なのに、ハーフの悪魔にすら全く歯が立たなかったわけだろ?」
ケンタは片肘をベッドにかけ、横目でソウマを見ながら言った。
「うん。」
「……無理なんじゃねえか?」
ケンタは少し溜めてから言った。
「え?」
「ハーフですらあの強さだぞ? てことは多分、純血の悪魔はもっと強くて、そいつらを束ねる女王はさらに強い。」
「……うん。」
ソウマは少し考えてから返事をした。
「無茶だろ? 俺だってずっとホムラで訓練を積んできたんだぜ? 正直、もうちょい通用すると思ってたんだ。実戦は今日が初めてだったけど、少なくとも戦いにはなると思ってた。なのに相手にもされないって、悲し過ぎんだろ?」
ケンタは肩を落としながら言った。
「う~ん……そうかな?」
ソウマはケンタに懐疑的な顔を向けながら言った。
「ん?」
「確かにルシフェルさんには歯が立たなかったけど、バロア国の悪魔があれ以上の強さかは、まだ分からないよ。カミーユさんだってルシフェルさんの強さは世界一かもって言ってたし、ルシフェルさんだけが特別な可能性もあると思う。」
ソウマは手元を見つめながら言った。
「あのジジイの言う事、真に受けんのか?」
ケンタは肩眉を吊り上げながら言った。
「ジジイって……。」
ソウマはケンタの口の悪さに若干引いた。
「とにかく俺は今回の戦いで自信を無くしちまった。お前は平気か?」
ケンタはソウマに聞いた。
「僕は……そうだなあ……。全く相手にされなかったのはショックだけど、悪魔に実力差を見せつけられるのは今日が初めてじゃないから、まあこうなるかなって思っただけ。切り替えるしかないよ。」
ソウマは少しやるせない表情をみせつつも、前向きな意見を言った。
「そうか。お前って意外とメンタル強いんだな。」
ケンタは少し感心したように言った。
「そんなことないよ。でもルシフェルさんの強さは確かに異質だね。逆に言えば、あの人がうちに入ってくれたら希望が見えてくる気がする。」
ソウマは目の前を真っ直ぐ見つめ、真剣な顔で言った。
「そうだな。でもその交渉も失敗に終わりそうな気がするぜ、俺は。」
ケンタはまた悲壮な顔になった。
「どうして?」
「だってよぉ、俺達の猛攻を踊りと勘違いするような奴だぞ? 多分俺達とは見えてる世界が違うんだよ、あいつは。てことは、俺達が用意した余興もあいつが見たらただのつまらないおふざけと見做すかもしれないってことだろ?」
ケンタはまた片眉を吊り上げながら言った。
「そうだね。でもやるしかないよ。準備は精一杯やったし、後は『アレ』を披露するだけだよ。」
ソウマはケンタのほうに顔を向けながら言った。
「ま、そうだな。」とケンタはようやく声に少し力を取り戻し、「うん。」とソウマは返事をした。
「おっけい、わかった。ちょっと元気出てきた気がする。」
ケンタはそう言いながら立ち上がり、
「不思議だな。お前といると何故か元気が出てくるんだよな。」
ソウマを見下ろしながら言った。
「あはは、前にエミリにも同じこと言われた気がする。」
ソウマは苦笑しながら言った。
「そうか。夜に押しかけて悪かったな。じゃあな。」
ケンタはそう言うと部屋の出口に向かって歩き出し、その背中に向かってソウマは「うん、お休み。」と声をかけた。
明日の交渉に若干の不安を残すソウマ達を他所に、夜は容赦なく更けていった。