第百二話 悪魔王
ソウマはどこまでも無限に続く空間の中に、ポツンと浮かんでいた。
そこはソウマが何度か来た事のある、白い空間だった。しかし、今回はいつもと様子が違う。今までは白一色の景色が広がるだけだったが、今回はその白の景色の中に黒色が混じり、白と黒の斑模様になっていた。
そんな景色の中でソウマはしゃがみ込み、頭を抱えていた。心の中の悔しさや葛藤を振り払うように、ガリガリと乱暴に頭を掻き毟る。
(なんで……どうして……どうして上手く行かないんだ!? 僕は……僕はただ……ミカやクースケ、シンゴ達と一緒に、普通の学校生活を送りたかっただけなのに! どうして上手く行かない!? どうしてこうなる!?)
ソウマは悔しさで全身をプルプルと震わせた。
「!?」
その時、ソウマの脇を影が通り過ぎていった。
ソウマはハッとしながらその影を目で追った。
影はソウマの目の前で停止し、ソウマはそれを凝視する。
ソウマはその影を、前に一度目にした事があった。初めて悪魔化した後、マディの治療薬を打たれて気を失っていた時のことだ。
影は以前と同様、不気味に赤く発光する目と口を持ち、ニタニタと気味の悪い笑顔をしながらソウマを見ていた。しかし前とは違い、その影には悪魔の角と翼が生えていた。
ソウマはユラユラと蠢く影を睨んでいたが、影から生えている角と翼を見てハッとした。
「その角と翼……悪魔か……!」
ソウマはそう言いながら、驚いて目を見開いていた顔を、すぐに怒りの表情に変えた。
「お前達悪魔はいつもいつもいつも……僕の邪魔ばかりする! お前達の所為で! 僕の人生は! 滅茶苦茶になったんだぞ!」
ソウマは文節毎に区切りながら叫び、影に飛び掛かっていった。
影はすぐさま反応。翼を広げてサッと上空へ避難し、素早い動きでソウマの背後を取る。
「くそっ! 何処へ行った!」
ソウマは辺りをキョロキョロしながら、必死に影を探す。
「むぐっ!?」
ソウマは背後から影に襲われ、羽交い絞めにされた。
影は両腕でソウマの上半身を腕ごと締め上げ、ソウマの動きを封じに掛かった。
「この……離せ!」
ソウマは歯を食いしばりながら、力任せに影を投げ飛ばした。右手を構えて火属性の魔法を出し、地面に倒れ込んでいる影に追撃を加えようとする。
「!?」
しかしその追撃は、別の影二体に阻まれた。
突如現れた二体の影が左右からソウマに迫り、あっという間にソウマを拘束する。
「ぐっ……! くっそ……!」
ソウマは悪態をつきながら暴れ回ったが、さすがに二体の影を同時に振り解く事は出来なかった。
「ぐぅ!」
ソウマはうつ伏せに倒され、地面に組み伏せられた。
影は両側からソウマの両手両足を押さえ、ソウマを立てないようにする。
「くそっ! 離せ! ……はっ!」
ソウマは悪態をつき続けたが、視界の端に影の足が見えてきたので、そちらに注意が逸れた。
現れたのは、先程ソウマに投げ飛ばされた影だった。影は歩いてソウマの背後に回り、ソウマの背中の上に立った。
「うっ……! おい……何する気だ!?」
ソウマは影の重さに呻きながら詰問した。
影は答えない。ただ両手を広げ、何やら得意げなポーズを取るだけだ。
するとその直後、ソウマの背中に激痛が走った。
「ぐあああ!?」
ソウマは苦痛の叫び声を上げる。背中が熱い、痛い。
痛みの原因は、背中に乗る影の仕業だった。影の足がドロドロと溶けて黒い液体となり、ソウマの背中に流れ込んでいく。液体はソウマの服に沁み込んで背中の皮膚に触れ、そのままソウマの体の中に入っていった。
