わたしの復讐
午後の日差しが、スタジオの控室に射し込んでいる。薄いレースのカーテン越しにゆれる光が、まるで水面のように壁を揺らしていた。
須藤はソファに腰を下ろし、台本の束を手にしていた。だが視線はそこにない。目の前の少女――はなを、じっと見ていた。
「CMに“出る”んじゃなくて、“作る”? 本気で言ってるのか」
はなは頷いた。いつもの作った笑顔も、愛想もなかった。ただ真っすぐに須藤の目を見据えていた。
「うん。本気。私の最後の演技になるかもしれないから」
「……子どもが言うセリフじゃないぞ、それは」
須藤は息を吐きながら立ち上がった。手にしていた台本をテーブルに置き、腕を組む。
「いまさら“家族に何かを伝えたい”とか、やめておけよ。リアルじゃない。世間は綺麗事が好きなんだ。お前のやろうとしてることは……あまりにも、現実的じゃない」
「現実的じゃなくていい。これは“復讐”だから」
静かに、はなが言った。
その言葉に、須藤の眉がわずかに動く。
「……復讐、だと?」
「そう。私は、家族にはなれなかった。お父さんもお母さんも、ユズルも、私を家族だと思っていなかった。……でも、私はあの家で育てられた。勝手にここまで成長したわけじゃない」
須藤が黙っているのを確認して、はなは続けた。
「だから、忘れてほしくないの。私という存在を。どんなにいらない子でも、どんなに厄介だったとしても、一度くらい、ちゃんと“見て”もらいたかった」
その声は、淡々としているのに、どこかで鋭く胸を刺した。
「“家族に、私という存在を焼きつける”。それが、私なりの……復讐なの」
須藤はその場に立ったまま、しばらく口を閉ざしていた。まるで、少女の言葉に圧倒されていたように。
だがようやく、静かに腰を落とし、苦笑を漏らした。
「……やっぱり、お前には敵わないな」
「敵うとか、そういうのじゃないよ」
「違うな。俺は、子役をやっていたとき、演技で自分を壊された。役が本当の自分みたいに食い込んできて、わからなくなった。だけどお前は……違う。お前は、役を使って、自分を貫こうとしてる」
須藤はそのまま視線を落とし、かすかに笑う。
「……俺が守ってやろうとしてたけど、もうその必要ないのかもしれないな。むしろ、お前のほうが、俺を導いてるみたいだ」
「そう思ってくれるなら、お願い。私のCM、作るの、手伝ってくれる?」
はなの瞳が、真っ直ぐに須藤の心を射抜く。
「演技じゃない。私の“嘘”と“本当”を、画面の向こうに焼きつけたいの」
須藤は、深く息を吐いた。そして、ゆっくりと頷いた。
「……わかった。やるよ」
「ありがとう、須藤さん」
はなが、少しだけ笑った。その笑みは、どこか寂しくて、でも誇りに満ちていた。
そのとき須藤は悟ったのだった。
――この子の「最期の演技」は、演技なんかじゃない。これは、命そのものなのだと。
「…それにね、協力してくれる人が、私にはいるんだ」
はなは照れ臭さそうに肩をすくめた
⭐︎
都内の高層ビルの最上階。
SONODAグループ本社、役員専用応接室。大きな窓からは東京湾が一望でき、空調の音さえ気にならない静謐な空間が広がっている。
「ふむ、なるほどね」
ソファに腰かけた園田会長は、カップに注がれた珈琲の湯気を見つめながら、穏やかな声で呟いた。
その向かいで、はなは背筋を正し、黙ってその言葉を待っていた。
園田仁、五十代にして財閥グループの会長職を務める男。けれど、堅苦しい雰囲気は一切なく、会話の所作や目線には、どこか“親戚のおじさん”のような柔らかさがある。
「君が10歳になるまで面倒を見させてくれ、と私が言ったのを、君は覚えているかな」
ふいに、園田がそう口にした。
はなは少し目を丸くし、ゆっくりと頷いた。
「……はい。あのとき、私……どうしてか泣きそうだったのを覚えてます」
「ふふ、私もだよ」
園田は微笑んだ。けれどその目元には、懐かしさとほんの少しの寂しさが滲んでいた。
「気づいていたかい? もう少しで君は10歳になる。約束の期限が、近づいているんだよ」
「……」
「でもね、はなちゃん。私は君に、少しくらいわがままを言ってほしかったんだ」
はなの目が揺れる。
園田の声は、変わらず穏やかだった。けれど、そこに込められた言葉は、まっすぐに胸に響く。
「君は一度も、甘えたり、我が儘を言ったりしなかった。お礼も、言い訳も、何も求めずに頑張ってきた。それが誇らしいと同時に……少し寂しかったよ」
はなは、そっと唇を噛みしめた。涙ではない。ただ、心の奥で何かがじんわりと溶けていくような感覚。
「でもね、今日の話を聞いて、私は嬉しかった。ようやく君が、自分の“やりたいこと”を見つけて、そしてそれを自分の言葉で伝えてくれた。――それは、君なりのわがままなんだろう?」
はなは小さく笑った。
「……はい。理由は、言えません。でも……今、どうしても、やらないと後悔すると思ったんです。助けたい人がいるんです。どうしても、その人のために」
「……うん」
園田はゆっくりと、珈琲を口に運ぶ。
「理由を聞かないのは、君を信じてるからだよ。だから、私たちができるすべてで支援しよう。制作費でも、機材でも、人でも、必要なものはなんでも言いなさい。――これは、君のわがままなんだから」
はなの胸に、温かいものがこみ上げた。
今まで何かを“やりたい”と思うことさえ、贅沢だと思っていた。けれど今、ようやく自分の意思で動くことができた。
園田の言葉が、まるでそれを肯定してくれているようで、胸がいっぱいになる。
「……ありがとうございます」
声は震えていた。けれど、その目には迷いがなかった。
「……絶対に、いいCMを作ります」
「それでこそ、私の自慢の“孫娘”だ」
そう言って園田は笑い、そっとはなの頭を撫でた。
その姿を見て、園田は静かに思う。
――この子はもう、誰にも止められない。
それならせめて、行く先が光に包まれるように、自分にできることを尽くそう、と。
そしてこの日、CM制作は正式に動き出した。
ひとりの少女の、誰にも知られない祈りから。




