第百十五話 変わり者
バロア悪魔国の荒野。
トフェレスが手綱を握る馬車が、荷台にゴブスケを乗せて走る。馬車は紫の霧を掻き分け、荒れ果てた道なき道を進んだ。
馬車が進むにつれて紫の霧は少しずつ薄くなり、やがて柵で仕切られた、バロア国とベリミット国の国境へと辿り着いた。
トフェレスは柵の手前で馬車を停めると、後ろの荷台を振り返った。
「着いたぞぉ、ゴブっち。起きろぉ。」
「zzz……はっ!」
ゴブスケは鼻提灯を膨らませながら大きな鼾をかいていた。トフェレスに呼ばれて鼻提灯はバチンと破裂し、ゴブスケは弾かれたように起き上がった。
「も、もう着いたっすか?」
ゴブスケは眠い目を擦りながら尋ねた。
「あぁ。早く降りろ。」
「す、すいませんッス!」
ゴブスケはすぐ脇に置いていたハンマーを背負うと、慌ただしく下車して地面に降り立った。
「じゃあ、気を付けてな。」
トフェレスはゴブスケに別れを告げ、馬車の向きを変えた。
「了解ッス! トフェレスさんも帰り道、お気を付けて!」
トフェレスの背中に向けて声を張るゴブスケ。
ゴブスケの言葉を背中で受け止めたトフェレスは、片手を挙げて応えた。やがて馬車は少しずつ遠ざかっていき、霧の彼方へと消えていった。
馬車が見えなくなるまで見届けたゴブスケは、くるりと踵を返した。
「よぉし。じゃあ早速、行くッスよ!」
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ゴブスケはノシノシと歩き、ベリミットの田舎町へとやって来た。
辺り一面に田畑が広がり、民家は疎らあるが、表を歩いている人影は無い。
ゴブスケは辺りをキョロキョロしながら人間を探した。
「あっ! 第一村人発見ッス!」
ゴブスケは畑仕事をしている男性を見つけると、「おーい!」と声を張りながら手を振った。
「!?」
男性はゴブスケの姿を見ると、その顔から一気に血の気が引いた。
「ヒ……ヒィィィ!」
男性は手に持っていた鍬を放り投げ、悲鳴を上げながら逃げていった。
「あっ! ちょっと! 待って欲しいッス!」
ゴブスケは必死に呼び止めた。
しかし男性は一度も振り返る事無く、その場から逃げ去った。
「行っちゃったッス。どうしちゃったんスかねぇ……。」
ゴブスケは困惑し、小首を傾げたが、
「まあ、しょうがないッスね。次ッス。」
と、気を取り直し、また村人を探して歩き出した。
次にゴブスケが発見したのは、一組の親子だった。母親が子供の手を引き、畦道を並んで歩いている。
「おーい! ちょっと話がしたいッス!」
ゴブスケは正面からその親子に声を掛けた。
「ひぃっ!」
親子は先程の男性と同様、ゴブスケを見るなり血相を変えて逃げていった。母親が子供を抱き上げ、一目散に走り去っていく。
「あっ! 待ってくれッス! お願いッス!」
ゴブスケは親子を引き止めたい一心からか、右手を伸ばしながら必死になって追いかけた。
しかし、肥満体質のゴブスケの鈍足では、逃げていく親子には全く追い付けなかった。
「はあ……はあ……。また逃げていっちゃったッス……。」
ゴブスケは追いかけるのを諦め、少し寂しそうに呟いた。荒い息を整え、また人間を探し始める。
しかし、その後も結果は同じだった。
「ひぃぃぃ!」
「うわあああ!」
「く、来るなぁぁぁ!」
どの村人もゴブスケの姿を見ると、みな一様に恐怖の表情を浮かべながら、全速力で逃げていく。
「みんな……どうして逃げていっちゃうッスか……。警備隊の時はこんな事無かったんスけど……。」
ゴブスケは人間が逃げていく理由が分からず、唯々(ただただ)困惑するしかなかった。疑問が晴れないままゴブスケは町を歩き回り、やがて一軒の民家にやって来た。玄関前まで歩き、そのごつい腕で戸口をノックする。
少しして戸口がゆっくりと開き、中から若い男性が出て来た。
「あっ! 急に訪ねて申し訳ないッス! オイラ、ゴブスケっていうッスけど少し話を――」
「あんた、一体どっちだ?」
男性はゴブスケの挨拶を遮った。よく見ると男性は右手に刃物を持ち、その表情は警戒心で一杯の様子だ。
「え? どっちって、何がッスか?」
「警備隊のパトロールか!? それとも食料調達に来た野郎か!? どっちだ!? 早く答えろ!」
「えぇ!? いや、オイラどっちでもないッス! オイラ、人間の友達を作りたくて来た、一般の悪魔ッスよ!」
