第百十七話 タイタルの吐息
翌朝。
早速ゴブスケはケンゾウと共に畑に出て、農作業の手伝いを始めた。いつもは背中に背負っていたハンマーを今日は下ろし、両手に鍬を握りしめて畑を耕していく。頭にはカンカン帽を被り、首にはタオルを掛け、姿はすっかり農家そのものだ。
ゴブスケ達の農作業を、遠くの木陰でリリィが見物していた。
「ふー。」
ゴブスケは作業を中断して一息つき、タオルで汗を拭った。少し離れた場所で仕事をするケンゾウのほうを向き、話し掛ける。
「いやぁ、畑仕事は大変ッスね。腰に来るッス。」
「大丈夫かい? 疲れたらリリィの居る木陰で休んでいいよ。」
ケンゾウは手に持っている鎌でリリィのほうを指した。
「いやいや、まだまだいけるッスよ! 任せて下さいッス!」
ゴブスケはグッとガッツポーズして健在をアピール。
「ははは、頼もしいね。」
ケンゾウは思わず微笑む。
「はい! オイラ、微力ながら頑張るッス!」
「微力なんて事は無いよ。ゴブスケ君が手伝ってくれて、本当に助かるよ。」
「ほんとッスか?」
「そうとも。特に今、農家はどこも人手不足だからね。」
ケンゾウは雑草を刈り取る手を止め、ゴブスケに言った。
「そうなんスか……。皆、都会に出て行っちゃうッスね。」
「いや、別の理由だよ。」
「え?」
ゴブスケは鍬を打ち込む手を止め、ケンゾウのほうを振り返った。
「ガレス人間国が移民政策をやっているんだよ。あの国が高い賃金で、ベリミットの労働者を次々と雇っていてね。多くのベリミット人がガレスに流れてしまったんだよ。」
ケンゾウはタオルで汗を拭いながら、ベリミットのお国事情を説明した。
「そうだったんスか。それは大変ッスね。」
ゴブスケはケンゾウの話に深刻そうな表情を見せた。
「うん。その所為でベリミットは作物の生産量が減ってね。バロア国への食料供給も減ってしまったんだよ。」
「成程ッス……。ガレスの移民政策が巡り巡って、バロアの食糧難に繋がったんスね?」
ゴブスケは顎に手を当て、表情をさらに曇らせた。
「そういう事だね。ギアス国王からは、もっと生産量を上げるように指令を受けていてね。だから頑張ってはいるんだけど、人の流出が多過ぎて、なかなかカバー出来てないんだ。その所為で、多くの悪魔達が飢え死にしてしまったと思う。本当に申し訳ないよ。」
ケンゾウは俯きながら言った。
「何を言ってるッスか! ケンゾウさん達は悪くないッスよ! オイラ達悪魔が胡坐をかいてるのが駄目ッス!」
ゴブスケは言葉に力を込めた。
「そ、そうかい?」
ケンゾウはゴブスケの勢いに若干引いた。
「そうッス! 見てて下さいッスよ! オイラが必ず、農耕をバロアに広めて見せるッスから! 悪魔が農業を肩代わりすれば、ケンゾウさん達が無理する必要は無くなるッス!」
ゴブスケはグッと拳を握りながら力説した。
「ははは、これまた頼もしいね。それじゃあ、楽しみに待ってるよ。」
「はい! 任せて下さいッス!」
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二人はしばらく農作業をした後、リリィの居る木陰で休憩を取り始めた。
「ご苦労様。初仕事はどうだったかな?」
ケンゾウはゴブスケに尋ねた。
「思ったより大変ッスね。でも、やりがいがあって楽しいッス!」
「それは良かった。」
ケンゾウはニコリと頷き、水を一口飲んだ。一息ついてから、再びケンゾウは話を振った。
「まだ気が早いけど、ここで畑作を体験したら、その後はどうするつもりだい?」
「そうッスねぇ……畑作の他には、稲作とか牧畜を学びたいと思ってるッス。」
「そうかい。それなら、親戚のタイゾウさんを紹介するよ。あそこは牧畜をやっているからね。牛や羊の飼い方を勉強出来ると思うよ。」
ケンゾウのこの提案に、ゴブスケは表情を明るくした。
「本当ッスか? それは助かるッス。そこまで勉強できたら、オイラの学びたい事、ほとんど網羅ッス。でも、本当に大変なのはその後っスね。」
