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『雪と妻』

「こんな結末、認めない!!」

 



 私の眠りを覚醒させたのは、大きな怒鳴り声だった。

 



 ぱちっ、と目を見開くと、目前には、人だかり。

 



 その中心にいるのは、稲田孝作。

 

 そこに詰め寄るのは、加藤俊平。

 



 加藤俊平の、顔を歪めて怒鳴り散らす姿は、ドラマでも見たことがなかった為、すごく新鮮で、思わず凝視してしまう。

 



「こんな最悪な結末、演じられる訳ないじゃないか!」

 


 台本を、力強く握り締め、唇を噛み、稲田孝作を睨むその姿。

 

 



(私が寝てる間になにが、あったの?)

 



 ぼぉっ、といまだに覚醒しない頭で、眺めていると、背中に回っていた温もりに気づく。

 



「はなちゃん、おきた?」

 



 優しい声が頭上からして、ふと見上げてみると…。

 

 



 優しく微笑む、泉さゆりがいた。

 



(やっぱり、綺麗だなぁ)

 



 憧れの女優さんである、泉さゆりのドアップに、思わず頬を染める。

 



「あ、あの、かとうさん、どうしたんですか??」

 



 そろりそろりと加藤俊平に向けて指をさすと、泉さゆりは苦笑いしてから、私の頭を優しく撫でた。

 



「私が死ぬことになったの。」

 

「はい?」 

 

 にっこりと笑う泉さゆりの言葉に、思わず間抜けな顔で聞き返す。

 




「『雪と蝶』は、ハッピーエンドではなくなったってことよ。」

 

 憑物が取れたかのように、さっぱりとした物言いの泉さゆり。

 


「え、どうして…。」

 

 困惑気味に尋ねると、泉さゆりはおかしそうに笑い、目線を遠く、稲田孝作に向けた。

 

「書きたくなったみたいよ。

 

 傑作を。」

 

 泉さゆりは、目を細めて笑い、また、私の頭を撫でてくれた。

 

 

 撫でられるのは嬉しいし、泉さゆりは綺麗だけれど、それに反比例して、加藤俊平は怒り狂ってる。

 





(美形が怒ると怖いなぁ)

 



 加藤俊平の美しい顔が、怒りに歪み、優しい声は、今は何処にもない。

 

 それに、泉さゆりが死ぬって、どういうこと?

 

 いまだに状況が掴み切れていない私に、泉さゆりは台本を差し出してきた。

 




「はなちゃん、『舞』として、この物語を最高の結末にして頂戴。」

 



 今度は、困ったように笑う泉さゆりに、私は不思議と違和感を感じた。

 



(なんか、雰囲気が変わった?)

 



 首を傾げながら、台本を受け取り、おもむろにページを捲る。

 



 普通の台本よりかなり薄い。

 

 結末のみの台本

 

 

 新たに足された登場人物『舞』の文字に目が釘付けになり、食い入るように見つめる。

 

 そして、台本のページを捲った。

 

 

 

 ⭐︎



 

「加藤さん、あなた、役者でしょ」

 

 人に冷たい目で見られることなんて、初めてだ。

 

 22歳から俳優としてデビューし、早10年。

 それなりに数はこなしてきたし、知名度もそれなりだ。

 

 バラエティやCM、ドラマや舞台にも幅広く出演してきて、ようやく今の地位を築いている。

 



 周りの者は、みんな口を揃えて、俺を『成功者』と呼ぶ。

 

 全てにおいて、俺は成功していると、思われているなんて、心外だ。

 

 私生活では、からっきし『成功者』なんて程遠い。

 

 25歳で、年上の幼馴染みと結婚し、7年経ったが、未だに子供はいない。



 

 結婚する前から、子供はたくさん欲しいと豪語していた妻と、それに同調する俺の間に、赤ちゃんが訪れる事はなかった。



 

 いろんな治療法を試したが、結果は変わらず、いつも妻は泣いていた。

 



 そのうち、妻は病み、部屋に閉じこもり、私達の家は、子供部屋だけ無駄に多いだけの、人が住んでいるのかも怪しい、がらんとした一軒家となってしまった。

 




 俺は家に帰るのが怖い。

 

 


 仕事に没頭する度、知名度は上がり地位は高まり、周りからの称賛の声が湧く。

 




 家に帰れば、シンとしたリビングに埃のかぶった家具達。


 妻と出会おう物なら、まるで、俺が見えていないかのように、フラフラと素通りする。

 