ゴブスケは全力で左右に首を振った。必死に男性の問いを否定し、事情を説明する。
しかし、男性は聞く耳を持たない。
「嘘をつくな! そんな悪魔いるわけ無いだろ! やっぱり食料調達員だな?誰だ? うちの家族の誰を殺しに来た!?」
「ち、違うッス! オイラ、そんなつもり全く無いッスよ! 信じて欲しいッス!」
ゴブスケは必死に弁明した。
「黙れ! 信じられるか!」
男性は鬼の形相でゴブスケを睨んだ。
「本当ッス! お願いッス!」
ゴブスケは頼み込みながら、男性に向かって一歩踏み込んだ。
それが男性にとっては余程怖かったのだろう。男性は「ヒィ……!」と声にならない悲鳴を上げながら後退った。
「こ、殺されてたまるかぁぁぁ!」
男性は刃物を握り直すと、意を決してゴブスケに切り掛かった。
「え?」
警戒を怠っていたゴブスケ。その左胸に、男性の刃物が突き刺さる。
「ちょ、ちょっと……痛いッスよ。落ち着いて欲しいッス。」
ゴブスケは男性を宥めた。そして刃物を手で鷲掴みにすると、男性のほうに押し返した。
「ぐっ……!」
ゴブスケに押され、よろける男性。すぐに態勢を立て直し、自身が刺したゴブスケの左胸を確認する。
ゴブスケの胸から出血は無く、刺し傷にも満たない僅かなへこみが残っているだけだった。
「う……うおおお!」
男性は尚もゴブスケに向かって行った。
ガキンッ! ガキンッ! ガキンッ! ガキンッ!
男性は刃物を闇雲に振り回し、ゴブスケに切り掛かっていく。
しかし斬撃は全て跳ね返され、ゴブスケの体には傷一つ付かない。
男性から攻撃を受けている間、ゴブスケは棒立ちだった。男性を目で追いながら、時折呼び掛けをする。
「頼むッス。ちょっと落ち着いて欲しいッス。」
やがて男性は疲れ切り、刃物を振り回すのを止めた。荒い息を必死に整えながら、ゴブスケを睨み続ける。
(ちきしょう……! 刃物が通らねえ! これが悪魔の皮膚か……!)
心の中で悪態をつく男性。
その男性に向かって、ゴブスケは必死に語り掛けた。
「どうか気を静めて欲しいッス。オイラ、ホントのホントに人間と仲良くなりたいだけなんス。」
「仲良くだ? 何言ってんだ! アンタだって毎日人間を食ってんだろ!? 美味い美味いって言いながらよぉ!」
「そんな……オイラは人間を食べた事なんかないッス! 寧ろ逆ッス! そういうのを無くしたくて――」
ゴブスケは懸命に弁明する。
しかし男性がそれを聞き入れる様子はない。
「黙れ! そうやって耳障りの良い言葉で誘い出して、騙し討ちする悪魔までいたんだ! もう悪魔は信用しない!」
男性は憎しみを込めながら声を張り上げた。
「……。」
言葉に詰まり、無言になるゴブスケ。
そのゴブスケに対し、男性は話を続けた。
「悪魔に襲われて村の連中が何人死んだか……キリがねえよ……! いくら掃除しても……してもしてもしてもしてもしても! 毎日どこかに新しい血溜まりが出来てんだ! もう……気が狂うよ……!」
男性はその場で泣き崩れた。
ゴブスケは男性のあまりの激情に思わず圧倒されたが、やがてゆっくりと腰を下ろすと、男性の両肩を抱いた。
「触るな!」
ゴブスケの手を払いのけようとする男性。
しかしゴブスケは両手に力を込め、男性を離さない。
「聴いて欲しいッス。オイラはそういう辛い事を無くす為に、ここまでやって来たんス。だから……オイラを信じて欲しいッス……! オイラが必ず、なんとかするッスから……!」
ゴブスケは言葉に熱を込めながら話した。
「どうにもならねぇよ……。もう手遅れだ……。もういいから……早くうちから出てってくれよ……。」
「分かったッス。すぐ出ていくッスよ。でも、これだけは覚えていて欲しいッス。世の中には、オイラみたいな変わり者の悪魔がいるって事を。」
男性にそう言い残すとゴブスケは立ち上がり、玄関の外へと向かった。
「へっ……! 可笑しな事言うな……。」
男性は地べたに座ったまま鼻で笑った。
「ホントッスよ。オイラ、バロアじゃ皆から変な目で見られてるッスから。」
「そうか……。よく分からねえけど、アンタが他の悪魔とは違うってのは、少し伝わった。……急に切り付けて、悪かったな。」
男性は少し照れながら謝った。
「大丈夫ッスよ! 悪魔は丈夫ッスから! こちらこそ、急に押し掛けてごめんなさいッス!」
ゴブスケは男性に力強く親指を立てると、手を振って男性と別れた。