第十九話 ルシフェルの屋敷
ホムラの拠点の広間に、白髪でぱっと見は小さな男の子、マディがいた。マディはキッチンでコーヒーを淹れる作業をしていた。
マディは鍋に水を張り、天井から垂れ下がっているフックにその鍋を吊るした。鍋の下にはキッチンの台があり、台の上には赤レンガを積み上げて作られた囲いがあった。マディは囲いに薪をくべ、手から火の魔法を出して着火した。
鍋を火にかけている間に、マディはキッチンの引き出しを開けて、大きな紙袋に入っているコーヒー豆を専用カップで掬い取った。掬ったコーヒー豆をコーヒーミルに入れ、手動で回して豆を挽いていく。
豆を挽き終えたマディは次に、白い陶器のカップと紙フィルターを準備し、そこに挽いた豆の粉を入れた。両手にミトンを装備してお湯の沸いた鍋を掴み、鍋を傾けてカップにお湯注いでいく。
お湯を注ぎ終えると紙フィルターを外し、マディはカップを持ち上げた。目を閉じてドリップ式コーヒーの香りを確かめ、マディは頬を赤らめて満足そうな顔をした。
マディは床の隠し扉を開け、コーヒー片手に地下研究室の階段を下りた。
地下研究室は六畳ほどの広さの空間だった。土を掘って作られたその空間は、壁や床にレンガブロックが敷かれ、頑丈に補強されていた。部屋中に机がいくつも置かれ、その上には所狭しと薬品や実験器具、魔法薬の本が置かれていた。ビーカーやフラスコ、試験管には怪しい色の液体が入っており、ブクブクと泡を立てているものもある。天井にはランタンが四つ吊るされ、薄暗いながらも部屋を照らしていた。
マディは椅子に座り、コーヒーをひとすすりした。研究室のひんやりとした空気の中で、温かいコーヒーがマディの体にじんわりと沁みた。マディはコーヒーを机に置くと本を一冊手に取り、足をプラプラさせながら読み始めた。
その時、
「ニャー。」
地下研究室のどこかから猫の鳴き声が聞こえた。
「んんん?」
マディは本から顔を上げ、研究室を見回した。声の主が見当たらないので、マディは本を閉じて立ち上がり、室内をキョロキョロと探した。机の上、積まれた本の裏側、机の下を調べ、
「おやぁぁぁ、黒猫かぁぁぁ。どこから入って来たんだぁぁぁい?」
マディは机の下に潜んでいた黒猫を見つけ、話しかけた。
「ミャーオー。」
黒猫は特に怯えている様子はなく、マディに向かってまた一鳴きした。
「君も僕の研究対象になるかぁぁぁい?」
マディはギザギザの歯を剥き出しにし、ニタニタと不気味な笑みを浮かべながら言った。
黒猫はトコトコ歩いて来ると、服の袖から少しだけ覗いているマディの手を舐めた。
そんな黒猫を、マディはじっと見下ろした。
マディと黒猫の間に、なにかふわふわした不思議な時間が流れる。
やがてマディはゆっくりと立ち上がると、階段を上がって研究室を出ていった。
丁度その頃、ユキオは自身の居室で書類に目を通していた。居室をノックする音がし、ユキオが「どうぞー。」と返事をすると、ドアを開けてマディが入ってきた。
「ユキオくんんん、どこかに釣り竿はあるかなぁぁぁ?」
「ん? 外の物置にあると思うぞ。」
「ありがとぉぉぉ。」
マディは礼を言って部屋から出ていった。
「あいつが釣りか。珍しいな。」
ユキオは一言呟くと、また書類に目線を戻した。
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ベリミット人間国の北端の街、ベリデ。
街の市街地から遠く離れた森の中に、大きな屋敷があった。マホガニーカラーの屋根、黄褐色の石造りの壁、黒いカーテンで閉ざされた窓、建物の前に広がる庭。どこも手入れが行き届き、汚れやゴミは一つも見当たらない。屋敷のバルコニーの手すりや窓枠には高級感溢れる装飾が施され、貴族が住む屋敷、といった感じの見た目だった。しかし屋敷の壁には一度壊されたのを修繕したような跡が何ヵ所かあり、完璧な見た目の中でそこだけ違和感があった。
その屋敷の中では老人がメイド達に指示を出していた。
老人は人間の五歳児くらいの背丈しかないが、頭に角が生え、背中には小さく萎んだ翼が生えており、悪魔だということが一目で分かる。顔はしわくちゃで腰は大分曲がっているが、メイド達への指示は淀みも無駄も無かった。
