天才の死
分岐点 すたーと
バァンッ!!
机を叩きつける拳から生まれた衝撃音が辺りに広がる
複数の視線がこちらへ向く
「お願いします!この子は、本当に天才なんです!!」
この場に集まっているのは、俺なんかが直談判出来るような相手ではなく、誰も彼もがこのオーディションを開催するにあたってのお偉いさん方だ。
そんな彼らに食ってかかる俺は、本当なら見向きもされないだろう。
だが、彼らの顔には、嫌悪ではなく、困惑が浮かんでいる。
「雪と蝶の最終話に出演していた子役こそが…この子なんです!」
真後ろのスクリーンに映し出された、303番の子役を指差し声を上げる。
8人ほど座っている彼らの中には、あの『ニノマエ フミト』もいるが、頭が鳥の巣のようにボサボサとした彼は他人事のようにぼーっと視線を宙に投げていた。
(クソッ!ニノマエフミトが賛成すれば起用は確実なのに!)
歯痒い気持ちを抑え、ヒソヒソと話す『本来の審査員』たちを見ると、やはり脈はあるのか興味深そうに先程の映像を再生している。
「これは、本当に即興なのかい?」
そろそろと、宣伝部のトップが目の色を変えて問いかけてきた
「はい!今回のオーディション、僕たちが受け持つグループは、第一次審査で『落とす』ように指示されていましたので、確実に落とせるよう、難題を与えたつもりでしたが、他の二人の参加者が難色を示す中、この子は笑ってさえいました」
食い気味に応えると、宣伝部のトップの顔は喜色に染まる。
「監督、使いましょう!この子を!」
テーブルから身を乗り出すようにニノマエ監督に詰め寄るお偉いの一人に、ニノマエ監督はため息を吐き顔を横に振る
「な、何故ですか!?この子は天才です!使わないのは損ですよ!子役の寿命は短いんですから使える時に使わないと!」
お偉いの一人が声を荒げた、それに賛同するように数人が首を縦に振る。
「…スポンサーはどうするんだ。
もし仮に、この子を起用するとして、スポンサーのお孫さんである主役の子がこの子に食われたら…彼らは黙ってはいないぞ」
演出家の土井さんが睨みつけるように言うと、途端に静まり返る。
「そ、それじゃぁ…新たに作品を作りましょうよ…この子を主役にして…」
宣伝部のトップが、困惑顔のまま突拍子もない事を言うが、思いの外、その案を推すものが複数いた。
賛同者の声が賑わう中、ずっと黙っていたニノマエ監督が顔を上げた。
「馬鹿な冗談は止めてくれ」
呆れた顔のニノマエ監督に、今まで騒いでいたお偉い人が黙る。
「天才はもう二度と使わない…前から言ってるだろ」
冷たい声色に、体がピシリと固まる
「おい、ニノマエ…もうあの頃の事は忘れろよ…何年経っていると思ってんだ…。」
演出家の土井さんが、窘めるようにニノマエ監督に言うが、ボサボサ頭で隠れた目元が見え隠れして、思いの外鋭い眼光が覗いた
「土井…お前こそ何言ってんだ…『太陽』を潰したのは俺らだぞ」
緊迫とした空気、睨み合うニノマエ監督と土井さん
『太陽』とニノマエ監督が言った瞬間、室内の温度が更に冷えた感じがした。
(太陽って…『TSUBAKI』の太陽じゃないよな?)
