第百二十三話 大人になる
カレン、ケンタ、ルシフェル、三人の墓標。それはホムラ拠点の裏にある、茂みに囲まれた広場にあった。
カレンの墓標には、直方体に削り出された小さな墓石が置かれ、その上に黄色い花の髪留めが供えられていた。カレンが生前、身に着けていた物だ。
一方ケンタの墓標には、ケンタが生前、背中に帯刀していた大剣が供えられていた。大剣は地面に突き刺さっており、夕日を浴びて淡い輝きを放っている。
ルシフェルの墓標には、ルシフェルが身に着けていた衣服や装飾品が供えられていた。
辺りは緑が生い茂り、その茂みの中では小鳥が囀っていた。
直ぐ近くで惨劇があったとはとても思えないぐらいの、長閑な光景だった。
リュウは地面に座り込み、三人の墓標をじっと見つめていた。
「はあ……。」
リュウ目を閉じて、深い溜め息をついた。そしてゆっくりと目を開けると、何か決心したような表情をしながら立ち上がった。
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¬「はあぁぁぁ!?」
ホムラの拠点に、何かに驚愕したリュウの大声が響く。
場所は拠点一階の大広間。
リュウは酷く動揺した様子で、広間の椅子に腰掛けているクロキと相対していた。
動揺するリュウとは対照的に、クロキは至って冷静な面持ちだった。いつものくたびれた表情を浮かべながら、静かにリュウを見つめている。
そしてそんな両者を、テーブルの上で香箱座りをしながら、タマが見上げていた。
「今言った通りだよ。ソウマ君は救出しない。」
クロキは落ち着き払った口調で、冷酷に告げた。
「どうしてですか? アイツは悪魔化が進んでるんでしょう!? 俺達がこうしてる間にも、きっと症状はドンドン進行してる! このままだと完全に悪魔化して、いよいよ取り返しが付かなくなる! だからそうなる前に、早く助けてやらねえと! そうでしょう!? 違いますか!?」
最初は動揺しているだけだったリュウの声色は、勢いに乗って徐々に怒りに満ちていき、最終的にはクロキに食って掛かるような口調になった。
「ソウマ君はもう随分前に、バロア国に向けて飛び立ってしまった。今はバロア牢獄に収監されていて、簡単には手出し出来ない。」
クロキは淡々と受け答えた。
変わらないクロキの態度にしびれを切らしたのか、リュウはテーブルに両手を叩き付けた。
「だからそれを! 俺達で救出してやったらいいって言ってるんですよ! 前にホムラの連中が連行された時は、即決でバロアまで助けに行くってなったじゃないですか!? なんで今回は駄目なんだよ!? 先生!」
リュウは表情筋一つ一つに怒りを込めながら、クロキの矛盾を早口で指摘した。
「あの時はルシフェルさんがいた。彼を失った今、僕らだけでバロアに乗り込むのは無謀だよ。今の僕では、君を庇いきれない。」
クロキの言葉に、リュウは顔を引きつらせながら、こめかみをピクピクと震わせた。
「庇う……? 俺は守られなきゃいけないひよっこって事か? 舐めるなよ?」
リュウは唇をワナワナと震わせながら問い質した。
「君はまだ実戦で魔法を打てない。それは君自身が、ファナドで痛感しているはずだよ、リュウ君。」
クロキはリュウを見上げながら、冷静に現実を伝えた。
「ぐ……!」
自身の詰問があっさり返され、リュウは思わず口籠った。
そんなリュウに向かって、クロキは「それに……」と話を続けた。
「恐らくソウマ君には今、悪魔王の加護が宿っている。伝承の通りなら、加護が有る限り、悪魔達はソウマ君に手出し出来ないはず。僕らが助けに行かなくても、彼は安全だよ。」
「それは……そうかもしんねえけど……。じゃあ、ソウマの悪魔化はどうすんだよ……? このままじゃ手遅れっすよ?」
言いくるめられそうになったリュウは、先程話した懸念を再び口にした。
「マディさんが治療薬を開発している。最後の材料を見つけて、完璧な治療薬を作れれば、たとえ完全に悪魔化してしまったとしても、きっと元通りに出来るはずだよ。」
