第百十九話 しょうがない
ベリミット人間国の田舎の村、ラードモア。
そこへゴブスケがやって来てから、数日が経った。
ゴブスケはケンゾウ宅に住み込みで働き、畑仕事や家事全般を手伝った。ゴブスケはケンゾウ一家と一緒に生活を送る中で、次第に家族と打ち解けていった。
ケンゾウの妻サラは当初、ゴブスケに対して不信感を抱いていたが、次第にその気持ちは解れていった。
そんなある日。
ゴブスケはリリィと一緒に出掛ける事になった。
「行ってきまーす!」
「行ってきますッス!」
ゴブスケはリリィを肩に乗せ、玄関まで二人を見送りに来たサラに手を振った。
「行ってらっしゃい。気を付けてね。」
サラはにこやかに手を振り、二人を見送った。ゴブスケ達が遠ざかっていくと手をゆっくりと下ろし、少し不安そうな表情を見せる。
(リリィを預けて大丈夫かしら? ……いえ、考え過ぎよね。ここ数日、何も無かったわけだし……。)
少し心配そうなサラ。
そんなサラとは対称的にゴブスケとリリィは、楽しそうに笑いながら畦道を歩いた。
ゴブスケはリリィが落ちないように右手でリリィの体を支え、左手にはバスケットを持っている。時折、村人とすれ違い、その度にゴブスケは村人達と挨拶を交わした。
「おう! ゴブスケ! 元気か?」
「こんにちは、ゴブスケさん。リリィちゃんもこんにちは。」
話し掛けられる度に、ゴブスケは手を挙げて挨拶に応じた。
「ゴブスケー! 何処行くのー?」
近所の子供に尋ねられたゴブスケは、「丘に登って山菜取りッスよ。」と答えた。
「そっかー。行ってらっしゃーい!」
「うん、行ってくるッス!」
近所の子供と別れ、ゴブスケは丘に向かって歩き出す。
しばらく歩いていると、前方から一人の男性が歩いてきた。
「ん……。」
男性はゴブスケの姿を見ると、少し気まずそうな顔をした。
その男性はゴブスケと初対面の時に、ゴブスケに切り掛かった切り付け男だった。
「よ、よう、ゴブスケ。元気か?」
切り付け男はやや遠慮がちにゴブスケに声を掛けた。
「おはようッス! そっちは元気ッスか?」
ゴブスケは快活に答えた。
「あぁ。お陰様でな。……あん時は本当に済まなかったな。俺もちょっと、気が動転してたもんで……。」
切り付け男は頭を掻きながら謝った。
「もういいんスよ、前の事は。それよりも、誤解が解けて良かったッス。」
「そ、そうか……。ありがとよ。それじゃあな。」
切り付け男は嬉しそうにし、ゴブスケと別れた。
「うん。それじゃあッス!」
切り付け男と別れ、それからまたゴブスケは、しばらく畦道を歩いた。
「村のみんなと、もうすっかり友達だね。」
ゴブスケの肩に乗るリリィは、嬉しそうに言った。
「そうッスねぇ。でも、最初は大変だったッス。村の皆、オイラに警戒心マックスだったッスから。」
ゴブスケは数日前を懐古しながら言った。
「そうなんだ……。ゴブスケの体がおっきいから、きっとみんなびっくりしちゃったんだね。」
「いや、多分オイラが悪魔だからッス。」
「悪魔だから?」
キョトンとしながら聞き返すリリィ。
「そうッス。オイラの事を、悪い悪魔と勘違いしちゃったんスよ。」
「ふーん。ゴブスケは全然悪い人じゃないのにね。」
「仕方無いッスよ。悪魔は人間に意地悪するッスからね。」
「意地悪? 意地悪って、どんな事?」
「具体的にッスか? う~ん……その辺はヘビーな話になるッスから、ちょっと話せないッス。」
ゴブスケは口籠り、明言を避けた。
「ダメなの?」
「駄目っス。六歳にはかなりきつい話ッス。」
「もしかしてそれって、悪魔が人間を食べちゃうっていう話?」
「ありゃ!? 知ってたッスか?」
ゴブスケが明言を避けた事をリリィはあっさりと喋り、ゴブスケは驚いた。
「うん。お父さんに教えてもらったの。だから、悪魔さんには近づいちゃダメって。」
「そうだったッスか。でもリリィちゃん、初対面の時、オイラに近付いて来てたッスよね?」
ゴブスケはリリィと出会った時の事を思い出し、疑問を口にした。
「うん。死んじゃってるのかなって思って……。」
「あ……そういう事ッスか……。まあ、その辺の悪魔の話を知ってるなら、後でリリィちゃんにも、オイラがここに来た目的、教えてあげるッスね。」
「うん! ゴブスケの話、沢山教えて欲しい!」
リリィは嬉しそうにしながら言った。
「勿論ッス! お昼休憩の時間になったら、話してあげるッスね。」