ニノマエ監督が言う『太陽』に心当たりがあるのは、TSUBAKIの太陽としか、思い当たる節はない。
「…あの子には可愛そうな事をしたと思う…。だが、あれで潰れるようなら芸能界ではやっていけなかっただろ。」
土井さんが、ニノマエ監督の方を向いてそう言うが、ニノマエ監督は土井さんの方を振り向こうともせず、ゆっくりと口を開いた。
「あの子が、普通の子なら…な。だが、あの子は『天才』だった。
今話題に上がっている、『雪と蝶』の子役の様に…。」
ニノマエ監督は、長い前髪で見え隠れする切れ長の瞳に哀愁を漂わせながら、誰もが言葉を発しなくなった空間で、一人言葉を紡ぐ。
「あの子が『壊れる』まで使ったのは私たちだ…。あの子は才能があった故に…私たちに使い潰され『壊された』。」
ふと、頭に過ぎるTSUBAKIの太陽を演じた子役
(そういえば…太陽役の子って、TSUBAKI以外で演じてるの見た事ないな…)
今思えば、不自然な話だ。
あんなにも世界から注目を集め、人気を誇ったTSUBAKI。
あの作品で演じた役者たちは、今でも挙って知名度の高い有名人ばかりだ。
その中で、太陽役の子は、あれ以来テレビ出演の面影もない…不気味だ。
あんなにも強烈な印象を残した『太陽』のその後を、俺たちは何の疑問も持たずに、いないものとしていた。
まるで、『太陽』が、本当にTSUBAKIでの登場人物でしかない、架空の人物かのような扱いを今までいしていた…とでもいう様に。
(うわ、今…鳥肌立った…。)
常識を覆すほどの、作品へののめり込み要素に今更気づき、『太陽』の異常なほどの才能に鳥肌が止まらない。
「天才は…短命だ。太陽は、壊れたが死にはしなかった…。
だが、この子はどうなるかわからないだろう…この年齢で異常な才能…。」
才能に殺されるのは時間の問題だ。
「そ、そんなの…ただの可能性でしかないじゃないですか!俺たちが気をつけてあの子を見ていてあげたら、そんな事起こることもないじゃないですか!?」
無意識に声に出していた言葉にすぐさま後悔する。
ニノマエ監督は、ゆっくりとこちらを向き口を開いた
「雪と蝶の監督、稲田孝作は…この子の演技を見て『マネシカケスの涙』と称した。
マネシカケスの涙…アメリカが誇る最高峰の女優だった、アンジェラ・シーカーに宛てた言葉だ」
詩を朗読でもするかのような声色で話し始めたニノマエ監督
「アンジェラ・シーカーもまた、天才だった。」
(…その人って、確か)
ゾワッ、と冷や汗が背筋に伝う
「彼女は、30歳で死んだ…。…『自殺』だった。」
かちゃん、何かが落ちた音がしたが、誰も拾うそぶりすら見せない。
視線を床に向けると黒のボールペンが落ちていて、それが自分のものだと気づくのは一拍置いてからだった。
「この業界では有名だよ…『天才の早死に』は…、才能のある奴に限って神様ってやつは手元にでも置きたがってるとでも言うようにな…」
くしゃっと頭をかき混ぜるニノマエ監督
「本当…嫌になるよ…」
重い空気に押しつぶされるような錯覚
(天才の早死に…)
自分が見えていなかった、芸能界の闇
ニノマエ監督は、TSUBAKI以来…傑作を挙げていない…
あんなにも才能のある人なのにTSUBAKI以降の作品は全て『面白い』“だけ”のものだった…。
「怖いんだよ…俺は…これ以上、才能を潰すのは」
頭を抱えたニノマエ監督は、それ以上…何も言わず、フラフラとした足取りで、会議室から出て行った。
(ニノマエ監督…)
彼の小さな背中を扉が閉まる瞬間までずっと見つめ…胸が締め付けられるように痛くて重い。
彼には彼なりの考えがあって、俺はそれを…踏みにじった
ニノマエ監督が退出した後、シン…と静まりかえった室内では…
「やはり、使うべきだ」
芸能界の闇『達』が、満面の笑みを浮かべて、ニノマエ監督の意思を踏みにじっていた。
暗くなる視界で、その光景を見ていると、何だか目眩がして吐き気さえも催す。
俺は、ただ…後悔して、何も言えずに会議室から逃げ去った…
(なんだよ…何なんだよ…)
捕まえたかと思った『希望』が、実は『絶望』だったなんて誰が思う?
俺は知らなかった、知らなかったんだよ…。
責任から逃れるために、自分を正当化するために、自分に都合の良い嘘をついた。
☆
「…は?合格…?」
送られてきた合否通知に、時間が止まり、ミシッ、と手元にある端末が軋んだ音を出した
煙の立ち篭める喫煙ルームは、今は俺と先輩しかいなくて、薄いドアからはガヤガヤと廊下の話声がだだ漏れだ。
「よかったじゃねぇか!あのニノマエ作品だろ!?」
先輩がバンバンと背中を叩いてくる
痛さに顔をしかめるが、それどころじゃない
「嘘だろ…何で…」
胸の辺りが冷たくなっていくのがわかる。
「出来レースってもっぱらの噂なのに、お前の受け持ちの子供、運良いなぁ!!」
あっけらかんと答える先輩の手を翻し、もう一度端末に目を向ける。
(ありえない、あのニノマエ フミトだぞ?
あの人が許可したのか?)