 言葉をかけても、聞こえてなどいないように、そのまま何の反応もしないまま部屋に閉じこもる。

 





 『成功者』と称えられた、俺は、私生活では完全なる『失敗者』だ。

 

 誰にも誇れる自信もない。

 

 




 このドラマの出演を決めたのは、そんな暖かい家庭に憧れていたからだ。

 

 台本を読み、最後の結末で、最高のハッピーエンドを迎える。

 

 俺の知らない、『家族愛』が演じられる。

 

 なんてことない、普通の家族。

 

 

 俺が求めて止まないものが、このドラマにはあった。

 

 

 だから、出演を決めたのに。

 

 

「こんな結末、認めない!!」



 

 脳裏に過るのは、昔の明るく朗らかに笑う妻

 

 

 このドラマの撮影中、なんども想像していた。

 

 『雪』を妻と置き換え、まだ見ぬ子供と、俺で、幸せな家族になる。

 そんな最終回のラストシーン。

 

 

 最終回の台本は、そのシーンの部分だけ、擦り減るくらい読み、ずっと待っていた。

 

 それなのに、

 

 

「こんな、最悪な結末…演じられる訳ないじゃないか。」

 

 目の前が暗くなり、想像していた、家族の像にヒビが入る。

 

 改変された新たな結末は、

 

 『雪』の死からの始まりだ。

 

 

 『雪』を妻に置き換えていた俺にとっては、到底耐えられるものではない。

 

 だからこそ、こんな結末を演じられない、

 

「役者なら、傑作を作りたいと思わないのかい?」

 

 監督が呆れた顔でそう促すが、俺の意思は変わらない。

 

「加藤さん、そろそろ撮り始めないと間に合いませんよ!」

 

 スタッフの焦ったような顔を目の当たりにしても、俺の意思は変わらない。

 



 脚本家の稲田さんを見ると、いつものニヤニヤとした笑顔はなく、いつになく真剣な眼差しで俺を射抜く。

 

 

 そして、おもむろに口を開いた。

 

「『雪と蝶』は、本来なら最後の最後で駄作になる予定だった。」

 

 ぽつりぽつりと話し始める稲田さんの言葉に耳を疑う。

 

「なにを言って…。あんなにも素晴らしい結末だったのに。」

 

 

 稲田さんは、俺の言葉を聞くやいなや、鼻で笑った。

 

 

「あんな、気持ちの悪いラスト、どこが最高の結末なんだ。」

 

「き、気持ち悪い?」

 

「ああ、心底気持ち悪いよ。

 

 

 『雪』は、『幸せ』になったんだぞ。

 

 『自分の子供』を忘れて。」



 

 なに、を言って。

 




「『雪と蝶』の結末は、苦難を乗り越えた『雪』が、最後に家族と笑い合い、心底幸せだってオーラを全身で表現し、見せつける。


 それが終着点だった。」

 



 そう、その素晴らしい光景の一部になりたくて、俺は…。

 



「そんなくだらない結末、書くなんて、俺は本当に落ちぶれてたよ。」

 



 ギロっとした目が眼鏡越しに俺を睨む。

 



「くだらない…?くだらないだと?」

 



 俺の理想がくだらない?

 

 ずっと、憧れ望んできた未来が?

 

 頭を鈍器で殴られたかのような衝撃。

 

 

「『雪』の子供は『舞』だけじゃないだろ。

 

 『雪』は今まで1番大切に思っていた存在を忘れたんだ。

 

 自分の意思で。

 

 

 そんな結末が、本当にハッピーエンドだと思うか?

 

 前までの台本はな、『雪』が自分の罪と『向き合わない』話として書いたんだよ。」

 

 それがこの物語の真実だ。

 

 そう告げる稲田さんの目は、親の仇に遭遇したかのような迫力で、すぐそこの机に置いてあった、台本を睨む。

 

「そんなの…」

 

 言葉が出ない、

 

 俺が思い描いていた家族愛が、偽りの物だったなんて、信じたくもない。

 

 認めた瞬間、俺は俺でいられなくなる気がする。

 

 ギリギリのところで張り詰めていた糸が、千切れてしまう気がするんだ。

 

 だから、俺は認められない。

 

 

 俺は、この結末を…

 

 

「おとうさん」

 

 背筋が凍りついた。

 

