第十八話 花の髪留め
ソウマ達の前に現れたのは白い体をした悪魔だった。発達した筋肉で全身が隆起し、張り巡らされた血管はその筋肉の上に浮き出て、青白く不気味に発光している。二.五メートル近い巨体が狭い路地を壁のように塞ぎ、人というよりは獣に近い凶悪な顔面が、眼前の人間三人を見据えていた。
白い悪魔は地響きのような足音を響かせながら三人のほうに近付いてきた。
ソウマの前に立つケンタは背中の大剣の柄を握り、いつでも抜刀出来る態勢を整えた。額に汗をかいて緊張した面持ちのようではあったが、警戒した表情で淀みなく悪魔を睨んでいた。
ソウマの隣にいるカレンはいつでも魔法を出せるように両手を構えた。その顔は怯え気味ではあったが、警戒心をしっかりと持った表情をしていた。
ソウマは悪魔を見た瞬間に心臓がドクンと大きく跳ね、顔が一気に青ざめた。自分の心臓の音が聞こえるほどに激しく動悸し、全身からは嫌な汗が流れ、呼吸が一気に荒くなる。が、カレンとケンタが警戒して構えていることに気付き、それに倣ってソウマも震える手でなんとか短剣の柄を握った。
白い悪魔はゆっくりと、そして確実に三人に近付いていき、やがて手を伸ばせば届く距離まで接近してきた。ゆっくりと首を動かし、三人を一人ずつ視界の中央に捉えていく。
三人は悪魔の視線の動きを警戒しながら、それぞれ武器を構え直した。
白い悪魔は無言のまま首を動かし、ケンタに照準を合わせた。顔を確認し、次にケンタの背中の大剣に視線を移していく。
ケンタは顔から汗を一滴垂らし、最大限の警戒心を持って白い悪魔を睨み続けた。
が、白い悪魔はケンタには何もせず、今度はソウマの顔を見た。青白く不気味に光る両目がソウマの顔を捉え、その視線に圧し潰されそうになったソウマは、短剣を握る手がさらに震えた。白い悪魔はその短剣に視線を移し、ほんの数秒見つめていたが、それ以上は何もしなかった。白い悪魔は大通りのほうに視線を向け、再び歩き出した。
三人は警戒心を維持しつつ、白い悪魔の邪魔にならないように道を譲った。
白い悪魔は大きな足音を響かせながら路地を歩いて大通りに出ると、左に曲がって歩みを進め、やがて建物の陰に姿を消した。
三人はようやく警戒を解き、深いため息をついた。
「何事もなかったな。……ソウマ、大丈夫か?」
ケンタはソウマの様子を心配して声をかけた。
「う、うん。なんとか。」
ソウマは返事をしたがまだ息が荒く、震える手で胸の辺りを押さえていた。
「ソウマ君、大丈夫?」
カレンもソウマの様子を心配そうに見つめながら声をかけた。
「うん、平気だよ。」
ソウマはそう答えながら額の汗を拭った。
カレンはそんなソウマの様子をじっと見つめていた。
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夜になり、三人は宿に戻っていた。ケンタはベッドの上であぐらをかき、ソウマとカレンはベッドの端に腰掛けていた。
「夕方に見たあいつ、警備隊の悪魔だよな?」
ケンタは二人に尋ねた。
「うん、ベリミットの国内にいる悪魔は大体皆そうだと思う。」
ソウマは答えた。
「警備隊ってよ、違法な武器とか魔法を取り締まる連中だよな?」
「うん、そうだね。」
ケンタの質問にソウマは肯定で返した。
「あいつ、俺の大剣をジロジロ見てやがったけど、何もしなかったな。」
ケンタはベッド脇に置いてある大剣に目をやりながら言った。
「僕の短剣も没収しなかったね。刃物は取り締まってないみたいだね。」
ソウマも枕元に置いてある自分の短剣を見ながら言った。
「そうみたいだな。でも多分、こういうのを見られてたらやばかっただろうな。」
ケンタは服の中の鉄砲をちらっと見せ、
「拠点にある鉄砲も、見つかったら大変なことになんだろうな。」
眉間に皺を寄せながら言った。
「うん。きっと逮捕されると思う。」
ソウマは肯定の返事をし、ケンタは「だよな。」と返事をした。
「しっかし刃物はOKで鉄砲は駄目ってのが、いまいち基準がわかんねえな。」
ケンタは頭の後ろで両手を組みながら疑問を口にした。
「鉄砲は悪魔に傷を負わせることが出来るから、バロア国の法律で規制されてるって聞いたことがあるよ。」
ソウマは自分の知識を話した。
「そうなのか。じゃあ刃物は効かないから対象外ってことか。……え! じゃあ俺の大剣は通用しないってことか!?」
ケンタは驚いた顔で言った。
「たぶん……。」