「あああぁぁぁあああ……ぐうぅぅぅ……! やめ……ろぉぉぉ……! 僕の中に……入って……来るなぁぁぁ……!」
ソウマは必死に声を絞り出した。
しかし、影はお構いなしにソウマの中に溶け込んでいった。足先からふくらはぎの辺りまでドロドロと溶けていき、ソウマを浸食していく。
「ぐ……かは……!」
ソウマは息が詰まって咳き込み、醜悪な唾を撒き散らした。
その直後、ソウマの体に少しずつ変化が訪れた。それは現実世界で悪魔化した時と、全く同じ変化だった。歯や爪が鋭くなり、目つきが鋭くなっていく。さらに、体に溶け込んでいた黒い液体が、再び頭や背中から染み出し、角と翼、そして尻尾を形成していった。
「い……やだ……! 成りたくない……! 悪魔になんて……悪魔になんて、成りたくない!」
ソウマは声の限り叫んだ。
その時だった――。
何処からともなく、小柄な少年が現れた。ただ、背中には大きな翼が生えているので、正確には人間の男の子のような見た目をした、小柄な悪魔だった。
少年悪魔はソウマの居る遥か頭上のほうから、頭を下にして真っ逆さまになって落ちて来た。そしてソウマ達の元まで来ると頭を上にして態勢を直し、フワリと地面に着地する。
ソウマを襲う影達はその少年悪魔のほうを振り返るが、間髪入れずにその少年悪魔は影達を蹴り飛ばした。
影達は一瞬で粉々になり、最後は霧状になって消えていった。
それと同時にソウマの悪魔化は解け、生え掛けていた角や翼は消え去った。鋭くなっていた爪や牙も元に戻っていく。
正気を取り戻したソウマは、うつ伏せの態勢のまま顔だけ上げて、目の前に立っている少年悪魔を見上げた。
少年悪魔はとても小柄で、ほっそりとした体格の悪魔だった。背丈は百五十センチほどで、ソウマよりもずっと背が低い。体つきは人間のそれとほとんど変わらず、上半身は薄橙色の肌をしている。腰から下は薄紫の鱗状の皮膚に覆われ、背中や頭には同じ薄紫色の翼と角、そして尻尾が生えている。顔は、目つきの悪いリュウを幼くしたような見た目で、ニヤリと笑う口元からは犬歯が覗いている。
少年悪魔はゆっくりとしゃがみ込み、ソウマと目線を合わせた。
「大丈夫かー?」
少年悪魔の声は甲高いキーキー声だった。ソウマの顔を覗き込みながら、呑気な口調で尋ねる。
「あ、あなたは?」
ソウマは質問には答えず、逆質問した。
「俺か? 俺の名前はバロアだ。よろしくな。」
「バ、バロア!?」
ソウマは少年悪魔の名前に心底驚いた。
「そうだよ。人呼んで悪魔王バロア。君は確か……ソウマ君、だよな?」
バロアは首を傾げながらソウマに尋ねた。
「そうですけど……どうして僕の名前を……? というか、どうしてこの場所に……?」
ソウマは次から次に溢れ出てくる質問を、立て続けにバロアにぶつけた。言いながらソウマは、うつ伏せの状態から起き上がり、膝立ちに近い態勢になる。
「どうしてって……君が呼んだからだろ?」
バロアはあっけらかんとした口調で言った。
「僕が……呼んだ?」
ソウマは理解が追い付かず、バロアの言葉をオウム返しした。
「そっ! まあ、その辺のメンドクサイ話は取り敢えず置いといてさ……」
バロアはニヤリと不敵に笑いながら、増々ソウマのほうに顔を近付けた。
あまりの近さに、ソウマは思わず仰け反った。
「使い心地はどうだった?」
「え?」
ソウマはバロアの質問の意図が分からず、短く聞き返した。
「加護だよ、加護。悪魔王の加護。俺が丹精込めて作ったもんなんだけどさ、使ってみてどうだった? ソウマちゃんよ?」
第四章 継承される加護編 完