第二十話 要求
自らをルシフェルと名乗ったその男は、角も翼も尻尾も生えておらず、見た目は人間そのものだった。身長は190cm近くあり、スマートな体形だった。銀色でストレートの長い髪を腰の下辺りまで伸ばし、白い綺麗な肌と相まって神秘的な雰囲気を放っていた。踝辺りまである黒のロングコートを羽織り、下には黒い革のズボンを履いている。顔はまるでハリウッドのイケメン俳優のように美しく、妖し気な微笑を湛えていた。
(こいつがルシフェルか……。)
ケンタは決して表情には出さないようにしながら、心の中でルシフェルの分析を始めた。
後ろの二人も目の前のハーフ悪魔に警戒心を持ちつつも、それをなるべく表情に出さないように努めた。
「座りたまえ。」
ルシフェルはソウマ、カレン、ケンタに着席を促した。
ルシフェルの声は低く、そして優雅さと余裕を兼ね備えた、男声でありながらとても美しい声だった。
「はい。それじゃあ、失礼します。」
ケンタは着席し、ソウマとカレンもそれに倣って着席した。
ルシフェルは三人と向かい合わせの位置に座り、その彫刻のように完成された美顔に微笑を浮かべながら、ブルーの瞳でケンタを見つめた。
ケンタはその視線に吸い込まれそうな錯覚を陥った。
「……ケンタ? ケンタ!」
ソウマはルシフェルに見つめられて茫然としているケンタの脇腹を小突いた。
「は! す、すまねえ……。」
ケンタは我に返り、ルシフェルに向き直った。
「あ、あの、まずはこちらの手土産を、どうぞ。」
ケンタは紙で包まれた大きめの箱を差し出した。
「ほう。これは一体何だ?」
ルシフェルは受け取った箱をしげしげと眺めながら尋ねた。
「ベリミット牛の霜降り肉です。うちの地方の特産品でして。」
ケンタは答えた。
「牛の肉か。それは素晴らしいな。私の好物だ。」
ルシフェルは機嫌良くそう言うと、「カミーユ、頼む。」と言って箱をカミーユに渡した。
(よし、まずは好感触だな。)
ケンタは心の中で頷いた。
「さて……話は聞いている。私を勧誘に来たそうだな?」
ルシフェルは足を組み、肘掛けに肘を乗せ、背もたれに体を預け、リラックスした態勢で話の本題を切り出した。
「は、はい。そうです。事前に手紙のやり取りでお伝えした通りなんですが、俺達は悪魔の女王を倒すことを目的にした組織です。今、ベリミット人間国の人達がバロア悪魔国の悪魔によって次々に殺されているんです。これを止めるために、是非ルシフェルさんの力を貸していただきたいんです。」
ケンタはルシフェルとは対照的に背筋を伸ばし、肩に力が入ってカチコチの状態で要件を説明した。
「ふっ。実に奇妙な話だ。悪魔である私に、悪魔を倒す手助けをしろとはな。」
ルシフェルは妖しい笑みを浮かべながら言った。
「はい、もちろん変な話ではあります。でも、悪魔による被害は深刻です。これを止めるにホムラは活動をしていますが、今のままじゃ力が足りません。悪魔の手助けが必要なんです。」
ケンタは切々と語り、
「飽くまで噂ですけど、ルシフェルさんは人間に協力的な方だと聞いてます。」
と説得の材料の一つ目を喋った。
(まずは軽いジャブだ。どうだ?)
ケンタはルシフェルの顔色を覗った。
「人間に協力的?」と聞き返すルシフェルに、ケンタは「はい……そう聞いてますが。」と少し不安そうな顔で言った。
「一体どこから出た噂かは知らぬが、私が人間を守るのは、契約に基づいてのことだ。」
ルシフェルの言葉に、ケンタは面食らった顔で「え? 契約?」と聞き返した。
「そうだ。私がこのベリデの人々を守り、その見返りとして私はこの屋敷に住むことを許されているのだ。」
ルシフェルは優雅に両手を広げながら言った。
「そ、そうなんですか……。」
ケンタは顔に嫌な汗をかいた。
「うむ。見返りがなければ私は動かない。」
ルシフェルはきっぱりと言った。
(おいおい! ボランティアじゃねえのかよ! ユキオめ……適当な事教えやがって!)
ケンタは心の中で悪態をついた。
ルシフェルは楽しむかのようにケンタの焦る様子を見つめていた。
(仕方ねえ。こいつのナイーブなとこに突っ込むことになるけど、言うしかねえか……。)
ケンタは心の中で決心し、
「で、でもルシフェルさんも、悪魔に復讐したいっていう気持ちはあるんじゃないですか?」
と言った。
「復讐? 何のことだ?」
ルシフェルは両眉を軽く上げて聞き返した。
「ルシフェルさんは人間とのハーフだから、他の悪魔から虐げられてきたっていう話は聞いてますよ?」
ケンタは短刀直入に言った。
「ああ、そのようなこともあったらしいな。幼少期のことゆえ、全く覚えていない。」
ルシフェルはこれまたきっぱりと切り捨てた。
「あぁ……そうですか……。」
ケンタは顔が曇り、口ごもった。
「うむ。ゆえにバロア悪魔国に対して復讐心という感情は薄い。」
ルシフェルはそう言い、不敵な笑みを浮かべながら目を細めてケンタを見つめた。まるでケンタがどんな反応をするか試し、面白がっているかのようだった。
「なるほど……。」
ケンタはさらに口ごもり、顔は俯き気味になった。
「ふむ。だが私の両親は生前、かなりの迫害を受けていたそうだ。その影響かは分からぬが両親は短命で、私が物心つく頃には既にこの世にいなかった。」
ルシフェルは語り出した。
「そうだったんですか。」
ケンタは相槌を打った。
「うむ。両親の顔を見ることが叶わなかったという意味では、悪魔に対して多少の恨みはある。」
「そうなんですか……! じゃあ……!」
ルシフェルの話が良い流れになったことで、ケンタは声に元気を取り戻した。
「だがそれだけでは誘いに乗る理由にはならん。」
ルシフェルはそう断言し、ケンタの表情はまた曇った。
「確かに悪魔への恨みはある。そして人間が悪魔に襲われている現状にも心は痛む。しかし、私はこの屋敷でなに不自由なく暮らしているのだ。悪魔の女王を討ち滅ぼしたところで、その後の生活に大した変化はなかろう。」
ルシフェルはそう言いながら椅子に深く腰掛け直し、片手で頬杖をついた。
「それは……そうですね……。」
ケンタはまた声に勢いを無くした。
(まずいな、完全にこいつのペースだ。協力する見返りにとんでもない要求をされるんじゃねえか?)
ケンタは苦しい展開になることを危惧した。
「悪魔を束ねる女王を討つのだ。それなりの労力が必要であろう。その労力に見合う見返りが欲しい。」
(やっぱり来やがった……!)
ケンタの心配していた通りの展開になった。
「見返りというと、金品や食料品ですか?」
ケンタはおずおずと尋ねた。
「いや、それらは事足りている。」
ルシフェルは首を振り、「では、何を?」とケンタは聞き直した。
ケンタの問いかけに、ルシフェルはたっぷりと間を取ってから口を開いた。
「私を楽しませろ。」
「え?」
ルシフェルの予想外の要求に、ケンタは思わず素っ頓狂な声を出した。