ゴブスケは遠い目をしながら言った。
「その後? ……ああ、人間と悪魔の交流の事かい?」
ケンゾウは思い出したように尋ねた。
「そうッス。悪魔と人間は凄く険悪な状態になっちゃってるッスから、なかなか大変そうッス。」
「そうだね……。ここから関係を修復するのは、なかなか大変だろう。」
ケンゾウはゴブスケに静かに同意。
「そうなんスよ……。それともう一個、大きな障害があるんスよ。『タイタルの吐息』というのをご存知ッスか?」
「タイタルの? ……ああ、紫の霧の事かい? バロア国との国境で見た事があるよ。」
ケンゾウは記憶を辿り、合致する記憶を思い出して話した。
「それッス。あの霧がバロア国全土を覆ってるッス。その所為でプロミナの光が遮られて、作物が育たないんス。」
ゴブスケはそう言いながら空を見上げ、木々の隙間から見える木漏れ日を見つめた。
空には太陽に似た恒星、プロミナが輝いていた。
「オマケにあの霧は、生き物のエネルギーや魔力を吸い取るッス。だから牛とか羊とか、動物を育てる事が出来ないんス。」
ゴブスケは渋い顔をしながら霧の説明をした。
「アレは一体なんなんだい? 僕もあの霧を吸い過ぎると体調が悪くなるんだけど、ただの霧ではないよね?」
ケンゾウは疑問を口にした。
その疑問にゴブスケが答える。
「あれは闇の魔法で生み出された物ッス。八○○年前、四百六十八代目の悪魔王で、タイタル様という王様が居たんスけど、その方が生み出した超特別製の霧ッス。膨大な魔力を練り込んで口からブワっと出したらしいッスね。それが八○○年たった今も、ずっと残り続けてるんスよ。」
「そうだったのかい。凄い悪魔が居たんだね。」
ケンゾウは感心しながら感想を述べる。
「六十メートルくらいのドでかい悪魔だったらしいッス。タイタル様があの霧を生み出したのは、国を守る為だったらしいッスけど、正直今は邪魔でしかないッス。アレの所為で、バロア国の食料自給率はほぼゼロッスから。だからまずは、『タイタルの吐息』を退かさないといけないッス。方法は模索中ッスけど、きっと実現させるッスよ。一年中、夜みたいになってるバロアに朝をもたらすッス! そして安保条約で人間を締め付ける時代を、必ず終わらせてみせるッス!」
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ゴブスケは午後も作業を続け、時刻は夕方。
プロミナは地平線の向こうに沈み掛け、辺りに夕暮れが訪れる。
ゴブスケは今日の作業を終え、納屋に農具を片付けている最中だった。
「よいしょっと。……ん?」
ゴブスケが後ろを振り返ると、そこにはリリィが立っていた。人差し指を口元に当て、ジーッとゴブスケを見ている。
「あ、リリィちゃんッスか。どうしたッスか?」
「はっ!」
リリィはゴブスケに気付かれ、慌てて視線を逸らした。
「?」
ゴブスケはリリィの行動がよく分からないまま、片付けの作業を再開しようとした。
ゴブスケが背を向けると、再びリリィはゴブスケをジーッと見つめ始めた。
「ん? どうしたッスか?」
ゴブスケはまた尋ね、リリィはまた慌てて顔を逸らした。
ゴブスケはしばし考え込むと、リリィの視線が自分の首元に向いている事に気付いた。
「あっ! もしかして、これが欲しいんスか?」
ゴブスケは自身が身に着けている首飾りを掴みながら尋ねた。
「う……うん……。」
リリィは遠慮がちに頷いた。
「そうッスか……。う~ん、これは大切な物ッスからねぇ……。そうだ! 新しい物を作ってあげるッスよ! それでどうッスか?」
ゴブスケの提案にリリィは目を輝かせ、ブンブンと首を縦に振った。
「分かったッス! すぐ作ってあげるッスよ! そうだ! 家族皆の分も作ってあげるッス!」
そう言いながらゴブスケは農具を片付け終え、リリィを肩車しながら意気揚々と帰宅していった。
そんなリリィとゴブスケの様子を、サラは家の中から心配そうな顔で見つめていた。