第百十六話 お願い
その夜。
空は青から漆黒へと模様替えが完了し、村はオリジンと星々の明かり以外に光の無い、田舎特有の夜の景色が広がっていた。
村の傍には小高い丘があり、その丘には鬱蒼とした森が広がっていた。
辺りに鈴虫の声が響くその森の中で、ゴブスケは仰向けで寝そべっていた。大の字で四肢を投げ出すゴブスケ。
そのすぐ横では焚火が燃え、ゴブスケを暖かく照らしていた。
ゴブスケは夜空の星を眺めながら、独り言を呟き始めた。
「う~ん、思ったより深刻ッスねぇ……。悪魔のプライドだけが問題じゃなくなってきてるッス。人間達の心もどうにかしないと、友好関係はとても結べる状況じゃないッス。これは大変ッスね……。でも、諦めないッスよ! 悪魔と人間、両方の心を動かしてみせるッス!」
ゴブスケは決意に満ちた表情を見せた。が、すぐにその表情が曇る。
「そんな事よりオイラ、こんなところでちゃんと寝れるッスかねぇ? オイラ、野宿なんて久しぶりッス。真っ暗で怖いし、熊とかも心配ッス……zzz。」
ゴブスケはそう言いながら、目を閉じた瞬間に鼻提灯を出して寝始めた。
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翌朝。
「ぎゃあああ!」
目を覚ますと同時に、ゴブスケはけたたましい叫び声を上げた。目を開けると目の前に小さな女の子が居て、自身の顔を覗き込んでいたからだ。ゴブスケは跳ね起きると、ゴロゴロと転がって女の子から急いで離れた。
一方の女の子は女の子で、突然動き出したゴブスケに心底驚いたようで、「わぁ!?」と声を上げると、走って木の後ろに隠れた。木の陰から顔を覗かせ、ゴブスケの様子を覗う。
女の子の正体は、ケンゾウの娘リリィだった。リリィは初夏の陽気に合う、ふわふわした白いワンピースを身に纏っていた。
ゴブスケは相手が小さな女の子である事に気付き、すぐに警戒を解いた。
「ありゃ! 女の子だったッスか。ごめんなさいッス。驚かせちゃったッスね。」
ゴブスケは遠くからこちらを見るリリィに向けて謝った。
一方のリリィは、まだ少し怯えた様子だ。
「あなた、だあれ? けーびたいの人?」
リリィは六歳らしさ溢れる拙い喋り方で尋ねた。
「いや、オイラは警備隊じゃないッスよ。」
ゴブスケは首を振って否定。
「それじゃあ、だあれ? 私達を虐める悪い悪魔さん?」
リリィは小首を傾げながら再度質問した。
「いや、それも違うッスよ。オイラ、君を虐めたりしないッス。」
「ホント?」
「ホントッス。だから、えっと……出来れば警戒を解いて欲しいッスけど、難しいッスかね?」
ゴブスケは遠慮がちにお願いした。
ゴブスケとリリィ、両者の間にはまだ微妙な距離が空いている。
リリィはじっとゴブスケを観察していたが、やがておずおずと木の陰から出て来ると、トテトテと歩いてゴブスケの元までやって来た。
「ありがとうッス。オイラ、ゴブスケッス。」
ゴブスケは右手を差し出した。その手は、リリィを握り潰せるくらいの巨大さだ。
「私、リリィ。よろしくね、ゴブスケ。」
リリィはゴブスケの人差し指を握り、両者は握手を交わした。
「よろしくッス。リリィちゃんはこの村の子供ッスか?」
「そう。あの家が私の家。」
リリィは丘から見える民家を指さした。
「あの畑の中にある家ッスね。」
ゴブスケは手で庇を作り、遠くにある民家を見つけた。
それに対し、「うん。」と頷くリリィ。
ゴブスケはしばし民家を見つめていたが、やがて何かに気付いたような顔をすると、リリィに話し掛けた。
「もしかしてッスけど、リリィちゃんの御両親は農家をやってるッスか?」
「うん。」
リリィはコクリと頷いた。
リリィの返事に、ゴブスケの表情が明るくなる。
「そうッスか。実はオイラ、農家をやってる人間と、丁度会いたかった所なんス。急で申し訳ないッスけど、リリィちゃんのお父さんとお母さんに会わせてもらう事は出来るッスか?」
「うん、いいよ。」
リリィは快諾。
ゴブスケの表情はさらに明るくなった。
「ホ、ホントッスか!?」
「うん。案内してあげる。」
