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役を脱いだその先で

内部試写会終了後。

関係者席の最前列に座っていたロータスは、拍手の中でただ静かに立ち上がる。

やがて、取材陣が近づいてきたとき、誰よりも先に、彼は自らマイクを取る。


「……“可哀想な少年の物語”を作ったつもりはありません。

 彼は、社会の歪みの鏡です。

 見たくないもの、目を背けてきたもの。

 私たち全員の“無関心”が、あの少年を生んだと、私は思っています」


「父親役を演じた私が、心を削られました。

でも、それでいい。

この映画は、心を削るために存在する」


沈黙が落ちる。

フラッシュ音だけが、やけに響く。


――「ロータスさん、演技中に“彼が乗り移ってきた”ような感覚はありましたか?」


ロータスは少しだけ笑みを浮かべる。

けれどその瞳には、何も笑っていない色が宿っている。


「彼が乗り移ったというより、私たちが彼に引きずり込まれたんだと思います。

 私も、フミトも、そして――あの少女も」


「はなちゃん。彼女は……演じたんじゃない。

吸い込んだ。悲しみも、狂気も、すべてを」


「あの子の目を見たとき、僕は本気で思ったよ。

“この子がここにいて大丈夫か?”って」


「“演技”ってのはね、人間の奥底に棲んでる獣を引きずり出す作業なんだ。

だから、この映画の名前は――THE BEAST(野獣)だよ」


ロータスは、それ以上は言わず、会釈をして会場を後にする。

誰も彼を引き止めない。

あまりにも重い言葉が、取材陣を沈黙させたまま残していた。


⭐︎



「速報です。映画『THE BEAST』に関して、被害者遺族の一部が“公開を許可”する判断を下したと制作関係者が明かしました。

遺族代表は『この作品が、新たな犠牲者を生まないための問いになることを願う』とコメントしています――」


TVの音声が流れる。

それは街中の家電量販店でも、オフィスのロビーでも、病院の待合室でも。

あちこちで誰かが足を止める。





事務所のミーティング室、須藤とはなは今後の打ち合わせをするため、待機していた。


「お、『THE BEAST』の予告、話題になってる、早いなぁ

〜」


須藤がスマホの画面を見て無表情にSNSに寄せられたコメントをいくつか読み上げる。


「あの子の瞳、泣いた。狂気なのに、悲しかった」

「“叫んでた魂を演じた子”だった」

「はなちゃん、ありがとう。あなたの演技が、僕を止めた」

「きっと何人もの命を救った演技だよ、あれは」


はなは、須藤が淡々と読み上げる言葉に無言。

どんな反応もせず、ただ淡々と前を向いていた。


でも――


静かに、手が震えていた。


「須藤さん、ちょっと1人にして」


須藤にそう言うと、はなの頭を優しく撫でて部屋から出ていく。






──わたしは、演じきれなかった。


『THE BEAST』という作品で、わたしが演じた少年・ダニエルは、本物のサイコパスだった。

罪悪感もなく、痛みにも共感せず、ただ「壊したい」「見てほしい」という欲求で、命を奪った。


でも、わたしにはできなかった。

その“心”を、まるごと再現することは、できなかった。


(演じきれなかった……だから、失敗なの?)


前なら、そう思っていたかもしれない。

“本物”になりきることが正義だと思っていた。


でも。


ピアノ抗争曲のときの、ゆうとくんの言葉が、心の奥でゆっくりと灯をともす。


「なりきらなくていいよ。君が君として、その人を受け止めるだけでいい」


わたしが演じたのは、ダニエル“そのもの”じゃない。

わたしというフィルターを通して見つめた、ひとりの「壊れてしまった子ども」だった。


誰にも見つけてもらえなくて、傷だらけのまま、助けてって言えなくて。

だけど、助けてほしかった。その叫びを、わたしは演じたんだ。


「……違ったんだ」


ぽつりと、わたしは呟いた。


「“なりきる”ことじゃなかったんだ。

 “伝える”ことだったんだ。わたしの中の何かを……この演技を通して」


心の奥に、何かがふっとほどけた気がした。


それは、ずっと昔からわたしの中にあった、ちいさな棘のようなもの。


(わたしは……どうして子役になったんだっけ)


答えは、思ったよりも近くにあった。


忘れたふりをしていたけれど。

前の人生、わたしは家族に“見てもらいたくて”必死だった。

上手に笑えば、愛してくれるかもしれない。良い子でいれば、抱きしめてくれるかもしれない。

そんな祈りのような気持ちで、ステージに立った。


けれど、それは届かなかった。


わたしが死んでも、家族は変わらなかった。

家族という“舞台”の上では、わたしの存在は“演目”にすらならなかった。


それでも。


今度は違う。


今のわたしは、もう一度向き合える。

役を通して自分を知ったわたしは、自分の言葉で、自分の気持ちで、

ちゃんと“あの舞台”に立ちたい。


わたしという存在を、ただの“役柄”じゃなく、

「家族の一員」として、もう一度、見つめてもらいたい。


小さく、でも確かな決意が胸に宿る。


「……もう一度、ちゃんと話そう」


前世を含めたわたしの人生を、まるごと受け止めて、

わたしはもう一度、家族と向き合うために歩き出す。


それが、演じることで得た“本当のわたし”だから。




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