第二十二話 奇妙な踊り
ルシフェルの右手はゆっくりと、しかし確実にソウマのほうに伸びていた。
(まずい! ルシフェルの野郎、遂に本性を現しやがったな! どうする? 腕をぶった切るか? でもそんなことしたらこの交渉は破談に終わっちまう……! いや、四の五の言ってる場合じゃねえ!!)
ケンタは脇に立て掛けていた大剣を掴み、テーブルの上に思いきり左足を踏み込んだ。大剣を振り被り、ルシフェルの右腕に振り下ろす。
(右腕……もらうぞ!)
大剣はルシフェルの右腕を確かに捉えた。が、大剣は砕け散り、握っていた柄がケンタの両手から弾け飛んだ。
一方ルシフェルの腕は切断されず、全くの無傷だった。それどころか、ルシフェルは斬りかかられたことに対して全くの無反応だった。
(嘘……だろ……? 悪魔ってこんなに硬いのか!?)
ケンタは大剣が負けたことに愕然としつつ、テーブルからジャンプして床に着地した。
カレンは普段のおどおどした感じはどこへやら、異変を察知してすぐに立ち上がり、両手を構えていつでも魔法を出せる態勢になった。
ソウマはケンタが突然大剣を振るったことに驚いて仰け反り、椅子から転げ落ちた。
そんな喧騒の中、なおもルシフェルは右腕を伸ばし、床に倒れているソウマに接近していった。
(まずい……! ソウマが殺されちまう……!)
ケンタは全速力でルシフェルの元に走り、その勢いを活かした後ろ回し蹴りをルシフェルの後頭部に当てた。しかし後頭部を蹴った瞬間、
「ぐああ!」
ケンタは蹴り足の踵に激痛を感じ、叫び声を上げながら床に落下した。
(骨がいったか? いてえ……!)
ケンタは床にうずくまり、足の状態を確認した。
一方のルシフェルは蹴られたことに気付く素振りを見せず、引き続きソウマに近付いていった。
ルシフェルの接近に対してソウマは急いで立ち上がり、壁際まで逃げてルシフェルとの距離を取った。ソウマが振り返ってルシフェルの様子を確認すると、ルシフェルはソウマを追うのを止めてその場で立ち止まり、目を細めてじっとソウマを見つめていた。
ルシフェルの妖艶な眼光に晒され、ソウマの鼓動が一気に早くなる。
(このままじゃやられる……! でも、怯えてばかりじゃ駄目だ……! いかないと……!)
ソウマは腰の剣に手を添え、心の中で覚悟を決めた。ルシフェルがソウマのほうから踵を返そうとしたその瞬間、ソウマは腰の短剣を引き抜き、ルシフェルの背中に切りかかった。が、ケンタの大剣と同様、ルシフェルの体に傷を付けることは出来ず、短剣は砕け散った。
(く……! 全然だめだ……!)
ソウマは柄だけ残った短剣を捨てた。
その間にルシフェルは優雅に歩いてテーブルに戻り、ゆっくりと着席した。
ルシフェルとの距離が空いて余裕の出来たソウマは、床にうずくまるケンタの元に駆け寄った。
「ケンタ! 大丈夫?」
「ああ、なんとかな。でも、蹴ったほうの足は完全に死んだ。奴の魔法かなにかかもしれねえ。」
ケンタは踵の痛みに顔をしかめ、額から汗を流しながら言った。
「そんな……。」
ソウマは愕然としながら言った。
一方、着席したルシフェルはテーブルのナイフとフォークを手にしていた。
「あいつ! ナイフで切りかかるつもりか!?」
ケンタに戦慄が走った。
「僕がなんとかする!」
ソウマは立ち上がり、ルシフェルに向かって走っていった。
「よせソウマ! 殺されるぞ!」
ケンタは叫んだ。
しかしケンタの制止を振り切り、ソウマは握り拳を作ってルシフェルの顔面を殴った。
「ぐわあああ!」
ソウマは殴った拳を猛烈に痛がった。
ルシフェルは殴られたことにノーリアクションのまま、ステーキを切り分け始めた。
(やっぱり駄目か……! 攻撃してるのはこっちなのに、こっちがダメージを受けちまう……! 直接攻撃は駄目だ……! それなら……)
ケンタは思考を巡らせた。
「カレン! 風の魔法だ!」
ケンタはカレンに命令した。
「うん……!」
カレンは花の髪留めを付けた髪を振り乱しながら、構えた両手から無数の小さな風の刃を作り出した。
「えいっ!」
カレンはかけ声と共にルシフェルに向かって風の刃を飛ばした。刃は命中したがルシフェルにダメージは無かった。それどころか、銀髪の髪一本たりともそよがない。
ルシフェルはステーキを一切れ食べた。
(魔法も駄目か……! しょうがねえ、こいつでいくか……!)
