第百二十話 謎の悪魔
現れたオオカミは一頭だけだった。しかし、牙を剥き出しにして唸り声を上げ、ゴブスケ達を襲う気満々の様子だ。
「グルル……! バウッ!」
オオカミは身を屈めて態勢を整えてから、リリィ目掛けて一気に飛び掛かった。
ゴブスケは素早くリリィを抱き上げ、高々と持ち上げる。
「わっ!」
急に抱き上げられ、リリィはびっくりした声を上げた。
「ガウッ! バウッ!」
オオカミはゴブスケの体に爪を立てながら、ゴブスケの頭上のリリィを狙った。が、その牙は届かない。
オオカミは体長一.五メートルほどの立派な体躯だったが、身長二メートルのゴブスケには大きさで敵わず、抱き上げられているリリィには危害を加えられそうになかった。
「あははっ! おもしろーい!」
高い高いされた状態のリリィは、その状況にきゃっきゃと燥いだ。
「この状況を楽しめるなんて、なかなかの大物ッスね。」
オオカミはリリィを狙うのを諦め、ゴブスケの右足に噛み付いた。
しかし悪魔の強靭な皮膚を前に、その牙は全く通用していない。
「やれやれ……。ちょっと乱暴するッスけど、許して欲しいッス……よっ!」
ゴブスケは掛け声と共に、右足を振り上げた。
オオカミは吹っ飛ばされ、数メートル先に落下。そこで戦意を喪失したらしく、尻尾を巻いて逃げ出した。
「ふぅ……危なかったッスね。大丈夫ッスか?」
ゴブスケはリリィを下ろしながら尋ねた。
「うん、大丈夫。……わっとと……。」
地面に下ろされたリリィは、バランスを崩してステンと転んだ。
「あっ! ごめんッス!」
ゴブスケはすぐに謝り、右手を差し出した。
「ううん、一人で転んじゃったの。」
リリィはそう言いながら、ゴブスケの右手を掴んだ。
ゴブスケはリリィの手をグイッと引っ張って助け起こしたが、リリィの手を握ったまま何故か固まっていた。
「どうしたの?」
ゴブスケが手を離さないので、リリィは不思議そうに首を傾げた。
「これッス。」
ゴブスケは握手した状態の右手を指さした。
「?」
ゴブスケの言葉の意味が分からず、また首を傾げるリリィ。
「これッスよ! これこそ人間と動物の違いッス!」
「どうゆうこと?」
「リリィちゃん。例えばさっきのオオカミに手を差し出したら、どうなるっすか?」
「噛み付かれちゃう。」
「その通りッス。動物は噛み付いてくるか、逃げるかだけッス。でも人間は違うッス。手を差し伸べれば、こうやって握手で応えてくれるッス。他の動物とは無理でも、人間と悪魔なら協力関係を結べるって事ッス。ならやっぱり、これを理想として目指すべきッス! 現にオイラとリリィちゃんは、こうして仲良くなれたんスから! どう思うッスか?」
「う~ん……うん! 私もそう思う! 私、ゴブスケのこと応援する!」
リリィは元気よくゴブスケに同意した。
「ありがとうッス! そもそも悪魔も人間も、それから天使も、姿形は少し違うッスけど、元を辿れば皆、バラティア様の子供達! 親戚みたいなもんッス! よーし、やる気出て来たッスよー!」
ゴブスケは両手を振り上げ、決意を新たにした。
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『それ』は丘を駆け上がり、一直線に森を駆け抜けていった。茂みを掻き分け、木々を薙ぎ倒し、一気にゴブスケ達の元へと迫る。
「!?」
ゴブスケは咄嗟に背中のハンマーを掴み、『それ』の攻撃をガードした。
ガードに使われたハンマーは砕け散り、ゴブスケは尻餅をついた。
「な、なんスか!?」
ゴブスケは急いで体を起こし、態勢を整えた。
ゴブスケの前に立っている『それ』は、一体の悪魔だった。茶色いフード付きのローブを纏い、その目深に被ったフードのせいで、顔を覗く事は出来ない。悪魔の背中からは、ローブを突き破るように翼と尻尾が飛び出し、ゴブスケは相手が悪魔だとすぐに分かった。
「!?」
フードの悪魔を見たゴブスケは絶句した。
フード悪魔の手に、リリィの生首が掴まれていたからだ。
「リリィちゃん!」
ゴブスケの絶叫も虚しく、頭部を失ったリリィの胴体はバランスを失い、遺体となって崩れ落ちた。
ゴブスケはショックを受ける間もなく、フード悪魔に注意を戻す。
(あれは……子供の悪魔ッスね……。人間を狩る食料調達班ッスか? いや、アレは子供が参加しちゃ駄目なはずッス……。)
「どうしてこんな事をするッスか!? 酷過ぎるッスよ!?」
ゴブスケはハンマーの残骸を構えながら、フード悪魔に声を張り上げた。
フード悪魔は答えず、手に持っていた生首をゴブスケに投げつけた。
「わっ!?」
ゴブスケは咄嗟に生首をキャッチ。
その間にフード悪魔は、一気にゴブスケに接近した。しかしゴブスケには危害を加えず、傍にあったリリィの遺体を抱え上げた。
「あっ! ちょっと待つッス!」
ゴブスケの制止も聞かず、フード悪魔は翼を広げると、空に向けて飛び立っていった。その姿はあっという間に黒い点になり、やがて見えなくなった。
残されたゴブスケは荒い息を繰り返しながら、ただ空を見上げるしかなかった。