母親だった人
あのCMを見たのは、偶然だった。
食器を洗いながら流していたテレビに、ふと、彼女の笑顔が映ったのだ。
――ひまわり畑、黄色いワンピース、麦わら帽子。
まるで夢のようなその光景の真ん中に、はながいた。
何も知らない人なら、きっと「美しい」と思ったのだろう。
でも私は知っていた。
あの子が、どんなふうに生まれ、どんなふうに育ったかを。
あの子の存在は、私にとってずっと、傷だった。
許せるわけがなかった。
なかったはずだった。
画面が切り替わる。
倒れるはな。
抜けていく髪。
点滴の管。
何本もの針。
「生きたい…まだ、生きたい」
その声に、私は思わず食器を握る手を止めていた。
目が、忘れられない。
泣き叫ぶでもなく、取り乱すでもなく、
ただまっすぐと、生を求めていた。
綺麗な瞳だった。
けれど、それ以上に、どうしようもない孤独が滲んでいた。
私はテレビの前に立ち尽くして、映像の最後に流れた一文を見た。
「命は、バトンだ。」
そして、寄付を募るサイトへのリンク。
あの子は、もうすでに十分苦しんできたのに、まだ…自分の過去と向き合ってる。
ユズルが臓器移植の順番を早く回してもらえたのは、あのCMの反響のおかげだと病院で聞かされた。
多くの提供者が現れ、ドナー登録数はかつてないほど急増しているという。
ユズルは元気になった。
あの子が、助けてくれたのだ。
それでも、私の中で何かが簡単に変わることはなかった。
私の中で、あの子は「許せない存在」のままだった。
あの子は、私が過去に負った傷そのものだった。
笑顔を見ても、演技を見ても、泣く姿を見ても…
どこかで「綺麗ごとだ」と思ってしまう自分がいた。
それでも――
あの子が、私の息子を救ったことだけは、
変わりようのない事実だった。
ある日、家の前に封筒が届いていた。
差出人は書かれていない。
中に入っていたのは、一枚の写真と、短い手紙だった。
ひまわり畑の写真。
そこには、笑っているはなの姿があった。
あのCMのワンシーンだろう。
手紙には、たった一言だけ。
「ありがとうございました。どうか、元気で。」
それだけだった。
なのに、その文面に「おかあさん」と書かれるよりも、
ずっと重たい何かを受け取ってしまった気がした。
あの子は、私に一度も「好き」とは言わなかった。
「ごめんなさい」とも言わなかった。
ただ、「ありがとう」とだけ。
私も、何も返せなかった。
今も返せない。
それでも、私はその写真を、なぜか捨てられずにいる。
嫌いなはずだった。
ずっと許せないはずだった。
それなのに、どうしてこんなにも苦しいのか。
あの子が今、どこでどうしているのか。
どんな夢を見て、どんな道を歩いているのか。
私は、もう「母親」ではないけれど――
それでも心のどこかで、あの子の未来が、
どうか報われていてほしいと願ってしまう。
そんな自分が、いちばん許せない。
明日、最終話です。
19時、ラスト投下!!




