第百五話 正義を以って明日を切り開く
「ベリマ、ノーラン、フローデル。バロア政府から宣戦を受けた都市が、次々に攻撃を受けています。」
ベリミット人間国の王都イルナール。その王宮の一室で、一人の兵士が報告書を読み上げていた。
「いずれも被害は甚大。セントクレア同様、生存者は皆無との事です。」
報告書を読み終えた兵士は顔を上げ、前方に居る男に視線を向けた。
視線の先の男は、兵士に対して背を向けて立ち、窓の外の景色を眺めていた。やがて男は「そうか……。」と呟くと、ゆっくりと振り向いた。恰幅のいい体格、鼠色の口髭と顎髭、王の証である赤いマント。且つて王都の牢獄でソウマと対面した、ギアス国王が立っていた。
「ご苦労じゃったな。下がってよいぞ。」
ギアス国王は目の前の兵士に対して退席を促した。
しかし兵士は動かない。
「ん?」と首を傾げるギアス国王に対し、兵士はゆっくりと口を開いた。
「一方的にやられているだけのこの状況を、いつまで続けるおつもりです?」
兵士は問い詰めた。
ギアス国王はその詰問に対し、無言だった。
沈黙を埋めるように、兵士は再び喋り出す。
「このままでは地上からベリミット人は居なくなってしまいます! 今こそ悪魔と戦わなければ、本当に取り返しが付かなくなります!」
「誰が戦うというのだ?」
ギアス国王は低く凄みのある声で聞き返す。
「も、勿論我々、ベリミット軍です!」
ギアス国王の凄みに兵士は一瞬怯むが、その怯えた気持ちを跳ね返すように返答した。
「戦って悪魔に勝てるのか?」
「……! 私は国を守る兵士です……! 例え犬死にしようとも、死力を尽くして戦います……!」
兵士は必死に食い下がった。
が、ギアス国王がそれを一蹴する。
「綺麗事じゃ。それではベリミットが滅びる未来は変わらん。」
「では、このまま無抵抗を決め込むのですか?」
ギアス国王はこの問い掛けにも無言だった。
兵士は話を続ける。
「戦う意思が無いのであればせめて、攻撃を一時停止するようバロアを説得すべきです。何か手を打って、延命措置を取るべきです!」
「それも駄目じゃ。」
「何故です?」
首を横に振るギアス国王に対して、兵士は詰め寄る。
「それは相手に対して下手に出る事じゃ。外交において、弱みを見せることは負けを意味する。首を垂れるような真似は、あってはならん。」
「ではどうするつもりです?」
兵士は尚も問い質す。
ギアスは一瞬間を置き、そして話し出した。
「今ある唯一の勝ち筋は、国際連合を味方に付ける事じゃ。国連の力が有れば、バロアを止める事が出来る。国連は条約を守る国の味方じゃ。しかし現状、安保条約はお互いの国が破っておる。いや寧ろ、長年違反を繰り返してきた分、我々のほうが罪は重い。加害者は我々のほうであり、これでは国連を味方にする事は出来ん。この現状を打破する為には、このままバロアに条約違反を続けてもらう必要がある。ベリミットの罪を上回るまでな。そうすれば、バロアこそが加害者だという主張が通り、国連を納得させる事が出来る。」
「ち、ちょっと待って下さい! それはつまり、あなたは国連を味方に付ける為に、わざと国民を犠牲にしている。そういう事ですか?」
兵士は愕然としながら問う。
「そうじゃ。」
「兵士を寄越さなかったのもわざとですか? 国連から少しでも同情を買うために?」
兵士は愕然とした表情でギアス国王を問い質し、ギアス国王は「そうじゃ。」と短く頷いた。
「軍隊の一つも無い無抵抗の民間人を、次々と悪魔が殺していく。この惨状を伝えれば、それが国連の心を動かす材料となる。」
「では、セントクレアの時もそうですか? あなたは惨劇が起きると知っていながら、敢えて兵隊を寄越さず、子供達を見殺しにした。そういう事ですか?」
「全て必要な犠牲じゃ。より多くの国民を守る為のな。お主の言う通り、セントクレアの時も目的は同じじゃ。」
