第百十話 生きる為に
コンコンッ。
悪魔Aは家の玄関前まで歩くと、家の戸口を二度叩いた。
するとすこし間が空いてから、玄関へとやって来るパタパタという足音が近付いてきた。そしてガチャリと音がし、戸口が開く。
「はーい! どちら様でしょうk――」
家の中から一人の女性が、来客を迎える時用のにこやかな笑顔で出て来た。しかし、玄関先で待ち構えている悪魔Aの姿を見た瞬間、その笑顔は一瞬で凍り付く。
「ひぃっ!」
声にならない悲鳴を上げ、床に尻餅をつく女性。
その女性に迫るように、悪魔Aはズカズカと家の中に入って来た。
「どうも、御婦人。ヴェラ、で合ってんのかな?」
「キ、キャアアアッ!」
名前を尋ねられた女性ヴェラは恐怖で唇を震わせながら、精一杯の叫び声を上げた。
その叫び声は家の周囲に響き、庭で作業をしていた親子の元にも届いた。
「!?」
父親のグレンと息子のケイタは同時に振り返り、叫び声のしたほうに目をやった。
しかし二人の角度からは、家が邪魔で様子を確認出来ない。
グレンは弾かれたように立ち上がると、家の玄関に向かって走り出した。
ケイタも遅れて付いて来る。
「どうした!? ヴェラ!」
現場まで駆け付けたグレンは、妻の名前を叫んだ。
「あ……あなた……。助けて……!」
ヴェラは震える声でグレンに助けを求めた。その体は地面にうつ伏せに組み伏せられていて、その上には悪魔Bが圧し掛かっていた。
「ヴェラ! おい、アンタら! 何やってんだ!」
グレンは悪魔達に食って掛かった。
「うるさいな……。おい、ソイツ捕まえとけ。」
悪魔Aは鬱陶しそうな表情でグレンを見やり、ベリミットの兵士二人に指示した。
兵士二人は渋々といった様子で指示に従い、グレンを両脇から取り押さえた。
「な、なんだ!? あんた達! なんでアイツらの言う事聞くんだ!」
グレンは兵士達を振り解こうと藻掻いた。しかし屈強な兵士達の力には敵わず、 ヴェラと同じように地面に組み伏せられた。
「すまない……ホントに……。」
ベリミット兵士は悔しそうに奥歯を噛み締めながら謝罪した。
グレンは謝られた意味が分からず、困惑した様子だ。
人間達が揉み合っている中、悪魔達は作業を進めた。
ヴェラを押さえつけている悪魔Bが、傍に居る悪魔Aに問い掛ける。
「この女で合ってるのか?」
「ああ、大丈夫だ。」
「あっちの男と子供は?」
悪魔Bは少し離れた位置に居る、グレンとケイタを見やった。
「あの二匹はリストに無い。アイツらには手出し無用だ。」
「分かった。じゃあ、いくぞ。」
「ああ、なるべく苦しまなくて済むように、一発でな。」
悪魔二体の不穏なやり取りを聞き、グレンの表情が恐怖一色に染まる。
「おい……ヴェラに何をするつもりだ!? やめろ! ヴェラを離せ! おい!」
グレンは声の限り叫んだ。
しかし、悪魔達は一切聞く耳を持たない。
悪魔Bは片手でヴェラの首根っこを押さえ、右手を握り込んで拳を作った。
グレンは悪魔Bがやろうとしている事を察したのだろう。思わず目を見開き、体全体に戦慄が走った。
その時――。
「お……お母さん……!」
グレンの隣に立っているケイタが、恐怖で全身を震わせながら母親を呼んだ。
「はっ! ケイタ! よせ! 見るな!」
グレンは地面に組み伏せられたまま、首だけ動かしてケイタに叫んだ。
しかし、ケイタは恐怖で全く動けずにいる。
すると、グレンを取り押さえていた兵士の一人が立ち上がり、手の平でケイタの両目を覆った。
そして次の瞬間――。
グチャリッ。
悪魔Bの拳が振り下ろされ、ヴェラの頭が叩き潰された。周囲には血が飛び散り、グレンの顔にも血が何滴か掛かる。
