第十一話 田んぼの黒猫
空が徐々に白み始め、森には少しずつ光が差し込み始めていた。夜通し活動していた鈴虫たちは最後の追い込みだとばかりに鳴き、日頃から早寝早起きを心掛けている健康志向の小鳥たちは、木々の上で鳴き始めていた。
ソウマは自分のカバンを抱え、古い切り株に座っていた。目は若干充血し、くまができている。
『こうやってね、手首に巻いて……よし、出来た!』
ソウマの右手首には、ミカに巻いてもらったミスリングがあった。
『『ドラゴンの生態と伝説』っていう本。お父さんが書いたの。』
ソウマのカバンには、『ドラゴンの生態と伝説』が入っていた。
『デデーン。ジャバルドラゴンの源麟だ。どうよ?』
『ドラゴンの生態と伝説』のそばには、ドラゴンの源麟が、
『ソウマ、僕の本、大事に。』
源麟のそばには、『加護は実在する』が入っていた。
「皆……ごめん……。皆の家族に返すつもりだったんだけど、出来そうにないや……。」
ソウマは俯きながらポツリポツリと呟いた。
「母さんには……もう会えそうにないな……。」
ソウマは少し顔を上げながら言った。
『もちろんじゃよ。まずは会談で事情を聞くが、場合によってはバロア国に制裁を加えることになるかもしれん。これ以上悪魔達の好きにはさせないつもりじゃよ。』
イルナール牢獄でのギアス国王との会話を思い出し、ソウマは少し眉間に皺を寄せた。
『気の毒だけど……嘘だと思うわ。』
先程のミカドの言葉が頭をよぎり、眉間の皺は少し深くなった。
『しつけえな、おめえはぁ! おめえら人間もよお! 牛やら豚やら殺して食うだろうが! 動物食う前によお! いちいち殺していいか聞くのか、てめえはぁ! ああ!?』
ソウマは自分に向かって怒鳴るロイドの顔が頭に浮かんだ。ソウマは眉間に皺を寄せたまま、歯を食いしばり始めた。
『殺しはしない。悪魔と人間の力の差を教えるだけだ。』
ソウマは自分の体を掴み上げるグリムロの姿が頭に浮かび、さらに歯を食いしばった。やがて顔全体に怒りの感情が行き渡り、目には強い決意の光が宿った。
そしてソウマは森の中で一人、立ち上がった。
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森の周りには草原が広がっていた。
夜は完全に明け、日の出と共に色彩を取り戻した草原を、一頭の馬が駆けていた。
フードを被ったミカドが手綱で馬を操り、同じくフードを被ったソウマがミカドの前に乗っていた。
「拠点まで馬の足で半日かかるわよ! それまで大丈夫? 辛抱出来そうかしら?」
ミカドは前に乗るソウマの顔を覗きながら言った。
「た、多分……大丈夫……です……。」
馬に激しく揺られ、ソウマは目を回していた。
「馬に乗るのは初めてかしら?」
「学校の……実技で……何度か……。」
「そう……。出来るだけ早く王都から離れたいの! 頑張って!」
ミカドの励ましも虚しく、目眩の止まらないソウマを乗せ、馬は草原を駆けていった。
一行は草原を抜け、民家が点在する村を抜け、田んぼが広がる田園風景を走り抜けていった。
田んぼの畦道で、一匹の黒猫が丸まって寝ていた。すると遠くから馬の足音が聞こえ、黒猫はパチリと目を覚ました。身を低く屈め、黒猫は辺りを警戒した。
すると畦道のそばの舗装されていない砂利道を、二人の人間を乗せた馬が駆け抜けていった。
黒猫は驚いて目を丸くし、馬の姿を目で追った。
黒猫は警戒しつつもゆっくりと起き上がり、ソロリソロリと歩いて馬が通った砂利道に出てきた。黒猫は遠ざかる馬を不思議そうに眺めていたが、やがてトコトコと歩き出し、馬の後を追いかけていった。
ソウマとミカドが移動を開始してから半日。
空は夕日が傾いてオレンジ色に変わっていた。
二人を乗せた馬は森の中を並足で移動していた。ミカドが手綱を操り、木を避けながら少しずつ進んでいく。
前に乗るソウマはまるで二日酔いのようにグデングデンになって気を失っており、ずり落ちないようにミカドと一緒に蔦で巻かれていた。
一行は森の奥へと進み、やがて木の生えていない開けた場所に来た。
そこには木造二階建ての大きな建物が建っていた。人が住むお洒落な住居という感じではなく、物置のような無骨な見た目をしていた。丸太を何本も組み上げて壁と屋根が造られているが、表面を整形した跡はなく、木のゴツゴツした形が剥き出しだった。部屋数はざっと二十ほどだろうか。大家族でも余裕で住めそうな、巨大な建物だった。建物のそばには小さな物置や馬小屋があり、馬が何頭か繋がれている。
「お疲れ様。着いたわよ。……無事かしら?」
ミカドはソウマに話しかけたが、返事が無いため安否を確認した。
「無事……です……。」
「無事じゃないわね。ちょっと待ってて。」
ミカドはソウマと自分を巻き付けていた蔦を切って先に馬を降り、ソウマを抱きかかえるように馬から降ろした。ミカドはソウマをお姫様抱っこして拠点の中に入っていった。
ミカドは拠点に入るとすぐ左手に曲がって廊下を進んでいった。
廊下の向こうには背の高い男性が、ミカドに背を向けて立っていた。男性はなにやら書類を眺めていた。
「ユキオリーダー、ただいま戻りました。」
ミカドは背の高い男性に話しかけた。
ユキオと呼ばれた男性はピクリと反応して振り返った。
「お! ミカド! もう戻ったのか。思ったより早かったな。」
ユキオはミカドに近付きながら言った。
ユキオは三十代後半くらいの男性で、ミカドよりも背が高かった。短い茶髪の頭、顎には無精ひげ、そして体付きは軍人のようにガタイが良く、かなりの肉体派といった見た目だった。白いシャツの上に革の上着を羽織り、太いベルトを斜めにかけている。
「その赤髪の子がソウマ君か?」
ユキオは、お姫様抱っこされているソウマを見下ろしながら言った。
「はい、問題なくここまで連れてきました。」
「問題なく、ねえ……。俺には気絶してるように見えるが……まあ、生きてるなら問題無しか。」
ユキオは片方の眉を吊り上げながら、ソウマの顔を覗き込んだ。
「お前まさか、勧誘を断られて無理矢理ここまで連れてきたんじゃないだろうな?」
ユキオはソウマを覗き込む態勢のまま、顔だけ上げてミカドを見上げながら聞いた。
「いえ、勧誘の話は承諾してくれました。ただ、馬に慣れていなかったようで、半日揺られてこの状態です。」
「はっはっは! そうかそうか。まあとにかく、いい返事が貰えて良かった。よく連れてきてくれたな。ご苦労さん。」
ユキオはミカドに礼を言った。
「はい。ところで、彼を寝かせてあげたいのですが、空いている部屋は?」
「ああ、二階の奥の部屋に空きのベッドがある。そこに寝かせてやってくれ。」
「分かりました。では失礼します。」
返事をして一礼すると、ミカドはソウマを抱えて立ち去った。
ユキオはミカドが廊下の角を曲がって姿が見えなくなるまで見送った。
「ソウマ君……か。聞きたいことは色々あるが……まあ、最初はメンバーとの顔合わせからだな。」
そう言いながらユキオは、廊下にいくつもあるドアの一つを開けて自分の部屋に入っていった。