ギアスは冷淡な口調で答える。
その時、部屋の扉をノックする音がし、二人はそちらを振り返った。
扉が開き、「失礼致します。」と言いながら側近の兵士が入ってくる。
「陛下、バロア悪魔国の政府一行が到着されました。会談の準備、全て整っております。」
「分かった。すぐに向かう。」
ギアス国王はそう言いながら襟を正し、隣の兵士に目をやった。
「儂には儂なりの正義がある。その正義を持って明日を切り拓く……ただそれだけじゃ。」
そう言うとギアス国王は、肩で風を切りながら部屋を出ていった。
部屋には、兵士と側近の二人が残される。
側近はギアス国王が退出したのを確認すると、ニヤリと笑いながら兵士に話し掛けた。
「おい、お前。廊下で盗み聞きしてたけど、無駄な説教してんじゃねえよ。」
「え? いや、だって……我慢出来ないだろ? こんな惨状の中で。」
「あの人は頑固でプライドが高い。例え相手が悪魔でも、あの人が素直に頭を下げる事は無いだろうよ。」
側近は諦めたような口調で言った。
言われた兵士は無言のまま、苦虫を噛み潰したような顔で、ギアス国王が出ていった扉を睨んだ。
無言の兵士に倣い、側近の兵士も扉のほうを見て、ポツリと呟く。
「あの人が頭を下げるのって、どんな時なんだろうな?」
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豪華絢爛な装飾が施され、赤いカーペットを敷かれた王宮の廊下を、ギアス国王は歩いた。後ろには、王の御意見番と思しき老人を、数名引き連れている。やがてギアス国王は、二人の兵士が両脇を固める、大きな扉の前までやって来た。
「陛下、お待ちしておりました。バロア政府御一行はこちらの部屋に。」
二人の兵士の内の片方がギアス国王に話し掛け、ギアス国王は「うむ。」と頷いた。
ギアス国王の返事を確認した二人の兵士は両開きの扉を開け、国王を中へ入れた。
扉の向こうは応接室だった。部屋の中には、バロア悪魔国からやって来た政府の要人達が待機していた。
そのメンツは女王ガリアドネ、青い体表の悪魔レビアト、バロア軍第一師団の団長フェゴール、副団長グリムロ、ロイドの五体。女性で細身のガリアドネは兎も角として、他四体の悪魔達はいずれも二.五メートルを超える巨体で、応接室の空間を埋め尽くしていた。
悪魔達は応接室の奥で着席していたが、ギアスを迎える為に立ち上がった。それによって、ただでさえ埋まっていた空間が、さらに埋め尽くされていく。一人の細身の女性と、それを警護するように囲む四体の怪物。厳つい絵面を目の前に、ギアス国王は思わず額から嫌な汗をかいた。
「遠方より御足労いただき、感謝いたしますぞ。」
ギアス国王は負の感情を押し殺しながら悪魔達に一礼し、ガリアドネの前に進み出た。
「ガリアドネ殿、久しぶりですな。」
ギアス国王は表情を少し和らげながら言った。
「ええ。またお会いできて、とても嬉しいです。」
ガリアドネはにこやかに応えた。
「儂も同感ですぞ。それでは早速ですが、広間のほうへご案内しても宜しいですかな?」
「はい、お願いします。」
ガリアドネの承諾を得たギアス国王は、案内の為に踵を返した。振り返る直前、ギアス国王は一瞬だけフェゴールと目が合った。眉を顰め、フェゴールに対して険悪な表情を向ける。
その視線を受けたフェゴールは、微かに不敵な笑みを浮かべた。
不穏な空気が一瞬だけ流れた後、ギアスは険しい表情のまま、直ぐに正面に向き直った。
そんなギアス国王に対し、ガリアドネは真っ直ぐな視線を送った。
(ギアス殿、会談中は私が出来る限りサポートします。問題の解決は飽くまでも話し合いの中で……。今はどうか、気持ちを抑えて下さい。)
ガリアドネの目配せに対し、ギアス国王は小さく頷いた。