「ふんっ! その開発とやらだけどよぉ……随分順調そうだったなぁ? マディの奴、目の下クマだらけだったけどよぉ、その最後の材料ってのが見つかんのはいつだ? 明日か? 明後日か?」
リュウはねちっこく嫌味を言いながら食い下がった。
「……分からない。でも、マディさんはずっと努力している。彼を信じるしかない。」
「そうかよ。じゃあホムラの連中はどうすんだよ? アイツらも見殺しにすんのか?」
ソウマの悪魔化の件を躱されたリュウは、隠していた二の矢を放った。
リュウの言葉に対し、クロキは怪訝な顔をした。
「ホムラを? どういうことだい? ホムラの皆は釈放してもらえるよう、ガリアドネ様と約束を取り付けたはずだよ?」
クロキの動揺を見て、リュウは不敵にニヤリと笑った。
「知らねぇみてぇだな。これを見てみろよ。」
そう言うとリュウは、懐から新聞を取り出した。
その新聞の一面には、ホムラのメンバーが死刑になるという旨の見出しが書かれていた。
「これは……!」
記事を読んで絶句するクロキ。
「分かったか? やっぱり、俺が心配してた通りになっただろ? 悪魔は狡くて! 汚くて! 嘘つきで! 信用した途端、すぐにこうやって裏切られんだ!」
新聞を睨みながら、リュウは吐き捨てるように言った。
その間、クロキは無言で記事を読んでいたが、やがて新聞をテーブルに置くと、リュウのほうに向き直った。
「状況は分かったよ。けど、それでもバロアには向かわない。」
「!?」
クロキの一言に、リュウは目を見開いて驚いた。冷めかけていた怒りが、再沸騰を始める。
「なんでだよ……!」
「さっき言った通りだよ。僕らだけでは無謀だ。ルシフェルさんもいない。悪魔王の宝玉も手元にない。僕らには武器が無いんだ。」
クロキはリュウの怒りを全く意に介さず、飽くまでも冷静な口調で言った。
「そんなに武器が必要かよ? だったら探せばいいじゃねえか?」
「探す?」
リュウの言葉に対し、クロキはまた怪訝な顔をした。
そんなクロキに対して、リュウは「そうだ!」と大声を上げながら、今度はテーブルに置いてあった『加護は実在する』の本を掴み取った。本を乱暴に捲りながら、リュウは話し始める。
「悪魔王の加護だって実在したんだ! 他の加護だって、実在するに決まってる! 強力な加護さえ見つければ、バロアを滅ぼす事だって出来るはずなんだ! きっと! 例えば精霊王の加護なんて最高だぜ? こいつは死者を蘇らせる事が出来るってシロもんだ。但しこの本に依りゃ、死者を蘇らせるには生け贄が必要らしい。だったらよぉ? 悪魔共を生け贄にしちまえばいいんじゃねぇか? その生け贄を使って、今まで死んでいった人間達を全員生き返らせれば、全部解決じゃねぇか? 憎たらしい悪魔も消えて、死んだ奴らも復活出来て、万々歳だろ?」
リュウは目を血走らせ、段々と狂気じみた表情になりながら、早口で熱弁した。
そんなリュウを、クロキは静かに観察していたが、リュウが話し終わると、首を横に振りながら立ち上がった。
「リュウ君、それこそ現実を見ないといけないよ。確かに悪魔王の加護は実在した。だから精霊王の加護も、この世界の何処かに有るかもしれない。でも、それを僕らが都合良く見つけられるとは、到底思えない。これまで、世界の誰からも発見の報告は無いんだ。ちょっと草叢を調べたくらいじゃ、到底見つからないだろう。」
「じゃあどうすんだよ!? このままここでぼうっとしてんのかよ!?」
「勿論、このままじゃいけない。僕らは行動を続けないといけない。」
二人の言い争いを、タマがジッと見つめる。
そんな中、クロキが冷静に話を続けた。
「僕らが今やるべき事は、ベリミットが国力を取り戻せるよう、尽力する事だよ。結局、問題の根源はそこにある。問題は根本から絶たないといけない。」
「それ……ケンタとも一度話したけどよぉ、何年掛かんだよ? 国全体の問題なんだぞ? 俺らが少し頑張ったくらいで変わるもんじゃねぇだろ? なぁ?」
リュウは問い詰めながら、クロキとの距離を少し詰めた。