言うが早いか、リリィはトテトテと丘を下りていった。
「あ、ちょっと速いッス!」
その後ろをゴブスケが、ドシンドシンと大地を揺らしながら付いて行った。
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その日の夜。
リリィの家の中から、ケンゾウの笑い声が聞こえてきた。
「ははははっ! そういう事だったのかい。いやぁ、家の中に悪魔が居るから、到頭うちにも食料調達班が来たのかと思ったよ。いやはや、心臓が止まりかけたね。」
ケンゾウ一家とゴブスケは、家のリビングで食卓を囲んでいた。
ケンゾウ一家は父親のケンゾウ、妻のサラ、そして二人の子供のショウとリリィ、合わせて四人家族だった。
ケンゾウは酒をグビリと仰ぎ、ショウとリリィはもっちゃもっちゃとご飯を食べ、サラは食卓に料理を運んでいた。
サラは少し年配だが、とても綺麗な女性だった。
サラは料理を運ぶ際、にこやかな笑顔でゴブスケに愛想を振りまいた。しかしゴブスケの背後まで移動すると、何故か不満気な表情でゴブスケを見た。
「驚かせて申し訳なかったッス、急に現れちゃって……。それと、玄関を壊しちゃったのもすいませんでしたッス。オイラ、どんな出入り口でも必ずつっかえちゃうんスよ。」
ゴブスケは申し訳なさそうに頭を掻きながら謝罪した。
「いや、いいよ。君が通れるように改築しておくから、安心してくれ。それより、明日からの事を話そう。うちで農業を勉強したいって事だったね?」
ケンゾウはゴブスケを許して話題を変えた。
「そうッス。ケンゾウさんをお手伝いしながら、農耕や牧畜を学びたいんス。厚かましくて申し訳ないッスけど、お願い出来るッスかね?」
「厚かましいなんてとんでもないよ。人手が増えて助かるし、寧ろこっちからお願いしたいくらいだよ。」
「ホントッスか?」
ゴブスケは落ち窪んだ暗い目を輝かせた。
「うん。それで、早速明日から出来るかい? 野宿して疲れているなら、何日か休みを取ってからでも構わないけど……。」
「明日からお願いしたいッス! いいッスか?」
「勿論いいとも。じゃあ、宜しく頼むよ。」
にこやかに微笑み、右手を差し出すケンゾウ。
「はい! こちらこそッス!」
ゴブスケはケンゾウの右手に応え、二人はテーブル越しに握手した。
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夕食が終わり、ゴブスケは二階の寝室のベッドに、仰向けで横たわっていた。
そのゴブスケの太った腹をトランポリン代わりにして、ショウとリリィは飛び跳ねて遊んでいた。
「すごいすごーい! ゴブスケ、こんなに飛び跳ねても平気なの?」
ショウはボヨンボヨンと跳ねながら、ゴブスケに尋ねた。
「大丈夫ッスよ。悪魔の体は頑丈ッスから。もっと跳ねても大丈夫ッスよ。フンッ!」
ゴブスケは力を込め、腹を大きく突き出した。
「わーっ! すごーい!」
一際高く飛び跳ね、燥ぐショウとリリィ。
二人の子供が二階できゃっきゃ、きゃっきゃと盛り上がっている中、一階ではケンゾウがのんびり新聞を読んでいた。二階から微かに聞こえる楽し気な声を聞き、ニコリと笑うケンゾウ。
「子供達はあっという間に打ち解けたねぇ。なんだか楽しくなりそうだ。」
「そうですか? 私は反対ですよ。悪魔をうちに住まわせるなんて。」
サラはケンゾウの元にお茶を運びながら不満を漏らした。
「え? なんでだい?」
「当たり前じゃないですか。悪魔がどんなに危険な存在か、あなたも分かっているでしょう? それに世間の目もあるし……。」
サラはケンゾウを見下ろしながら険しい表情で言った。
「う~ん、確かにそれはそうだけど……でも私には、ゴブスケ君はとても良い人に見えたよ?」
ケンゾウは食い下がった。
「ええ……それは、まあ……。」
サラは奥歯に物が挟まったような返事をする。
そんな様子のサラに、ケンゾウはさらに言い聞かせる。
「まあとにかく、本人は人間と仲良くしたいと言っているんだ。その言葉を信じて、しばらく様子を見ようよ。」