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明けない獣

「え、ちょっと、まだ上がってないんだけど。公式、21時って言ってなかった?」


スマホを覗き込んだ美羽が眉をひそめる。


「え、マジで? こっちも来てない。てか公式アカ消した? あの投稿、見つからないんだけど」


「は? それガチだったら怖いんだけど……っていうか、遅れてるだけじゃなくて、なんか消してんの?」


3人の視線がスマホに釘付けになる。SNSのトレンド欄は、異様な雰囲気に包まれていた。


「え、ちょっと待って。“#THEBEAST”が1位じゃん。てか、なにこれ、“#被害者感情に配慮を”? ……え、やば」


「えっっ、なにそれ。てか、事件の映画だってのは知ってたけど……」


「え、でもさぁ、主役のモデルって確か殺人犯でしょ? なのに、主演は“天才子役”って言われてる子なんでしょ? 美化ってこと?」


「……いや、そういうのじゃないんじゃない? たぶん、ちゃんと“真実”を描く映画なんだと思うけど……でも、たしかに気持ち悪いかも」


その場に沈黙が落ちる。


タイムラインには、憶測と怒りと困惑が流れ続けていた。


『犯人の映画とか、気持ち悪い』

『遺族の許可とってんの?』

『こういうの、誰のための映画なの?』

『配慮って、どこまで必要?』

『また“泣ける犯罪者”演出かよ』


「……なんか、やばくない? これ、ただのトラブルとかじゃないっぽい」


「てか、こんなんで予告見せられても、逆に引くよね……」


「……でも、見たいよ。だって、あたし、あの子役めっちゃ好きだったもん。演技、すごいじゃん……」


「……だよね。見たい気持ちはある。でも……怖くなってきた」


その瞬間、街角のモニターに、速報が表示される。


『ロサンゼルスにて、映画「THE BEAST」反対派によるデモ発生』

『“加害者美化では?”と、遺族側が声を上げ始める』


彼女たちは言葉を失った。


この映画が“ただのフィクション”ではないと、そのとき初めて気づいた。








⭐︎


会議室の空気は重く、湿っていた。エアコンは効いているはずなのに、誰も汗を拭わずにいられない。


無数のモニターに映し出されるのは、昨夜のSNSログ、報道ニュース、そして前夜に公開されなかった“はずの”予告編。


プロデューサー、宣伝担当、弁護士、現地スタッフが揃う中、会議室のドアが音を立てて開いた。


「……呼んだか」


その声に、全員の視線が向く。入ってきたのは、黒いロングコートに身を包んだ男――ロータス。


その穏やかな笑みは、まるで教会の神父のように静かで清らかに見えたが、ニノマエフミトだけは知っていた。


(こいつが、“火をつけた”)


ロータスに導かれるように、ニノマエフミトが会議室へ入る。彼は不機嫌を隠さず、椅子に座るなり深くため息を吐いた。


「まさか本当に出せなかったとはね……」


「当然だろ。実在の事件を題材にして、犯人を“理解できるように”描くなんて、炎上しないはずがない」


宣伝チームのひとりが顔をしかめる。


「予告編にすら、抗議が殺到するなんて想定してなかったの?」


「してたよ」と答えたのは、ロータスだった。


「だからフミトを監督に選んだ。火薬を撒くなら、誰より慎重なやつに任せたかった」


「……俺は火薬処理班じゃねぇよ」とニノマエフミトは吐き捨てた。


一瞬の沈黙。ロータスが、まるで子供を宥めるような優しい声で言った。


「はなちゃんが、君を選んだんだよ。『演じきってみせる』と。あの子は、ダニエルに“なれた”。君はその証人だ」


一同がざわめく。


「問題は、“それを出すかどうか”だ」と弁護士が低い声で割り込んだ。


「予告編公開が遅れた理由は、被害者遺族の団体からの正式な抗議です。“制作中止を求める署名”が、昨日だけで8万を超えました。声明文も出る予定です」


「はなの演技を見れば、わかるはずなんだよ……」


ニノマエフミトは、自分に言い聞かせるように呟いた。


「あの子は……“犯人”じゃない。“人間”として、そこにいた。善も悪も、愛も憎しみも……全部、表現してた。俺は、それに圧倒された」


「だったら、彼らに見せるべきだ」


ロータスが静かに言う。「あの子の“命がけの演技”を、真っ先に見せるべきは――彼らだ」


「被害者遺族にか?」と誰かが息を呑む。


ロータスの微笑は、僅かに冷たく揺らいだ。


「倫理と感情が、真実に勝るのなら、この映画は終わる。それでも、真実に触れたいと願うなら、彼らに“選ばせる”べきだろう?」


「内部試写会を設けよう」と誰かが呟いた。


ニノマエフミトは目を閉じる。


あの現場で、あの空気の中で、たしかに“はな”は――“ダニエル”だった。


恐ろしく、哀れで、ただひたすらに孤独だった。


「……まずは、あのシーンを見せるんだ。病室の、あの“目”を」


その言葉に、誰も異を唱えなかった。




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