裏切られたかの様な錯覚に陥り、失望感に目眩がする。
「それにしても、あのニノマエ作品に出られるなんて、本当にラッキーだよな。」
ピシッ、と頭の中のネジが緩んだ
「どこが…ラッキーなんすか」
睨むように先輩に目を向ければ、先輩は不思議そうな目でこちらを見た
喉の奥が熱くて今にも叫び出しそうだ。
「あの『TSUBAKI』のニノマエ監督の作品だぞ?光栄この上ないじゃないか!」
にかっ、と笑う先輩を無性に殴りたくなって思わず拳を握る。
「あんな駄作のどこが良いんすか!?」
ついつい声を荒げてしまうが、止まらない
「あんな自己満足の気持ち悪い作品、どこが傑作なのか理解できない!!」
ふーっふーっと声を荒げて叫ぶと、先輩は気味悪そうに俺を見てきた。やめろそんな目で見るな。
「おい…お前、なんか今日変だぞ…」
2、3歩退く先輩に、自分が今冷静じゃない事を再度思い知らされる。
(納得できる訳無いだろ…こんな事、ありえない)
ふつふつと腹の中が煮えたぎる様に熱い
「…この合格は返上します。今回のことは聞かなかったことにして下さい。」
先輩に目を向けず、端末のメールフォルダの『合格通知』を開き、削除をしようとスライドさせた。
冷静さを欠いた今、俺は忘れてた。
この時に、気づけばよかったんだ
ここは事務所の喫煙ルームで、廊下の話声すら筒抜けで、このビル内には事務所の職員はたくさんいるし、大嫌いな上司だっている、直属の上司はチェーンスモーカーだってことも、俺は知っていたのに…
ダンッと勢いよく開かれたドアから、巨体がズンズンと迫ってきて、見覚えのある、その顔に俺の体は硬直する。
バシッ、骨が軋むくらいの圧迫感が端末を握っていた手首に向けられる。
「おい、須藤…職務怠慢だぞ…そりゃぁ」
低く唸る様な声に、とっさに身構える
「部長…」
熊のような見た目の部長、新崎…
入社した当初から、俺に対する当たりが強くて嫌いだし苦手だった
「お前さ、最近ちょいと調子乗りすぎだわ…」
グッ、と手首に力を入れられ、痛みで顔が歪む
それを面白そうに笑う部長を、睨むように目線をやると、飛んできた拳が顔にめり込んだ。
脳を揺さぶるほどの衝撃に、一瞬意識が飛ぶ。
「ちょ!部長!!」
先輩の焦った声が聞こえ、頭がぼーっとする
(…くそパワハラ野郎)
口の中が鉄の味で満たされ気持ちが悪い
「お前が使わないなら俺が使うからな、こいつ」
この事務所は実力主義で、汚い手でも使えるなら使うのが当たり前のこの職場で、俺は『甘さ』を見せたのだ…よりにもよってこの男に…。
腹立しい笑顔で部長から端末を取り上げられる
自分の華々しい昇進のための武器が、この憎き上司に取り上げられる?
そんなの耐えられるわけがない。
「っ、ざ、けんな」
鼻の奥から血の塊が喉に流れる
(気持ち悪い)
ゴッ
視界に部長の靴の裏が見えたことが頭で理解する前に
頭を地面に押し付けられた
ゴシャっ、とした音と共に打ち付けられた額
先輩の制止の声が聞こえるが、頭にかかった圧力は増すばかりだ
「お前さ…本当に生意気なんだよな…」
苛立ったような声の部長
「お前、明日から1ヶ月有給入れ…頭冷やして来い。」
上司命令だ。と言い放ち、部長は喫煙ルームから出て行った。
辺りに散らかった吸殻と灰の汚水
濃紺のスーツが血と灰で汚れている
(くそったれッ!!)
「おい、須藤…大丈夫か?」
傍観者だった先輩が焦った様に引き起こしてくれた
「うわっ、鼻血…痛そうだな、おい」
引き攣った顔で先輩がティッシュを差し出したのでひったくる様に奪う。
「あの野蛮グマ…人事部にチクってやる」
もらったティッシュを鼻に詰めながら、壁に寄りかかると先輩がため息を吐いていた
「お前さ…部長もやり過ぎだけど…今のお前の方がヤベェぞ…」
またもやため息を吐く先輩が何を言っているか理解ができない。
「自分の顔見てみろよ…今にも人殺しそうな顔してんぞ」
「は?何言ってんすか?」
意味がわからない
「はぁ…ちゃんとよく考えてみろ…部長が有給とれって言ってただろ…それも1ヶ月…。その1ヶ月で、見直せよ…」
先輩が呆れたように後ろてで手を振り、喫煙ルームから出て行ってしまった。
1ヶ月分の有給なんて退職宣言と一緒じゃねぇか…。
(何なんだよ…意味がわかんねぇ…)
口の中の血の味が、何だかすっごく気持ち悪かった。
俺は間違ってなんかいない…あのくそパワハラ野郎から、俺の武器をどう返してもらおうか、働かない頭で考えても無駄だ。
「…くそが。」
ニノマエ フミトも、くそパワハラ新崎の野郎も…
全部、っ全部…クソだな。
やりきれない怒りとやるせなさに、本当に嫌になる。
何だよ、今まで順調だったのに…
一体、何なんだよ…くそが。
握り締めた拳からは、かつて怪我した時の懐かしい一本の線になった傷跡が見えた。
この物語の、主な分岐はニノマエ監督のメンタルの強さにより、代わります。




