戻って来たデビュー日
あれから数日が経った。
頭を打って目覚めた“この人生”に、私は少しずつ慣れてきた。
5歳の体。低い目線。足取りの軽さ。大人たちがかがみこむたび、思い出すのはかつて私がいた舞台の眩しさだった。
……でも今は、もう迷わない。
今度こそ、自分の足で立ってみせる。
そんな決意を胸に、私は今日、“ある現場”へと向かっていた。
そこで、思いがけない再会が待っているとも知らずに——。
⭐︎
「はなちゃん!準備できた?」
聞き覚えのある、軽く弾むような声が、スタジオのざわめきをすり抜けて飛んできた。
振り返ると、きっちりセットされたパーマの茶髪。にこにこ顔に浮かぶ無防備な笑顔。
(……須藤)
胸の奥に、冷たいものがざらりと広がる。笑顔に応えたいと思えないのに、表情だけは自然と作られてしまう。
「はなちゃんはね、これからみんなと楽しく歌って、踊ってくれたらいいんだよ!」
私より少し上の子たちを手で示しながら、須藤はまるで子犬に話しかけるような口調で言った。
──スドウ ハジメ。“前世”で初めてのマネージャーだった男。
業界のコネも実力もある彼は、当時の私に多くの仕事を取ってきてくれた。けれどそれはいつも、“嫌な役”ばかり。
テレビの中の私は、いじめっ子、わがまま娘、冷たい少女。
街を歩けば、指をさされ、ネットでは「本当に性格悪そう」と書かれた。
一度、泣きながらお願いしたことがあった。
「もう、“嫌な子”の仕事ばかりやりたくない……」
そのとき返ってきたのは、冷たくて、皮肉混じりの一言だった。
「君さ、“嫌な子”しか需要ないんだよね。ついでに、普段からそんな感じっぽいし?」
私は、言葉を失った。
“パートナー”だと思っていた人の言葉は、刃物のように刺さった。
あの瞬間、私は──確かに、何かが壊れた。
だけど、今回は違う。
私はもう“過去の私”じゃない。
(なら、私がとる行動は──)
にっこり、満面の笑顔。
「おねがぁいしますっ♪」
ふわっと甘く、柔らかく、完璧に演じられた「無邪気な5歳」の声が、スタジオに響いた。
「かわいすぎる!」
「今日、主役いけるかも」
スタッフたちの視線が一斉にこちらへと集まる。
(うん、イメージ植えつけ、完了)
こうやって“武器”として自分の存在をコントロールする。もう利用されるだけの子じゃない。
そのとき──スタジオのドアが、バタンと大きな音を立てて開いた。
「はーい!ゆうなちゃん、入りま〜す♡」
高く尖った声と共に、きらきらのドレスに身を包んだ女の子が登場する。
12歳。子役としてはもう終わりかけ、でもまだ“看板”でいられる最後のライン。
彼女は、私を指差した。
「ちょっと!あの子、外して!」
視線の先には──私。
彼女の目の奥には、嫉妬と、怯えと、焦燥が見えた。
(前も……こんなふうだった)
そう。前世でも、私はこうして誰かの立場を“奪ってきた”。
でも、今の私は違う。
「えぇ〜?ゆうなちゃん、ついに降板しちゃうんですか〜?」
とろけるような声で、わざとらしく舌を巻きながらくすくすと笑う。
「だって〜、歌も、ダンスも、演技も……へたっぴだもんねぇ?」
スタジオが静まり返る。
(本当は、こんなふうに言いたくなかったけど)
でも私は、戻らない。誰にも、奪わせない。
やがて、ゆうなは崩れ落ちるようにスタッフに連れられ、スタジオを去っていった。
──収録後。
スタジオ外の廊下にあるベンチで、須藤がひとり、頭を垂れていた。
彼の手元に、そっと焦げたミルクティーの缶を置く。
驚いた顔で私を見る須藤に、私は何も言わず、ただくるりと背を向けた。
「わたし、かえりますぅ」
小さな声。けれどその背中には、“決して振り返らない”覚悟があった。
 




