芋虫
次回から少し時間が飛びます。
はなちゃん、早く目覚めて欲しい…。
カチン
それは、まるでスローモーションのように緩やかだった
小さな体から、一瞬にして覇気が失われ…抜け殻のように地面に叩きつけられる光景に…ただただ呆然と見ている事しかできなかった。
窓の外から激しく降り注ぐ雨が、地面に叩きつけられる既視感に、目眩がする
あぁ、秋の匂いがこんなにも気分を憂鬱にさせるなんて…
思ってもみなかった…
☆
薄寒い灰色の夜空を見上げると、街灯やビルの明かりで星は一つも見えない…
陰鬱とした空気と、今週の睡眠平均時間三時間のせいか頭が鈍り、視界が歪む…
もう二日ほど、食事をしていないが空腹感もなければ胃が食べ物を受け付けていない
息が詰まって苦しくなったので、一息だけため息を吐くと、急に肩が重くなった
(また、俺は…)
過ちを繰り返す事に、意味があるのなら…
俺には、何の意味があったのか…
鼻腔を揺らす、マリファナの匂いに…背後から数人の外国人達がワイワイと騒いで瓶ビールを煽っている
マリファナの匂いに胃もたれするような…吐き気すらも催してきた…
思わず顔を顰めて、背後の外国人を睨むように凝視すると、一人の男と目が合った
20代くらいだろうか…
その男は、酷く整った顔をしている…
目、鼻、口…
全てが全て、この世の理想像とでもいうように…配置からなにまで完璧だ…まるで作り物の様に…酷く…整っている
「あはは、ジャップが何か見てるぞ、ロータス」
流暢な日本語を喋る黒人の男が、整った顔をした男の肩に手を置いた
すると、整った顔の男は、整った顔を緩やかに微笑むと肩に置かれた黒人の腕に手を伸ばした
美しい所作に、目を奪われる…
白く美しい指先が、黒人の手に触れたと思えば…
響くのは、似つかわしくない鈍い音
そう、まるで木の枝を手折る様な呆気なくつまらない音
ベギッ
「あ?」
白く美しい指先は、何かを掴んでいるのか拳になり顔の横に向いている
間抜けな声を漏らした黒人の男は、不思議そうに、ロータスと呼ばれた男の肩へと目をやった
ロータスと呼ばれた男は、拳をほどき…一人でに歩きはじめた
黒人の男は、呼び止めようと手を伸ばすと…
その人差し指は、『天を仰いでいた』
息を吸う様に平然と、指をへし曲げた男の顔は依然として美しかった
「…っっ!!!」
響き渡る絶叫に、鼓膜が震え…途端に背筋がゾッと凍りついた
「ハハハハハ、オマエ、ウルサイヨ」
カタコトの日本語と笑い声
演技の様に棒読みの乾いた笑い声にゾワゾワと臓物が冷え切り気持ちが悪い
顔を歪ませながら嘲笑うロータスと呼ばれた男の目は笑ってはいなかった…
(ロータス…名前にしては珍しいな…ニックネームか?)
自身の緊張して硬った体は動かないくせに、頭は異様に冷静だった…場違いなことを考えられるほどの余裕もあるほどに…
ロータス…Lotusか?似た様な音で、Locus…Low Cuss.…等あるから…子供の身を案じて普通の親ならつけないだろう…
(バッタ、や冒涜の意味なんて誰もつけないだろうし…)
そんな現実逃避染みた考え事をしていると…冷え切った空気を裂く音がした
「オマエ」
すん…と金木犀の甘い匂いがしたと思ったら、ロータスと呼ばれた男がゆっくりとこちらに近づいてきていた
長い足で、ゆっくりとこちらへと足を進める男に、腹の中から恐怖心が湧き出てきた
逃げ出したい。そんな気持ちになったのは、人間の生存本能か…
男の目は、薄暗い路地にも負けず金色に輝いていて、何故かその目に既視感を覚えた
「オレノメ、イルカ?」
キュウっと見開かれた目を見せつける様に男は俺に顔を近づかせる
言葉の意味が…わからない
(俺の目…いるか?)
この男は、俺に目を渡そうとでもいうのか?
意味がわからない…イカれてるのか?
「ナア、オレノメ、イルカ?」
ギンっと更に見開かれる瞳に、街頭で照らされる金色の瞳に…
『怪物』の姿がチラついて離れない
思わず顔を背け、男の靴に視線を落とす
指を折られたであろう黒人の男が地面に野田内回り痛みに叫んでいるのをBGMにしながら、背筋を伝う冷たい汗に固唾を飲む
ワインレッドの革靴は、最高級ブランドを示す飾りが施され、アクセントの金色の金具が嫌に目につくと、男は再度口を開いた
その言葉に、先ほどまではなかった喜色が含んでいるのを確かに感じた
「イルカ、イルンダナ」
ケタケタと笑い始める男に、指先が冷え切ったのを感じ、身の危険を察知した瞬間、反射的に叫ぶ
「いらない!」
(目なんて、いるわけないだろ!)