ソウマは控えめな声で返事をした。
「マジかよ……。なにかあったら大剣で返り討ちにしてやろうと思ってたのによぉ。むこうが何もしてこなくて良かったな。」
ケンタはかなりショックを受けた様子で言った。
「うん。警備隊の仕事を真面目にやってる感じだったね。人を襲うような素振りは見せなかったから、多分警備隊の悪魔は──」
「ガリアドネから変な指示は受けてなさそう……だよな?」
ケンタはソウマの言葉を途中で引き継いで喋った。
ケンタの話にソウマは「うん。」と短く返事をし、
「ただ、今のところはって事だからいつ危険な行動をしだすか分からないけど……でも今日見た限りだと人間に危害を加える様子は無かったし、むしろああやって悪魔がパトロールしてる事が抑止力になってるはずだから、この町は犯罪が少なくて安全だろうね。」
と言った。
「皮肉なもんだよな。俺達は悪魔のせいで苦しい思いしてんのに、ああやって真面目に働く悪魔もいて、そいつらのお陰で街の治安は守られてんだからよ。」
ケンタはやるせない顔で言った。
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夜は深まり、三人はそれぞれのベッドで就寝していた。
が、ソウマだけは中々寝付けず、うなされていた。ソウマの頭の中では、セントクレアで見た惨劇や、夕方に見た悪魔の姿がフラッシュバックしていた。目を閉じてなんとか眠りに付こうとするが、どうしても悪魔の姿が脳裏にちらつく。
やがてソウマは上半身をゆっくりと起こした。額の汗を拭い、荒い息を少しずつ整えていく。
ソウマの出す物音に気付いたカレンは目を覚まし、布団からヒョコッと顔を出した。
「ソウマ君、大丈夫?」
カレンが話しかけた。
「カレン……。うん、大丈夫だよ。」
ソウマは荒い息遣いのまま返事をした。
カレンはベッドから起き上がるとソウマのベッド脇に来た。ベッド脇で膝をつき、ベッドの端にちょこんと手を乗せ、ソウマの顔を心配そうに覗き込んだ。
「も、もしかして、夕方のこと?」
カレンは遠慮がちに聞いた。
「え? ええっと……うん。」
ソウマは肯定の返事をした。
「あ、ご、ごめんなさい! 余計なお世話だよね……。」
カレンは慌てふためきながら申し訳なさそうに言った。
「ううん、余計なんかじゃないよ……。それに図星だよ。」
ソウマはカレンをフォローし、一方のカレンは心配そうな顔でソウマを見続けていた。
「悪魔を目の前で見たのはセントクレアの時以来だったんだけどさ。正直に言うと、トラウマが蘇った感じかな。」
ソウマは頭を掻きながら言った。
「そ、そうなんだ……。」
カレンは胸に手を当ててソウマから視線を逸らし、何かを必死に考えるような顔をした。やがてカレンはソウマのほうに向き直り、口を開いた。
「あ、あの、私もね、悪魔には嫌な思い出があるの。それで、ふとした時にその思い出が蘇って、その度に心が苦しくなってた。でも時間が経つにつれて、それは少しずつ良くなっていったの。ソウマ君も、きっと乗り越えられる日が来ると思うから、だから、えっと……焦らずゆっくり気持ちを整理していければいいと思う。もしも一人で耐え切れない時は、その……私のこと、頼って欲しいな。も、もちろん、ソウマ君が迷惑じゃなければなんだけど……。」
カレンは話している途中でドンドン顔が赤くなっていき、落ち着きなく両手の人差し指をツンツンし、全身をモジモジさせていたが、なんとか最後まで伝え切った。
ソウマはカレンの言葉に少し驚いたが、すぐに優しい笑顔に変わった。
「うん、ありがとう。カレンのこと、頼りにするよ。その代わり、カレンも辛い時は僕のこと頼ってね。」
ソウマの言葉に、カレンはさらに顔を赤らめながら「うん。」と返事をした。
「そうだ。お礼といってはなんだけど、渡したいものがあるんだ。はい。」
そう言いながらソウマは枕元の荷物に手を伸ばした。ソウマは荷物の中から茶色い小さな紙袋を手に取り、それをカレンに差し出した。
「さっき宿の前で欲しそうに見てたから、こっそり買っておいたよ。」
ソウマはそう説明し、カレンは「あ、ありがとう。」と戸惑いつつも紙袋を受け取った。
「じゃあ、もう寝よっか。心配してくれてありがとう。お休み。」
「う、うん……お休み……。」
カレンはまだ戸惑いが消えない様子だったが、取り敢えずソウマに返事をした。カレンは自分のベッドに戻り、紙袋を開けた。
中には黄色い花の髪留めが入っていた。