「それでもやるしかない。そこを解決しないと、悲劇はこの先も続く事になる。」
「アンタ……状況分かってんのか? この国はもう滅茶苦茶なんだぞ? 条約が改訂されて、あちこちで人間が殺されてんだ! 生き残った連中は、次から次に国外脱出を試みてる……! そんでもって国境近くじゃ、悪魔の警備隊が待ち構えてて、逃げ出そうとするベリミット人を片っ端から捕まえまくってる……! この状況で国力が回復出来るなんて、本気で思ってんのか?」
リュウは半ば呆れた様子で詰問した。
「繰り返し言うよ。それでもやるしかないんだ。一億人のベリミット人の命が懸かってる。」
「一億だろうが百億だろうが、んなもん全部他人じゃねぇか! 他人一億人助けてる暇があったら、俺は友達一人を助けに行く!」
リュウは髪を掻き毟り、激しく身振り手振りしながら、クロキに猛抗議した。
「その一人の友人は、一億人を助ける為に頑張って来たんだ。僕らはその意思を引き継がなきゃいけない。ソウマ君だって、きっとそれを望んでる。」
クロキの静かな語り口調。それに対してリュウの苛立ちが募っていく。
「アイツの気持ちを勝手に決めつけんじゃねぇよ! そうは思ってないかもしれねぇだろうが!」
「リュウ君……」
クロキは穏やかに、そして諭すように名前を呼んだ。
「大人になるんだ。」
クロキがそう言った瞬間、リュウの怒りが頂点に達した。クロキとの距離を一気に詰め、右手を振り被ってクロキに殴り掛かる。その表情は憤怒の形相だった。
クロキはリュウの動きを、飽くまで冷静に見ていた。迫って来るリュウの姿を最後まで目で追い、殴り掛かってくる右手の動きも完全に見切っていた。それでも敢えてなのか、クロキは避けなかった。リュウの拳を顔面で真正面から受け止め、殴られた衝撃で後方に吹っ飛ばされる。
「ぐっ……!」
クロキは後ろの壁に叩き付けられて思わず息が詰まり、そのまま膝から崩れ落ちた。
クロキに一撃を食らわせて尚、リュウは止まらなかった。床に崩れるクロキに向かって、飛び掛かるようにして一気に距離を詰め、相手の胸座を両手で掴むと、一気に顔を引き寄せた。
「やらない理由を見つけるのが本当に上手いな! それがアンタの言う、大人になるって事なのかよ!? あぁ!?」
「違うよ。人間と悪魔の調和を考える事、これが一番大切なんだ。」
「調和だぁ!? それを乱してんのは悪魔のほうじゃねえか! アイツらの所為で、何人死んだと思ってんだよ!?」
リュウの頭にカレン、ケンタ、ルシフェル、シドウ、アリサ、カンナの顔が浮かぶ。そしてリュウは、悲痛な訴えを続けた。
「散々酷い目に遭って、俺はもうボロボロだ! なのに! どうしてアンタは平気でいられるんだよ!? こういう事に慣れちまって、感覚麻痺しちまったのか!?」
「違う。僕は――」
クロキが何か言おうとするが、リュウがそれを遮る。
「自分は至って冷静です! 少しも傷付いちゃいません! へっちゃらですってか!? 良かったなぁ!? 傷一つなくまっさらで居られて――」
激しく捲し立てるリュウ。しかしその時、リュウの目にある物が飛び込んできた。
それは、クロキの右手だった。リュウを制止しようと、リュウの腕を掴んでいる。その手の平に、僅かに黒ずみが見えた。モディアスによって受けた、呪いの傷だ。腹から浸食がすすみ、とうとう手の平まで到達したのだ。
よく見ると、リュウが掴んでいる胸座、その襟元から見えるクロキの鎖骨辺りにも、ドス黒い呪いの傷が見えていた。
「……!」
リュウは思わずハッとすると、掴んでいたクロキの襟をパッと離した。
一瞬流れる沈黙、そして――。
「チッ……!」
リュウは腹立たし気に舌打ちすると、立ち上がって広間から走り去っていった。そのまま玄関まで向かい、拠点の外へ飛び出していく。
走り去っていくリュウを、クロキは痛みを堪えながら見つめるしかなかった。
一方ただ一匹、事の顛末を全て見ていたタマだけは、テーブルからヒョイと降りると、リュウが開け放った玄関を通り、リュウの後を追いかけていった。