「ヴェラァァァ!」
グレンの絶叫が響く。
悪魔Bはその絶叫も意に介さない。死後痙攣を繰り返すヴェラの体を掴み上げると、悪魔Bはそれを逆さまにし、乱暴に揺すった。
首から血が滴り、悪魔Bの足元に血だまりが広がる。
やがて首から血が出なくなった事を確認すると、悪魔Bはヴェラの遺体を引きずりながら歩き、荷車の木箱の扉を開けた。
木箱の中には、ヴェラと同じように頭を潰された死体が、何体も積み込まれていた。血が飛び散り、悍ましい光景が広がっている。
悪魔Bはその中にヴェラの遺体を放り込んだ。
ベチャリという嫌な音と共に、ヴェラの遺体が転がる。
悪魔Bはパンパンと手を叩くと、木箱の扉を閉めた。
その作業完了を見届けたベリミット兵士は、ようやくグレンを解放した。
「うっ……うぅ……うぉえ……おぇ……はあ、はあ……。」
グレンは嗚咽と共に吐き気を催したが、それを無理矢理飲み込むと、やがて荒い呼吸を繰り返した。そして呼吸を整え終えると、グレンは声を絞り出した。
「どうして……どうしてこんな事を……?」
「ん?」
移動の準備を始めていた悪魔二体は、グレンのほうを振り返った。
「どうしてこんな酷い事が出来るんだ!? どうして!? 何の為に!?」
悪魔達に食って掛かるグレン。
そんなグレンに対し、悪魔Aはゆっくりと体を向き直してから口を開いた。
「生きる為にだ。」
「はあ!?」
悪魔Aの返答に、グレンは面食らった。
「こうやって生き物を殺して食べる。生きるってのはそういう事なんだよ。多分、アレと同じだ。」
そう言いながら、悪魔Aはグレンの背後を指さす。
「!?」
グレンは思わずハッとして振り返った。
悪魔Aが指さす先には、グレンが殺したタロウの遺体があった。
呆然とするグレンに対し、悪魔Aは話を続ける。
「アンタも良い年した大人なんだから、これぐらいの事は受け止められるようになれよ。そこの子供にも教えといてやれ。生きる為には、こういう事が必要なんだってな。」
一通り話し終えると、悪魔Aは荷車に置いていた書類を取り、地図を確認し始めた。
一方のグレンは、悪魔Aに対して返す言葉が見つからず、ただ荒い息を繰り返していた。
そのグレンを、ベリミット兵士達が助け起こそうとする。
「大丈夫ですか?」
「やめろ! 触るな!」
グレンは怒りに声を震わせながら、ベリミット兵士の腕を振り解いた。上手く力の入らない膝で、フラフラと立ち上がる。
「あんた達には失望した! 俺達市民を助けるのがあんた達の仕事だろ! 違うか!?」
グレンは怒り心頭で肩を震わせながら、兵士達を激しく糾弾した。
「申し訳ない……! 本当に申し訳ない……! 全て条約の所為で……」
兵士達は心の底から謝り、グレンに頭を下げた。
それに対してグレンは何かを言いかけるが、その前に悪魔Bの声が割って入った。
「おい、お前ら! 行くぞ! 車押せ!」
「は、はい……!」
兵士達は慌てて返事をすると、急いで荷車の元まで走った。出発の準備を整え、荷車を押し始める。
悪魔二体とベリミット兵士二人の一団は、荷車のガタガタという音を響かせながら、現場から去って行った。
一団が去り、現場に残されるグレンとケイタの親子。
グレンは有りっ丈の憎しみを込めながら遠ざかっていく一団を睨み、そして強く唇を噛んだ。
「何が条約だ……! 何が安全保障だ……! これが安全? 狂ってる! 狂気だ! こんな条約……考えたバロアも、受け入れるベリミットも、全部狂ってやがる……!」
ブツブツと国を呪い続ける父親。
その隣で、ケイタはただただ呆然と立ち尽くすしかなかった。