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正午になり、プロミナは空の真上まで昇った。
初夏の日差しを避ける為、ゴブスケとリリィの二人は、木陰にある切り株に腰掛けていた。ゴブスケが切り株に直に座り、ゴブスケの膝にリリィが座っている。二人は昼食休憩を取り、サンドイッチを片手に話をしていた。
「てゆうわけなんスよ。」
ゴブスケはリリィに、自身の身の上話をした。
「すごーい! ゴブスケの夢、おっきいね!」
リリィはゴブスケの話を興味津々で聴き、感嘆の声を上げた。
ゴブスケは褒められて「えへへ……。」と照れた。しかしすぐに表情を引き締め、話を続けた。
「今、人間が沢山食べられちゃってるッス。襲われた人間もその家族も、きっと辛い思いをしてるッス。こんな事は、今すぐ辞めさせないといけないッス。」
「うん、私もそう思う。ゴブスケは優しいね。」
リリィはニコッと笑いながらゴブスケを褒めた。
「そんな事ないッスよ。悲しんでる人が居たら、それが悪魔でも人間でも、助けたいと思うのは当然の事ッス。でもオイラみたいなのは、悪魔の中では変わり者扱いされるッス。悪魔だって、誰かに食べられるのは悲しいはずなんスけどね。」
ゴブスケはそう言いながら、サンドイッチを一齧りした。
「うん。食べられちゃうの、私もイヤだなぁ。」
リリィはゴブスケに同意し、ゴブスケと一緒にサンドイッチを齧った。
二人でサンドイッチを食べ、しばし無言の時間が流れる。
リリィはふと何か思い出したような顔をし、ゴブスケの顔を見上げながら話し掛けた。
「ねぇねぇ、ゴブスケ?」
「ん? なんスか?」
「それじゃあ、このサンドイッチも食べちゃダメなのかな?」
リリィは両手で持つサンドイッチを見下ろした。
「え? なんでッスか? 食べて良いと思うッスよ?」
ゴブスケはリリィの言葉の真意が分からず、やや困惑しながら返答。
「でもこのサンドイッチ、ハムが入ってるの。豚さんのお肉。これを食べたら、豚さんが可哀そうかなって思って……。」
リリィは少し自信無さげな声で言った。
「う~ん……豚は食べて良いんじゃないッスか?」
ゴブスケは少し悩みながら答えた。
「そうなの?」
「うん。だって食べないと、リリィちゃんがお腹空いちゃうッス。」
「あ、そっか……。それじゃあ、人間は食べちゃダメだけど、豚さんは良いのね?」
「え……。」
ゴブスケは思わず面食らう。
言葉を失うゴブスケに、子供の純粋な質問が飛ぶ。
「でも、豚さんも食べられちゃうの、嬉しくないと思う。悲しい気持ちは、人間と同じだと思う。ねえ、ゴブスケ? どうして人間は食べちゃダメで、豚さんは良いの?」
「うぅ……痛いトコ突くッスね……。確かに人間が駄目なら、牛や豚も食べちゃ駄目になるッスね。オイラの考え方を広げていくと、最終的に何も食べちゃ駄目っていう結論になっちゃうッス。なんかオイラ、駄目ッスね。なんか急に、自分のやってる事が滅茶苦茶な気がしてきちゃったッス。」
ゴブスケは悲しそうに項垂れ、頭を掻いた。
「そんな事ない。ゴブスケはダメじゃないよ。でも、私も食べないと死んじゃうから、可哀そうだけど食べる。」
そう言ってリリィは、再びサンドイッチを食べた。
「そうッスね。それがいいッス。」
六歳に翻弄され、少ししょげながら頷くゴブスケ。
また二人でサンドイッチを食べ始め、しばし無言の時間が続く。
そして再びリリィが、ゴブスケを見上げながら話し掛けた。
「ねぇねぇ、ゴブスケ?」
「なんスか? 出来れば鋭い質問は勘弁して欲しいッス。」
ゴブスケは怯えながらリリィに釘を刺した。
「悪魔さんも人間を食べないと、お腹が空いて死んじゃうんだよね?」
「そうッスね。バロアは今、他に食べ物が無いッスから、人間を食べないと皆死んじゃうッス。」
「じゃあ、いつか私が悪魔さんに食べられちゃっても、それはしょうがないよね?」
「えぇ!? しょうがないッスか?」
リリィの言った事に驚き、ゴブスケは思わず聞き返した。
「うん、しょうがないんだよ。私はサンドイッチを食べないとお腹が空いちゃう。悪魔さんも人間を食べないとお腹が空いちゃう。だから全部、しょうがないんだよ。」
リリィは淡々と喋りながら、サンドイッチを口に運んだ。
言葉を失い、リリィの様子を見下ろすしかないゴブスケ。
その時――。
「ん?」
ゴブスケは茂みから現れた、ベリミットクロオオカミに気付いた。