 悍しく、悲しい空気が辺りを満たす。


 

「おとうさん…。」

 

 感情のない、幼い声。

 

 

 頭の中で警報が鳴り響く。

 

 振り向くな。そう叫ぶ俺自身の声。

 


「おとうさん」

 

 

 操られたかのように、体の制御が効かない。

 

 振り向くまいと、体に力をいれるが、俺の体は、その声の方へと向きを変えた。

 

 はじめに、目に入ったのは。

 

 

 真っ黒く塗り潰された瞳。

 

 

 目の下は赤く腫れ上がり、汗がぽたぽたと、垂れ落ち、顔色は青白い。

 

 ゆっくりと差し出された手の中には、赤く染まったタンポポ。

 

 

「おとうさん…。おかあさんが待ってる。」

 

 そう言って、ギチギチと歯軋りをしながら、歪に笑う、


『入った』はなちゃん。

 

 

 

「っ!!」

 

 やめてくれ、巻き込むな、その絶望を、俺に押し付けるなっ!

 

 

 

 思わず、背を向けると、はなちゃんの息を飲む音が聞こえた。

 

「おと、さん。ごめんなさい。

 

 『舞』がおかあさんを、ころしたのっ、ごめんなさい。」

 

 引きつった声で悲痛な声を上げる、はなちゃん。

 

 危険だ。

 

 あの子は危険だ。

 

 

 あの子の世界に飲み込まれたら、最後…俺は俺ではなくなる。

 

 

 だから

 

 

 俺は…

 

 

「っ、いかないで、おとうさん。」

 

 

 “「逃げないでよ!あなたっ!」”

 

「っ、、沙羅…」

 

 脳裏に過る、妻の、沙羅の声。

 

 

 どうして?

 

 どうして、沙羅の声を思い出す。

 

 

 どうして…どうして…

 

 

「っ、ははは」

 

 

 どうしてかなんて、知っているくせに、認めない俺は、愚か者だ。

 


 思わず、自分自身を嘲笑う

 

 目の前のはなちゃんが、怯えたように震えた。



 ごめんな、はなちゃん…怖がらせて…


 君はこんなにも、俺に向き合ってくれているのに…。


 

 本当はわかっていたんだ。

 

 逃げていたのは俺自身だって…

 

 幸せから逃げていたのは俺の方だってこと、ずっとわかっていた。

 

 それでも、悪足掻いて認めなかったのは…。

 

 

 まだ、『自分』を信じていたから。


 どうして?、そう思うほどに、俺は、蓋をする。

 

 いつだって、俺は自分自身に蓋をする。

 

 何度も何度も、何重にも重ねた蓋は、もう乗り切らないほどの大きな山になって、俺はもう、何に蓋をしたのかも忘れてしまった。

 

 

 とっくの昔に、俺は壊れていた。

 

 妻から逃げ、子供から逃げ、架空の家族愛を求めて逃げ惑っていた。

 

 

 蓋なんて、最初から意味がないと知っていれば、俺も妻も、傷つかなくて済んだのかもしれない。

 

 

 不毛だ。

 

 

 はなちゃんが醸し出す、この『絶望』は、俺が知っているものかもしれない。

 

 この絶望を、1人歩かせているのは、俺たち大人だ。

 

 誰も助けてはくれない、その場所で、君は一体、なにを思うんだい?

 

 

 はなちゃんの笑顔がフラッシュバックする。

 

 

 あの笑顔を消したのは、俺たちだ。

 

 

 せめて、君のその絶望に寄り添えたら、君は救われるかい?

 

 もし、そうなるなら、

 

 俺も、君の絶望に混ぜてくれ。

 

 

 君が蓋をしないように

 

 

 

 はなちゃんが…

 

 『舞』が助けを求めるのなら、俺は喜んで蓋を叩き割ろう。

 

 

 ゆっくりと、歩み寄り、目線の高さにまで腰を下げる。

 

 

「ごめんな、『舞』。

 

 おかあさんのところに行こう。」





 小さく細い体は、とても冷たく、俺は泣きながら抱きしめた。

 

 

 

 

 

 そして、俺たちは、『妻』の待つ病室に向かった。

 

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― 新着の感想 ―
[気になる点] >《font:258》「ごめんな、『舞』。 > おかあさんのところに行こう。」《/font》 明らかに作者様の意図していない表示になっているところが多数あります。ここだけではありま…
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