「そこのあなた、二階のベッドメイキングをしてきなさい。そこのあなた、テーブルを準備してきなさい。そこのあなた、夕食の仕込みは完了していますか?」
老悪魔の仕事の捌きっぷりは手が二本とは思えないほどだった。
指示を受けたメイド達は慌ただしく作業を進めていた。
「カミーユ様、応接室の準備が出来ました。」
メイドの一人が老悪魔に報告をしに来た。
「分かりました、確認しに行きます。」
カミーユと呼ばれた老悪魔は廊下を歩いていった。その途中で黒いカーテンを少し開け、窓の外を確認した。
「ふむ、お客様方がそろそろ到着する頃ですね。」
カミーユは夜の帳が下り始めている外の景色を見ながら言った。
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ソウマ、カレン、ケンタの三人は屋敷の玄関の前に立っていた。玄関の扉は金の装飾が施され、荘厳な雰囲気が漂っていた。
「二人共、準備はいいか?」
ケンタは後ろに立つ二人に確認した。
「大丈夫。」とソウマ。
「うん。」とカレン。
「よし、じゃあ鳴らすぞ。」
ケンタは玄関の屋根から垂れている紐を引っ張り、鐘を鳴らした。
少し間が空いてから玄関の扉がゆっくりと開き、中からカミーユが出てきた。
ソウマ達は角と羽の生えた老悪魔の姿に一瞬面食らった。
(お、落ち着け! 変なリアクションは失礼だ!)
ケンタは心の中の指示を、目配せで後ろの二人に伝えた。
「こ、こんばんは。ホムラの使いの者で、俺はケンタです。こっちがカレンで、こっちがソウマです。」
ケンタはカミーユに挨拶し、後ろの二人を紹介した。
ソウマとカレンは紹介を受けてお辞儀をした。
挨拶を受け、カミーユはニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「お待ちしておりました。わたくしはルシフェル様の執事を務めております、カミーユと申します。既に要件は伺っておりますので、さっそく中へお入り下さい。」
カミーユは玄関のドアを広げ、三人を屋敷の中へ招き入れた。
先頭のカミーユに付いて行き、三人は屋敷の中を進んだ。
屋敷は床に赤いカーペットが敷かれ、台座には高そうな壺や置物が飾られ、壁には肖像画や絵画が掛けられていた。壁や階段の手すり、部屋の扉には金の装飾があしらわれ、典型的な貴族のお屋敷、といった感じだった。屋敷を掃除するメイド達は、カミーユ一行とすれ違う時にみな一礼していった。
「本日は遠いところからご足労いただき、ありがとうございます。長旅でお疲れでしょうから、今夜はこのまま一泊過ごしていただき、ルシフェル様との面会は明日に回す、ということも出来ますが……本日中の面会をご希望、ということで宜しかったですかな?」
カミーユは三人のほうを軽く振り返りながら尋ねた。
「はい。こちらの希望としては今日の内に話を進めたいと考えています。勿論、そちらの都合に合わせますが。」
ケンタは慎重に答えた。
「問題ございません。ルシフェル様もお客様方との面会を心待ちにしておりますので。ルシフェル様は二階の応接室にいますので、そこまでご案内致します。」
カミーユは三人にそう告げると、赤いカーペットが敷かれた階段を上がっていった。階段を上がると廊下を進み、応接室の扉の前で立ち止まった。
カミーユはドアをノックし、
「ルシフェル様、ホムラの使者様をお連れしました。失礼致します。」
客人の来訪を告げてガチャリと扉を開けた。
カミーユは開けた扉を押さえ、三人に「どうぞ。」と部屋に入るよう促した。
カミーユに促され、三人は応接室に入った。
応接室もやはり豪華な装飾が散りばめられていて、ソファのようなふかふかの肘掛け椅子が何席か準備されていた。部屋の一番奥には、黒いカーテンで覆われている大きな窓があった。
そのカーテンの隙間から外の夜景を眺める、一人の男が立っていた。背がとても高く、長い銀色の髪を伸ばすその男はソウマ達に背を向けて立っていたが、三人の入ってくる気配に気付くとゆっくりと振り返った。
「ようやく来たか。待っていたぞ。私の名はルシフェルだ。」