男から距離を取ろうと後退りするが、男は顔を更に突き出し近づけた
「嘘ツイテイル、オマエ、ウソ、ツイテイル」
爛々と不気味に光る瞳孔に、身の毛が世立つ
「オマエノメ、オレイル…オレノメガ…オマエノメにイル」
子供の様に無邪気に言葉を発する男
(イカれてる…サイコパスかよ、コイツ)
「ドコニイル?オレノメ」
白い指先が、伸ばされた瞬間…殺されるんだ、と思った
こんな薄汚い路地で、こんな人気のないところで…
後ろで黒人が叫んで、目の前には元凶がいて
無傷で帰れるわけもないよな…
楽しそうに手を伸ばしてくる男を、棒の様にただ立って見ているだけの俺は、走馬灯の様に…自分の人生を悔やんだ…
(今、ここで死んだら…)
ここで死んでも、良いとさえ思える自分がいる
(『二人』の人生も潰した俺が…このままのうのうと生きているのもおかしいよな)
『太陽』に『るるか』
つい昨日の出来事の様に思い出すのは、二人の『子役』
あの日から、道野はな は消えた
あの日、あの撮影、『るるか』の最後のシーン
カットのカチンコが鳴り響いた瞬間、『道野はな』は倒れた
正直…あの日、あの瞬間に、『道野はな』は死んだんだという錯覚に陥った
安心した、もうあんな演技をみないで済むと思って…
安心してしまった
あの撮影から、2週間経った今…
『道野はな』は目覚めない…あの日から一度も…
人形のように、寝返りも打たず寝息すら浅く…生きているのか、何度も疑ってしまうほど…医者も原因不明のため匙を投げた
生きているはずなのに、死んだ気がしてならない
何よりも…
…明日、『道野はな』は6歳を迎える…
あぁ…
「オレノメ…ドコダ?」
目の前のサイコパスの瞳が、『あの子』と同じだなんて思ってしまうほど、俺は落ちぶれたのか…
「…」
目の前の男は、『あの子』と一緒なのか…それだったら…
「君は、何者なんだい?」
『あの子』には聞けなかった、答えを…知っているんだろうか
「…」
男は、なにも答えなかった
男の顔は、やはり整っていたが…
全く『温度』がなく無機質でいて気味が悪かった
そして、『あの子』の目が…『怪物』と画面越しに目があった時の事が頭を過ぎる
「あ」
頭の中の黄色い風船が弾けた
「そうか…そうなんだな」
目の前の男と、『あの子』の目が何で似てるのか…
考えれば、難しいことではないじゃないか…
単純で容易い問題だ…
だって俺は知っていた…あの目を…
『太陽』だって、あの目を持ってたんだから…
知らない訳ないんだ
「君は、今…『誰を演じてる』んだ?」
目の前の男は確かに匂いも温度がなかった…
でも…この世に匂いも温度がない人間なんていない
死体だって匂いもするし冷たい温度だってある
匂いも温度もない人間は、『そう演じてる』のを俺は知ってる
だから…
「君、凄いね」
花の様に笑う、目の前の男も…『演者』だと…金木犀の香りがした時に気づくべきだった
「やはり…僕の作品の監督は君で決まりだな…」
カタコトな日本語とは打って変わり、流暢な日本語を喋る目の前の男が、先程のサイコパスだとは到底思えない…
「なあ!ロータス!このジャップはお前のお眼鏡に適ったのか?」
先程、指を折られていたであろう黒人の男がヘラヘラと笑いながら歩み寄ってきたので、思わず顔を顰めてしまった
「あぁ、ジョン…彼が適任だよ」
「そうかよ!じゃあ決定だな!」
両手を大袈裟に叩いて笑う黒人の男の指を思わず凝視してしまうと、黒人の男は俺の様子を見ておかしそうに笑った
「本当に指曲げられたと思ったのか?んな訳ないだろ!」
がはは、と笑う黒人の男に、ロータスと呼ばれた男はやれやれと呆れた様に黒人の男を諫めた
「先程は悪かったね…彼はアクション俳優のジョン…若手ながらに有望なアクターだ…ぜひ目をかけてやってくれ」
ぽんぽんと話が進み、理解が追いつかず堪らず右手で頭を抱えた
「試す様な真似をして悪かったよ…、でも、君ももう少し海外のハリウッドスターを調べていた方がいいかな…たとえそれがRookieだとしてもね…」
生意気そうに笑い、ロータスは胸元からマジックの如く花を取り出した
白く立派な…蓮の花
「さあ、フミト…おはなし、しようか。」




