第百九話 鶏
ベリミット人間国の、とある田舎町。
一面には田んぼと畑が広がり、初夏の風が作物を揺らす。田畑の中には疎らに民家が建っており、一軒の民家の外に、一組の親子の姿があった。親子は家の前にある庭に出て、父親が息子に対して、何やら話をしていた。
「いいか? ケイタ。よく見ておくんだぞ?」
地面にしゃがみ込み、息子のケイタに説明を始める父親。父親は生きた鶏の首根っこを左手で持ち、右手には斧を構えていた。
父親の隣に居る息子のケイタは、十歳ぐらいの見た目だった。立ち上がった状態で父親を見下ろし、話を聞いている。しかし、その顔は不安で一杯といった様子だった。
「お父さん……タロウに何するつもりなの?」
ケイタの声は心底震えていた。鶏のタロウを指さしているが、声と同様にその指先も震えている。
そんなケイタの問い掛けに対して、父親はすぐには答えず、先に作業のほうを進めた。タロウの首根っこを掴み直し、木の板の上に押さえつけたところで、父親はケイタの顔を見上げた。
「いいか? よく聞きなさい。父さんは今から、タロウの首を落とす。お前はそれを、そこで見ておくんだ。いいな?」
「!? ……いやだよ。タロウは……僕がずっと可愛がってきたんだよ? 父さんも知ってるでしょ!?」
ケイタはキッと睨みながら父親に詰め寄った。
そんな息子に、父親は冷静に対応した。
「……勿論知ってるさ。でもな、これはどうしてもやらなきゃいけない事なんだ。」
「なんで? 何の為に?」
ケイタは目に涙を浮かべながら、さらに父親に詰め寄る。
ケイタの問い掛けに、父親は体を向き直しながら答えた。
「生きる為にだ。こうやって生き物を殺して、それを食べる。生きるっていうのは、そういう事なんだ。お前にはこういう事を、ずっと見せずに育ててきた。それは隠してきた父さんが悪い。ごめんな。でも、お前ももう十歳だ。こういう現実があるって事を、そろそろ知っておかないといけない。父さんは、今のお前なら受け止められると思ってる。いや、受け止めなきゃいけないんだ。分かったか?」
父親の問い掛けに、ケイタは一筋の涙を流しながら、無言で頷いた。
「よし。じゃあ、いくぞ。直接見るのが無理なら、後ろを向いてても良いぞ。でも、その後の作業は最後まで見てもらうからな。いいか?」
「うん……。」
ケイタは絞り出すように返事をした。そして父親に対して背を向け、目を閉じ、さらに両手で耳も塞いだ。
「よし……。」
父親は、ケイタが諸々の準備を完了させた事を確認すると、鶏のタロウのほうに向き直った。右手に持っている斧をゆっくりと上げ、そして一気に振り下ろす。
ザクッ。
====================================
親子がそんなやり取りをしていた丁度その頃、親子が暮らしているその田舎町に、一つの集団がやって来た。
現れたのは二体の悪魔と二人の人間。
人間二人はベリミット軍の兵士で、荷車を押して歩いていた。
その荷車には、扉付きの巨大な木箱が積まれていた。
そしてその荷車の前を、二体の悪魔が並んで歩いている。
悪魔の内の一体(以下、悪魔A。)は書類を眺めながら歩き、もう一体(以下、悪魔B。)は時折荷車の様子を確認しながら、町の景色に目をやっていた。やがて悪魔Bは正面に向き直り、隣を歩く悪魔Aに話し掛けた。
「今まで第一師団がやってた事だろ? なんで一般の俺らがこんな事やらされんだよ?」
悪魔Bは不満げに悪魔Aに言った。
悪魔Aは書類から視線を外し、悪魔Bに顔を向ける。
「条約が改訂されたんだとよ。今までは街を壊したり、荒っぽいやり方だったらしいが、これからはそういうのは禁止だ。余計な被害を出さないよう、丁寧にやらないといけない。で、それならもう武力は必要ないだろうって事で、俺ら一般の奴らも駆り出される事になったらしい。」
「ふ~ん。でもよ、どうする? 戦闘集団の第一師団ならまだしも、俺らなんて喧嘩ど素人だぜ? いくら相手が人間でも、集団で来られたら殺されちゃうんじゃねえか?」
悪魔Bは食い下がった。
「いざと言う時はベリミット軍の力も借りろ、だとさ。こいつ等は俺達を護衛する役目もあるらしい。」
悪魔Aは書類に目を通しながら話し、後ろの兵士二人をチラリと見た。
「護衛役っつっても結局は人間だぜ? 信用できるか?」
「こいつ等は法律で縛られてる。俺達の作業を補佐しなきゃいけないっていうな。その辺の法整備は、フェゴール様が上手い事やってくれたらしい。」
「ほ~。やっぱあの人は抜かりないな。」
感心する悪魔B。
悪魔達の話題に上がった兵士二人は、不安そうに互いの顔を見合わせた。
そんな兵士達を余所に、悪魔達は会話を続ける。
「で? 今日のノルマはあと何匹だ?」
悪魔Bは悪魔Aに質問した。
尋ねられた悪魔Aは、手に持っている書類に視線を落とした。
「今日は全部で二十匹だ。今の所、収獲は十二匹だから、残り八匹だな。」
「半分は過ぎたか、了解。」
人間と悪魔達は歩みを進めた。
田舎町の未舗装の道路を荷車が進み、小石を踏む度にガタガタと音が鳴る。
やがて一行は、一軒の家の前までやって来た。
「ここだ。」
悪魔Aは書類から顔を上げ、目の前の建物に目をやった。
「ここの家族構成は三匹。グレンとヴェラの夫婦、それとケイタとかいう息子が一匹だ。じゃ、行くぞ。」