ケンタは懐に隠し持っていた銃を取り出し、ルシフェルに三発の銃弾を放った。しかし三発全てあっさりと弾かれてしまい、弾かれた銃弾はあちこち跳ね返ってシャンデリアや窓ガラスを破壊した。
そんな中、ルシフェルは優雅にワインを一口飲んだ。
(銃も効かねえじゃねえかよ……! なんでだよ! くそ!)
ケンタは心の中で悪態をついた。
(どうする? 出口はカミーユのジジイが塞いでやがる……! 逃げ道がねえ……! なんとかしねえと……全員殺される……!)
ケンタは額に脂汗をかきながら、必死の形相で打開策を模索した。
カミーユの様子はというと、三人が散々暴れたにも関わらず、出口付近に立ったまま不気味な笑顔を浮かべていた。
ルシフェルは口に運んだステーキを咀嚼し、ゴクリと飲み込むと、ゆっくりとソウマ達のほうを見た。
「お前達……」
ルシフェルは静かに口を開いた。
三人はルシフェルの攻撃に備え、それぞれ構え直した。
「食べないのか?」
ルシフェルは言った。
「え?」
三人は思わず素っ頓狂な声を出した。
「諸君、奇妙な踊りで私を楽しませようという熱意は非常に素晴らしい。だが、折角の料理が冷めてしまう。余興は明日でよいのだ。今は食事に集中したまえ。」
ルシフェルは微笑を湛えながらそう言い、ワイングラスをクルクルと回した。
三人はルシフェルの言葉に只々困惑した表情をした。
(何言ってやがんだ、こいつ……。奇妙な踊りだと? 俺達が攻撃したのは分かってただろ……! 冗談言ってやがんのか?)
ケンタはこれ以上無理というぐらい怪訝な顔でルシフェルを睨んだ。
「ケンタ、どうせ逃げられないよ。ここは言う事を聞いておこう。」
そう言ってソウマは歩き出そうとした。
「待て! 分かった、俺から行く。」
ケンタはソウマを引き留め、先に歩いた。ケンタはルシフェルの様子を覗いながらゆっくりと近付き、ルシフェルから目線を外さないようにしながらゆっくりと着席した。
ソウマとカレンの二人もケンタに倣って席に着いた。
「うむ。では食事を再開しよう。このステーキの味を堪能したまえ。カミーユがこだわって取り寄せただけのことはある。さすがはカミーユだ。」
ルシフェルは三人にステーキを勧めた。
「ありがとうございます、ルシフェル様。」
ルシフェルに褒められ、カミーユは礼を言ってお辞儀した。
三人はまだ緊張が解けず、ステーキに手を付けられなかった。
「それからソウマよ。」
ルシフェルはソウマに話しかけた。
「は、はい……!」
ソウマは怯えながら返事をした。
「肩に埃が付いていたぞ。」
ルシフェルは右手を伸ばし、ソウマの肩に付いていた埃を取った。
「え? あ、ありがとうございます。」
ソウマは不意を突かれ、どもりながら返事をした。
「諸君が来る前に掃除をさせたのだが、まだ行き届いていなかったようだ。」
ルシフェルは広間を見渡しながら言った。
「申し訳ありません、ルシフェル様。以後ぬかりの無いよう気を付けますので、ご容赦下さい。」
カミーユは一生の不覚とばかりに申し訳なさそうな表情で謝罪した。
「いや、構わんぞ、カミーユ。お前はよくやった。」
ケンタはルシフェルとカミーユの会話を怪訝な顔で聞いていたが、やがてその顔をカミーユに向けた。
(あれだけ派手に暴れたのにカミーユのジジイも何も言わねえのかよ。どうなってやがる? あいつもずっと見てたよな? 夕食の後に探りを入れてみるか……。)