第百話 重なる面影
ゴブタが力の限り叫ぶと、ソウマは振り上げていた拳をピタリと止め、顔を上げた。傍から見るとゴブタの声に反応したようにも見えるが、実際は違った。顔を上げたソウマが目を向けたのは、ゴブタの声がしたほうではなく、夜空の向こうだった。
ソウマが見つめる景色の中に、無数の黒い点群が出現していた。
点群は徐々にソウマのほうに近付いて来て、やがてその姿がはっきりと見えてくる。
「あれは……バロア軍の第一師団……!」
瓦礫の隙間から夜空を見上げていたゴブタは、黒い点群の正体に気付き、思わず小声で呟いた。
ゴブタの言う通り、点群の正体は悪魔の集団だった。翼をはためかせ、真っ直ぐソウマの元へ向かってくる。
集団を率いる先頭の悪魔(以下、リーダー悪魔。)は下を見下ろし、地面に座るソウマを目視で確認した。
「あれがそうか。」
リーダー悪魔が呟く。
「ええ、そのようです。」
隣の悪魔はそれに同意。
リーダー悪魔は眼下に広がる破壊された街並みを、ゆっくりと見渡した。
「既に被害は甚大だな。拘束ではなく、処分するつもりでいくぞ。」
「了解。」
第一師団の悪魔達は、先頭のリーダー悪魔の指示に応答。固まっていた集団は一斉に広がり、闇属性の魔法を準備し出す。
ソウマは腕をダラリと下げ、虚ろな表情でその様子を見上げているだけだった。
そんなソウマに対して、悪魔達は禍々しいオーラを放つ闇属性の球体を生成させ、攻撃準備が完了。両腕を振るい、一斉にその球体を放った。
一斉攻撃が目の前に迫っても、ソウマは何の防御手段も講じなかった。地面に座り込んだまま微動だにせず、全ての攻撃をその身に受ける。
攻撃は全て着弾し、辺りに激しい衝突音が響いた。
が、ソウマは無傷だった。
逆に闇の球体のほうが跳ね返され、粉々に砕け散っていく。
(そんな……生身で闇属性の魔法を跳ね返した……?)
ゴブタはソウマが無傷である事に驚愕した。
一方、上空の悪魔達はソウマを冷静に観察。リーダー悪魔に対して「効いていないようですね。」と話し掛ける。
「魔法では駄目か。なら、直接叩くまでだ。散会しろ。俺の合図で一斉に掛かれ。」
「了解!」
リーダー悪魔の指示に従い、周りの悪魔達は一斉に四方に散った。上空からソウマを包囲するように散会し、それぞれ拳を構える。
「行け!」
リーダー悪魔は指先までピンと伸ばした手の平を、ソウマ目掛けて振り下ろした。
その合図に応じ、ソウマを包囲していた悪魔達は、一斉にソウマ目掛けて襲い掛かった。上空から一気に滑空し、構えた拳を振るおうとソウマへ迫る。
その時、今までずっと座り込んでいるだけだったソウマが、ゆっくりと動き出した。虚ろな目で悪魔達を見上げながらヨロヨロと立ち上がり、そして右手を構える。
体の前で右手を水平に構えるその構え方は、先代の悪魔王の加護の持ち主、ルシフェルと瓜二つだった。
第一師団と対峙するソウマと、ルシフェルの面影が今、重なる。
ソウマは右手に有りっ丈の力を込めた。腕の血管がミチミチと浮き出る。
「ふぅおおおぉぉぉおおお!」
ソウマは渾身の力を込めて右手を振り抜いた。
するとソウマを中心にして、巨大な竜巻が発生した。それは生前にルシフェルが作り出してきたものと同じ、周囲を破壊する死の暴風だった。
「なんだ!?」
「回避しろ!」
「ぐあっ!」
悪魔達は口々に叫ぶが、もう間に合わない。
第一師団の悪魔達はリーダー悪魔も含め、全員成す術もなく暴風に巻き込まれていく。
死の竜巻は獣の咆哮のような轟音を響かせながら、悪魔達を紫の雲の向こう側へと吹き飛ばしていった。
「うわっ!」
ゴブタは竜巻の余波に巻き込まれ、自身を匿っていた瓦礫と一緒に後方へと吹き飛ばされた。地面を何度か跳ねながら転がるゴブタは、瓦礫の壁にぶつかってようやく停止。ゆっくりと態勢を元に戻すと、「いてて……。」と頭を摩りながら状況を確認した。
「はっ!」
ソウマが翼を広げて飛び去っていくのを、ゴブタは目にした。
「あっちは……王都の中心街だ……。」
ゴブタは額に汗しながら、慌てて立ち上がった。
「おい! 待て! 下りて来い!」
ゴブタは必死にソウマを追いかけ、そして叫んだ。しかし、空を飛ぶソウマには追い付けず、そして声も届かない。
ゴブタの視界から、ソウマはグングン遠ざかっていった。
「くそぅ……! 僕も飛べたら……!」
ゴブタは追いかけるのを諦めて立ち止まり、悔しさで唇を噛んだ。その悔しさの表れなのか、背中の小さな羽をプルプルと震わせる。
「僕は許さないぞ……! 僕の町を、おじさんを、エイドナを……殺したお前を絶対に許さない……! いつか……いつか絶対に復讐してやる……! この……この……悪魔殺しめ!」
ゴブタの叫び声が、ベオグルフの夜空に響く。
しかしその叫びも、ソウマの耳には届かない。ソウマは雲が立ち込める夜空を、一直線に飛んでいった。右腕からピシッという音がして、そこから出血が始まっている事には気付かないまま。
====================================
ガリアドネの住まう王宮。
その王宮の一室に、金剛力士像のような恐ろしい形相の悪魔が一体、石造りの椅子に鎮座していた。赤い鎧を身に纏う、浅黒い皮膚をした筋骨隆々の悪魔で、その正体は且つてセントクレア魔法学校を襲撃した悪魔の内の一体、フェゴールだった。
フェゴールは椅子の肘掛けに肘を突き、無表情で床の一点を見つめていた。
その時、部屋の扉をノックする音が響いた。
「入れ。」
フェゴールは低くしゃがれた声で入室を許可した。
フェゴールの入室許可に応じ、一体の悪魔が部屋に入って来る。
「フェゴール様。先程連絡があり、先遣部隊が全滅したとの事です。」
部屋に入った悪魔は床に片膝を突き、フェゴールに報告した。
「何!? 全滅だと!?」
フェゴールは驚愕といった表情で椅子から立ち上がる。
「はい、間違いなく。」
「馬鹿な……相手は子供一人のはず……一体何故だ!?」
フェゴールは怒りを滲ませながら吼えた。
「詳細は不明です。……如何なさいますか?」
片膝を突く悪魔はやや気を遣いながらフェゴールに尋ねた。
フェゴールは両腕を組み、唸りながら考え込んだ。
「子供一人に人員を割きたくは無かったが、仕方ない。第一師団全員に召集をかけろ。俺も準備が整い次第、現場に向かう。」
フェゴールはそう言いながら、一度大きくはためかせた翼の形を整え、部屋から出ていった。
「はっ!」
片膝を突いていた悪魔は立ち上がり、部屋を出ていくフェゴールに向かってキビキビと返事をした。
====================================
フェゴールと部下の悪魔が王宮でやり取りをしていたその頃。
王宮の外には、飢えに苦しむ悪魔達が居た。それはつい先刻、ゴブタが目にした悪魔達だった。
悪魔達は路地裏に屯し、座り込んで壁にもたれたり、地面に倒れ込んで干からびかけていた。
そんな路地裏の悪魔達の耳に、微かな音が聞こえた。それは遠くのほうから響いている、爆発音のような音だった。
「ん……?」
その音は徐々に近づいて来て、路地裏の悪魔達は異変に気付いた。
同時に地響きがし始め、只ならぬ事態がやって来ている事に、悪魔達は危機感を募らせ始めた。
「うあああぁぁぁあああ!」
爆発音の発生源はソウマだった。
ソウマは絶叫しながら両腕を振り回し、次から次へと巨大な竜巻を発生させていた。
生み出された竜巻は家々を呑み込み、そこに住む悪魔達を呑み込み、王都の街並みを破壊していった。
「誰か暴れてるみたいだ……。まずい……逃げなきゃ……。」
路地裏に居た悪魔の内の一体が、弱々しい声で言った。
「ええ……! それは大変だ……うっ……!」
別の悪魔は立ち上がって周りの様子を伺おうとしたが、やせ衰えて筋力が足りないのか、膝からよろめいて転んだ。
「どうした? 立てないのか?」
「ああ、足が弱っちまってるみたいだ……翼も動かせねえ……。」
「分かった! 俺が運ぶ! 任せとけ!」
「ああ……済まねえ……。」
悪魔はもう一体のやせ細った悪魔を背負い、翼を広げて飛び立とうとした。
その時――。
大きな破壊音と共に、路地裏の建物が粉砕された。建物の壁は一気に破壊され、瓦礫へと変わった建物の向こうから巨大な竜巻が現れる。
目の前に現れた竜巻のあまりの凄まじさに、悪魔達は思わず絶句。しかし、声を上げる間もなく悪魔達は竜巻に呑み込まれ、体はあっという間に切り刻まれて影も形も無くなった。
「ふぅぅぅおおお!」
悪魔達を散々殺しても尚、ソウマは破壊活動を止めなかった。むしろその行動は増々エスカレートし、ソウマは一層激しく暴れ回った。腕を振るって次々に竜巻を生み出し、町を破壊していく。さらに建物から出て来た悪魔達を次々に襲い、腕の一振りでその体を引き裂いていった。
男の悪魔、女の悪魔、子供の悪魔、年老いた悪魔。
老若男女、無差別に襲い掛かり、ソウマは殺戮の限りを尽くした。
街は至る所から噴煙が上がり、逃げ惑う悪魔達で空は覆い尽くされ、地面には死体の山という、地獄絵図が広がり始める。
その光景を空から、そして地上から見つめる悪魔がそれぞれ居た。
空に居るのは後ろに部下を率いているグリムロ、そして地上に居るのは、不敵な笑顔でソウマを見つめるロイド。
第一師団の総員が現場に到着した。